LiLiCoさん「私は純烈のショーには絶対に行かない」の真意とは?
昨年4月、純烈の小田井涼平さん(48)と結婚していたことをテレビ番組で明らかにしたLiLiCoさん(48)。発表に至った経緯や、純烈のファンへの思い、これまでの波乱万丈な人生について赤裸々に語ってくれた。
『ノンストップ!』への恩返し
――2017年6月に交際がスタートしました。やっぱりデートは隠れて?
「お互い忙しくてあまり会えなかったけど、変装せずに普通に出かけていました。嫌だなと思ったのは写真を撮られてバレちゃうこと。『LiLiCoロス』をしたのはたったの9人だったけど (笑)、純烈のファンは大勢いて何年も支えてくださっているから。しばらくして主人から、『きちんと発表したい』と。だったら、公表しようとなりました」
――公表は2018年4月の番組『ノンストップ!』でした。なぜですか。
「結婚は恩返しの旅だと思っています。『ノンストップ!』は特別な存在で。7年前、夢見ていた番組から出演オファーを頂いて、頑張ろうと思っていたら、母が亡くなったのよ。出演日がお葬式。行かなかったら永遠の親不孝だと思って、『母が亡くなったからスウェーデンに帰ります』と伝えたんです。そしたらプロデューサーが『じゃあ、来週おいで』と言ってくださって。そこからずっとレギュラーです。だから恩義があるし、発表はここでと決めていました」
――まず、誰に伝えたんですか。
「プロデューサーと司会の設楽統さんです。『じつは去年結婚したんだけど』『ええっ、誰と?』『純烈の小田井さん』『えええっ!』みたいな(笑)」
――びっくりしますよね。それはいつぐらい?
「設楽さんには年明けの挨拶に行った時に。みんなが黙ってくれていたので、ああいう形で発表ができました。次は『王様のブランチ』だと。映画紹介がメインなので、エンタメコーナーに出演して、質問に答えました」
――『王様のブランチ』もレギュラーが長いですよね。19年間。
「本当にありがたいです。まだまだ、他への恩返しの旅は続いていますけど」
入籍日を公表しないワケ
――入籍は2017年のいつですか。
「それは秘密にしています。内緒です」
―ーそれは、どうして?
「やっぱり純烈のファンの皆さんは、すごく純烈のことが好きで夢の時間を過ごしていると思うの。だから、小田井涼平との結婚記念日というのを作りたくないのよ。私という影を出したくないから、公表しないんです」
――ファンへの気遣いで。
「はい。私は絶対に純烈のショーを見に行かない。あそこはファンの方々の空間なので。踏み入らないようにしています」
18歳で日本へ 演歌歌手としてスナック回り
――LiLiCoさんというと、努力家のイメージ。随分ご苦労もされていますよね。スウェーデンで生まれ育って、歌手を夢見て18歳で来日されて。
「葛飾の祖母の家で暮らしながら、デビューを目指しました。日本語は話せない、人脈もない。当初は大変でした。歌のレッスンをしてくれた先生の勧めで、浜松市の事務所に入って、演歌歌手デビューできました」
――でもそこから、スナック、キャバレー、イベントと地道に営業をされていた。スナックだと1日に何軒くらい。
「7~8軒ぐらい」
――飛び込み営業で?
「もちろん。歌を丸暗記して、『歌わせてください』『お客さんとデュエットもします』とアピールしながら入っていって。当然ノーギャラなので、お客さんからチップを頂けたら助かるという感じでした。『来るな、ブス』と怒鳴られたこともありますよ(苦笑)。マネ-ジャーと5年間、車中生活しながらドサ回りしました」
――日本語はどうやって覚えたんですか。
「お客さんが歌うカラオケの画面を目で追って。歌詞の文字の色が変わるから、『天城越え』は『あまぎごえ』と読むんだとか。あとはお客さんとの会話やテレビから学びました」
――そういう経験があるから、純烈の苦労も共感できたんですね。
「ファンがいなくて、売れなくて、仕事がないのが苦労なのよ。純烈にはファンがいるんです。ただ純烈も、キャバレー回っていた時は大変だったと思う。お客さんがホステスと楽しんでいる時に、『男は見たくない』ってキツイこと言われたはずだから。私も『オカマは見たくない』とよく言われたし(笑)。仕事がある時点で、もう苦労じゃないのよ。この世界で苦労は買ってでもする、みたいな感じでやってきて、今は良かったと思います」
努力する人はチャンスを掴む
――LiLiCoさんは映画のコメンテーター、タレント、声優と幅広く活躍されています。そのぶん、努力もしてきていますよね。
「努力はもちろん必要です。努力している人はちゃんとチャンスを掴めます。世の中は『一に努力、二に努力で、三に勇気』だから。だって、下手な日本語でもしゃべる勇気があれば、面白い子だなって使ってもらえるかもしれない。私がバラエティに出られたのもそれだから」
――生放送の仕事が多いですよね。
「ありがたいです。信用されているということだから。私、放送禁止用語言いそうでしょう? でも言わないんですよ。普段からすごく気をつけている。映画の批評だって、人様が作ったものをああだこうだと言うわけだから、大変な仕事だと思ってやっています」
――普段から意識していないと、失言しますからね。
「正確な日本語を使うようにも気をつけています。『食べれない』じゃなくて『食べられない』、『すごいきれい』ではなく『すごくきれい』。自分が出た番組は細かくチェックして、発した言葉と字幕テロップが同じかどうか、確認もしています」
――そうした努力を積んで、今につながっていくんですね。
「しないとダメだと思う。それは祖母にもちゃんとしなさいと教えられてきたし。車中生活を一緒にしていたマネージャーさんからは、芸能界のしきたりを教えてもらって」
――人にも恵まれていたんですね。
「本当に。私を甘やかさない人ばかりだった。すごく感謝しています」
純烈の紅白出場 夫の両親と鑑賞
――演歌歌手で営業していた時、紅白ってどんなイメージでした?
「夢のまた夢。私は目指したことはないです。行けるはずないから」
――ご主人の夢が叶った時はうれしかったですよね。紅白の出場者発表の時は?
「あの日は私も忙しかった。飲まず食わずで取材を受け続けて、喜びを語って。2キロは痩せましたよ(笑)」
――紅白はどこで見たんですか。
「自宅です。主人の家族と一緒に。紅白に息子が出るのに、お義母さんとお義父さん、実家で見るというから。『全額出すから、東京においでよ』と誘いました。妹さんも甥っ子もみんな。狭い家に16人ぐらい集まって、ぎゅうぎゅうになって。立ち見の人もいました(笑)」
――テレビを見ながら、ドキドキしたでしょ?
「さすがに緊張しているんだろうなと思いました。でも、失敗しない人たちだから。ただ、歌いながら号泣したら嫌だなとは思った。いい歌を届けることが何よりも大事。どんなに感動しても、『うううう』というのはやめなさいよと、それだけは主人に言いました」
――紅白にLiLiCoさんが乱入するってウワサありましたよね。
「ありましたね。乱入しなかったらしなかったで、『なんで出てこないんだ!』って、またニュースになっていましたけど(笑)」
――ご両親の様子はどうでした?
「お父さんは冷静でしたけど、お母さんはね。今までを思い出して感極まって」
――息子が無事に育って、夢を叶えて。
「そう、よかったなあと」
お義母さんから渡された小さな箱
――そもそも、ご両親への最初の挨拶はどんなふうに?
「挨拶の日、主人の仕事がなかなか終わらなくて、ご実家に着いたのが22時だったんです。『失礼にも程があるわ』『そういう家族じゃないから大丈夫だよ』という会話があって。ドアを開けたら、いろんな顔が出てきた。LiLiCoってどんな感じ?みたいな。甥っ子が最初に出てきて、『どうぞ』って」
――大歓迎だったんですね。
「はい。その時にお義母さんから『やっと渡せるわ』って小さな箱をもらいました。へその緒と、生まれた時の名前の候補が20個くらい書いてある紙が黄色くなってて」
――わあ、感動。もう最初から家族の一員で。
「すごく優しくしてくださっています。今は主人がいなくても、帰省しますし」
――改めてご主人の夢、純烈の夢が叶ってよかったですね。
「皆さんの支えがあってここまで来ました。純烈のファンの方々が素晴らしいです。本当にありがたいです」
■LiLiCoさんプロフィール
1970年11月16日、スウェーデン生まれ。18歳で来日し、1989年に演歌歌手としてデビュー。今年、芸能生活30周年。MC、ナレーション、映画コメンテーター、エッセイ執筆など幅広く活躍している。2018年4月2日、フジテレビ「ノンストップ!」で純烈メンバーの小田井涼平と2017年に婚姻届を出していたことを発表。
(クレジットのない写真はすべて 撮影:石田健一)
●1回目のLiLiCoさんのインタビューはこちら
●3回目のLiLiCoさんのインタビューはこちら。
【この記事は、Yahoo!ニュース 個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】