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シチリア人のレナータさんが岩手県遠野市に移住する理由 <後編>

岩佐大輝起業家/サーファー
左:GRA代表岩佐、右:レナータさん 夕暮れ時のシラクサにて

岩手県の遠野へ移住することになったシチリア人のレナータさん。彼女の話を聞くほど、こんなにも素晴らしい人が好きになってくれた東北を僕は誇りに思う。そんな彼女がNext Commons Labを通して実現したい社会、そして彼女の根底にある思いを深く探ってみた。【後編】

<前編はこちら>

岩佐)Next Commons Labでは、「ポスト資本主義」の社会を作りたいと言っていましたね。これは、どのような社会をイメージした言葉ですか?

レナータ)「ポスト資本主義」というとコミュニストと思われる人も多いかもしれませんが、そうではありません。資本主義や共産主義を否定するわけではなく、それぞれの良いところを繋いで、地域に眠る資源を生かしながら、更に豊かな社会を作りたいんです。

私たちは言葉をすごく大事にしています。「消費者」と「生産者」、そして「コミュニティ」はこのプロジェクトの重要なポイントだと思っています。「生産者」や「消費者」は資本主義の言葉ですが、ただ消費されるために生産者がいるわけではないですよね。次の社会では「楽しんで作る人」と「楽しんで食べる人」の関係です。それなら「消費者」は「コンシューマー」ではなく、「楽しんで食べる人」というような意味の言葉を作るべきです。日本には漢字がありとても言葉が柔軟なので、英語から派生するような最近外から入ってきた言葉ではなく、自分の国の言葉のコンビネーションを使って新しい言葉を作り出すべきだと思っています。「ポスト資本主義」という言葉でなくても良いのですが、そういった形で、お金だけではなくその地域の価値を大切にするような社会、という言葉があると良いです。

私自身は「ポスト資本主義」を「ポストグロース」だと考えています。資本主義に完全に反対するわけでなく、成長した後に何をするのか、を新しい社会は求めています。だから新しい社会を作るにあたって強いメッセージとなる新しい言葉を作るべきだと思うんです。やらなければいけないことをやり終えた後は、やりたいことをやりたい。「ポストグロース」は成熟とも違う。成長の次の社会で人はどう幸せになるか、ということを考えています。

岩佐)言葉を作る。とても面白い考えですね。僕も言葉作りが大好きです。「甘酸っぱい」社会とかどうですか?甘酸っぱいについては、まで書いちゃったくらいです。(笑)

レナータ)「甘酸っぱい」はいいですね。人と人が繋がる力を愛というのであれば、「愛」という言葉でもいい。日本人は「愛」という言葉を恥ずかしがりますが、それなら「エネルギー」という言葉に置き換えてもいい。どうポスト資本主義が愛やエネルギーに繋がるかはまだ思索中ですが、愛を持って違う形のものと一緒に頑張れる社会ができたらいい。今までの資本主義ではcompetition、つまり競争がいいものとされていたと思います。でもcompetitionの語源はラテン語から来ていますが、「com」は「一緒に」、「pathos」は「苦しみ」という意味です。同じ苦しみを共有して一緒に頑張ろう、という語源なのに、いつの間にか意味が単なる「競争」、「敵対」になってしまっています。

ローマ時代のコロッセオがあり、シラクサは町中が世界遺産
ローマ時代のコロッセオがあり、シラクサは町中が世界遺産

岩佐)それはすごく面白い。GRAは新規就農者を育てていて、「将来ライバルになるかもしれない人を育てる事業をしているんですか?」とよく聞かれるんですが、僕は、ライバルが増えたとしても農業全体が盛り上がったらそれでいいと思っている。まさに「co-creation(=共創)」という考えを僕らはとても大事にしています。日本語にも「競争」と「共創」、同じ発音で両方の意味があるから、competition と一緒ですね。レナータさんの言う「ポスト資本主義」は「共創社会」ということなんでしょうね。誰かだけが一人で勝つのではなくて一緒に協力するということ。「集団出世主義」という言葉が僕はすごく好きです。自分だけ上手くいくよりも、みんなで上手くいく方が結果は良くなります。それと「共創」という概念は共通すると思う。これからは資本だけを持っている人が一人で勝つために頑張るよりも、みんなでco-creationできる人の方が、絶対上手くいくと思う。仮にその結果を一人一人の富に換算したとしても、富以外の価値に換算してもね。

レナータさんは何に影響されて、ポスト資本主義や新しい価値観というものを考えるようになったんですか?

レナータ)人生のプロセスの中でだんだんとそう思うようになりましたが、特にロンドンで働いていた体験は大きいかもしれません。家が買えずにおばあちゃんとシェアハウスする生活、友達はみんな出ていく町。お金がないと何もできないなんて、変だと思いました。また通勤電車の人の顔を見ると、みんな顔が死んでいます。仕事に行くのがつまらなそうなのに、お金を稼ぐために働く人が多い。銀行時代、プレッシャーはありましたが、それでも私は仕事が好きでいつも元気に会社へ行っていました。でも多くの人は同じようなスーツを着て、悲しそうな顔で会社へ行き、みんな月曜日を嫌がり、金曜日を喜ぶ。苦しんで仕事をして週末にだけお金を使う。私は月曜日から日曜日まで毎日楽しかったので、みんな何のために生きているんだろうと思っていました。

また、ロンドンで修士課程が終わる頃、トップの成績の人たちはみんな金融機関に入りたがり、みんなマーケットのことだけに集中していました。でもスペインへ行ったら、誰もFinancial Timesを読んでないし、スーツも着てない。お金のために働くのはおかしいんじゃないかとますます思うようになりましたね。銀行時代、市況に合わせて顧客からマージンを取る仕事をしていましたが、私はお客さんが好きなのに、なぜ銀行のためにお客さんに黙って高いマージンを取らなければいけないのかと、悩んだことも大きかったです。

私は最終的にはお金がいらない社会を作りたい。ITの進歩のおかげでそれが可能になると思っています。物々交換から貨幣社会と、「exchange」の精神のもとに人間は生きてきましたが、そうでなく「give」の精神になればいいなと。

岩佐)お金の重要性が減ることについては僕も賛成です。時に金はとっても窮屈な道具になりますから。でも仮に、自分の信義に反するものでなければ、資本主義や貨幣経済もいいものだと思いますか?

レナータ)トリオドス銀行の講演で面白い話を聞いたことがあります。お金は経済における血液と言われますが、現代の社会は病気になっていて、血液(=お金)の巡りが悪くなり、癌のように一部の場所に、血液(=お金)が溜まっています。だから、お金を社会全体に適切に巡らすためにethic bankが必要なんです、というスピーチでした。

でも更に私が思うのは、今ITがすごく発展していますよね。昔は「Dependent society」、次に「Consumer society」、今は「Creative society」と来ていますが、次に来るのは「Strategic Society」だと思うんです。自分自身の知恵や魅力自体の価値をお互いに評価してもらえるような社会、そんな社会がITのおかげでできると思います。「支倉2.0プログラム」というプロジェクトをやっていた時私はお金を貰っていませんでしたが、それでもプロジェクトを行うことができたのは、市などが協力してくれたからです。プロジェクトを手伝ってくれた学生にも私はお金を払ってないけど、私と働くおかげで新しいメンタリティや人との繋がりが得られたことは、彼らにとってお金に換えられない経験になったと思います。今の社会の問題は、お金がないと何もできないということ。もちろんお金はすごく大事ですが、昔は社会の中でお金はツールだったのに、今はお金が中心になってしまっている。では、どうすればお金の重要さを減らしていき、新しい価値が認められるようになるかを考えなければいけません。

左:レナータさん、右:岩佐 活気のある広場は南国の開放感を感じさせる
左:レナータさん、右:岩佐 活気のある広場は南国の開放感を感じさせる

岩佐)そんな社会を作る方法が、「ポスト資本主義」の価値観を作ることであり、新しい言葉でそれを表現することなんですね。レナータさんの社会を変えたいというモチベーションの根底にあるのは、先ほど言っていた「愛」なんでしょうか?

レナータ)もしかしたら方法は途中で変わっていくかもしれませんが、そういう社会を作りたいという、根底にある思いは変わりません。目的地まで行きたいと思ったら、真っ直ぐ行くのが早い。でも真っ直ぐ行くことができなかったら方法は変えてもいい。今はお金と愛と言葉について考えることが、価値観を作る大事なポイントだと思っています。でもそれだけで変わらなかったら他の手段を考えます。みんなが社会起業家になればいいと思うけど、そうはなれないから、例えば大企業のメンタリティを少しずつ変えていくとか、働きながらソーシャルセクターに関わるとかでもいい。

愛については、地球も生物も植物も人間ももともとは同じものなのに、人間が勝手に違うものとして区別して考えているだけですよね。そうしていがみ合うのはおかしい。私は新しい人と出会うのは偶然ではなく必然だと考えています。だから、誰かに出会ったらその人に何かお返ししないといけないと感じています。

震災の時、お金があっても食べ物がないと意味がないし、また、周りに自然はたくさんあるけれど、エネルギーが切れたら何もできないということを感じました。そしてその状況で、人との繋がりが生きることを助けてくれるということも。だから私も、人との繋がりを大切にして、出会った人へのお返しをしていきたいと考えています。そして語弊があるかもしれませんが、津波も必然で、何か起きた理由があると思っています。津波の後、家や畑が何もなくなってしまったけれど、とても海がきれいでした。

岩佐)確かに、理由はあると思います。もしかしたら津波はrecreation(=再創造)の機会だったのかもしれない。そして残念ながら人間はrecreationとして受け入れなかったから、無駄な防潮堤ができてしまったのかもしれない。震災後の最初の2年くらいは僕らも生きることに本当に必死で、誰も争う余裕もお金のことを考える余裕もなかった。でも5年経つと少しずつ変わっていって、今はいがみ合いなどが起きるようになってきているのも事実です。残念ながら、最近の東北で起きていることは、ポスト震災の醜い権力争いですよ。

レナータさんはバルセロナにいた頃から支倉2.0プログラムで日本のことを欧州に紹介したりと、大きく日本に関わってくれていたわけですが、敢えて遠野に住むと決断した一番の理由は、レナータさんの実現したい社会をこのNext Commons Labに日本の中から関わることで、実現できると思ったからですよね。今回3人の子供たちも一緒に遠野に住むと思いますが、子供達に日本への移住の話をした時にはリアクションはどうでした?

地中海を眺めるレナータさんと娘 シチリア人は泳ぎがとても上手だ
地中海を眺めるレナータさんと娘 シチリア人は泳ぎがとても上手だ

レナータ)15歳の長男はとても頭が良いので、楽なライフスタイルを送ることを嫌だと思っていました。今いるバルセロナは安全で安心でとてもいい社会ですが、世界は本当はこうではないと考えています。もっと色々なことにチャレンジしたいので日本に住みたいと、すぐに言ってくれました。

今年中学一年生の長女は気が強く、自分とペットの犬のピンパのことを中心に考えていたため最初は、どこへ行くか、何をするかさえ聞かずに、頑なに行きたくないと言われました。もう中学生なので自由に決めていいよ、でもピンパは一緒に日本へ行くよと言ったところ、ピンパが大好きな彼女も日本へ行くと。最近はやっと遠野のことを教えてほしいと聞いてくるようになりました。

次女は、みんな行くよと言ったら、すぐに一緒に行くと言ってくれましたね。多分まだ日本のイメージはついてないと思います。

岩佐)早く子供たちが日本に慣れるといいですね。子供を連れて知らない土地に入るというのは相当なチャレンジだと思いますが、僕も最大限サポートします。日本に行くにあたって一番の心配はやはり子供が日本に馴染めるかどうか、でしょうか?僕もそうでしたが、東北の中学生はシャイですよ(笑)

レナータ)そうですね。子供たちはオープンマインドだと思います。それでも自分にとっても子供にとっても最もチャレンジだと思うのは、どう地元の人に受け入れてもらうか、そして自分が仕事と家庭をどう両立するか、ということですね。応援してくれる人がたくさんいて、子供たちもついてきてくれるのに、上手く遠野に受け入れられなかったら、というのが一番怖い。遠野の人を使って私たちがやりたいことを勝手にやる、のではなく、一緒に協力しながらやる、というマインドでやりたいです。遠野を助けるために行くのではなく、縁があって遠野でやりたいと。私たちは、遠野が面白い素敵な町だと思ったから行きたいんです。

確かに子供を連れて、新しい土地で、そして長時間働く日本の組織で仕事をするのはチャレンジです。でも、ワーカホリックなことが日本人のアイデンティティだと思っている人が多いですが、私は違うと思います。同じ人間なので集中力は5時間くらいでなくなります。ちゃんと休憩取らないとcreationもinnovationもできない。

新しい価値観が社会に浸透することがとても重要で、働く時間が長ければいいと日本人は考える人が多いですが、例えば北欧は残業する人少なく、家族の時間を大事にする社会です。同じようなシステムが日本でできないはずはない。

岩佐)確かに、今回僕もシチリアで普段と違うゆったりとした時の流れの中で過ごしたせいか、普段はしない意思決定をしました。シチリアから日本に電話して、投資していた株や不動産を全部売ることにしちゃいましたよ(笑)。何を大事にするか、という価値観は、先ほどの「ポスト資本主義」で実現したい社会にも大きく関係がありますね。最後に、震災後日本に住んで日本でそんな社会を実現したいと強く思ってくれたのは、日本の何がレナータさんの琴線に触れたからなんでしょうか。

レナータ)実は震災が起こるまで、私はボランティアをやったことがありませんでした。でも縁あって、友達がいたので東北へ行ったとき、何かを変えたいと思いました。最初は助けたいと思ったけれど、岩佐さんをはじめ素晴らしい社会起業家の人たちと出会って、助けは必要なく、それよりも一緒に何かをやりたいなと。言葉には表せませんが、あの光景を見て何かが自分の中でキックしたのは間違いないです。そして縁があって、遠野という素晴らしい町とNext Commons Labという素晴らしい団体に出会えたのです。これから色々なチャレンジが待ち構えているとは思いますが、多くの人と一緒にプロジェクトができることを心から楽しみにしています。

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Renata Piazza(レナータ・ピアッツア)。イタリア、シチリア島生まれ、ヴェネツィア大学日本語学科卒業、早稲田大学政治経済学部客員研究員、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)卒業。全日空、東京三菱銀行(ロンドン)を経て、スペイン外務省直轄外交機関Casa Asia(Asia House)に10年間プロジェクト・コーディネーターとして勤務。以後日本ならびにアジア各国関連の講演会、展示会、セミナーなど経済・文化交流活動に従事。3.11以降、東北地方に何度も渡り長期間滞在し、強固なネットワークを築く。震災のあと東北に生み出したイノベーションを海外に紹介して、東北と欧州ビジネス交流を推進のため2013年「NPO法人支倉プログラム」を設立。

起業家/サーファー

1977年、宮城県山元町生まれ。2002年、大学在学中にIT起業。2011年の東日本大震災後は、壊滅的な被害を受けた故郷山元町の復興を目的にGRAを設立。アグリテックを軸とした「地方の再創造」をライフワークとするようになる。農業ビジネスに構造変革を起こし、ひと粒1000円の「ミガキイチゴ」を生み出す。 著書に『99%の絶望の中に「1%のチャンス」は実る』(ダイヤモンド社)、『絶対にギブアップしたくない人のための成功する農業』(朝日新聞出版)などがある。人生のテーマは「旅するように暮らそう」。趣味はサーフィンとキックボクシング。

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