世間に渦巻く陰謀論の数々、結局「心の逃げ道」の一つなのかも
先日、2年ほど前の元ネタを用い、「世界のウソとその真相」的な陰謀論の一覧がインターネット上の話題として登ったのを目にした。この類の話は人々の関心を引きやすく、廃れるところもないことから、定期的に持ち上げられ、人々の目に留まる。いわく、病気はわざと創られた、戦争は武器商人が意図的に起こしている、景気変動は意図的に行われているなどなど。身近な事象をテーマと、その「内情」と呼んでいるものを語っているだけに、つい目が留まってしまう。あるいは郵便受けにこの類の陰謀論を伝えるチラシが投函された経験がある人も、少なからずいるだろう。
陰謀論のうちいくつかは、実際にそれ自身が存在するのではなく、普通の組織の構築・運用によって、結果的にそのように見える状況になるものがある。組織自体には意志などないが、生存しつづけようとする本能のようなものはある。それが謎の支配層に見え、組織の活動がその支配層によって行われてしまうと見えてしまうのだろう。あるいは日本の報道の内情を暴露し実態が問題視された「椿事件(Wikipedia)」のように、本当に陰謀(論)的なものの実態が存在している事例もある。
しかしそれら陰謀論のほとんどは、ヒトの妄想や、その陰謀が存在していた方が都合が良い人達による偶像的なもの。例えば「●×の業界は上層部が手を組んで談合している。だから我々は割りを食っている状態だ」と陰謀論を掲げ、「我々は手を取ってこの状況を打破しなければならない」と団結をうながすものである。ある意味、偶像崇拝思考と同じようなものといえよう。
陰謀論を設けることで、基本的に立ち向かうべき悪しき存在は一つに集約される。そしてそれを叩くことで現状の問題点は解決できるはずという、シンプルな状況に絡めることができる。だからこそ陰謀論は分かりやすく、そそられるものとなる。何となく感じている不安や不満、でもその解消法が分からない、何が原因なのかつかめない。そんな状況に「現在の苦境は●×にある。●×を打破すればきっとこの事態は解決するはずだ」とささやかれたら、つい耳を傾けてしまう。状況解決手段を「陰謀を打ち砕くか、しないか」の二分法で呈されたら、非常に魅力的なものに覚えてしまうのは当然の話。
さらにその悪の存在、陰謀そのものは実在しない。となれば、陰謀論を語り人々をまとめ上げた人は永遠に自分自身を「正義を成しているオレ様、カッコイイ!」ポジションに置くことが出来る。そして賛美や報酬も得られる。ある意味新興宗教のようなものに違いない。
またこの構造は「子供達が「妖怪ウォッチ」を受け入れた理由(下)…子供目線での内容と「妖怪」編」でも言及した「妖怪」と同じように、自分自身が理不尽に思っていることのもやもや感をはっきりとさせ、心理的な安ねいを求める手法と類似している。陰謀を成しているとの設定で創作された「何か巨大な陰謀組織」と「妖怪」は、人々の心のよりどころ、逃げ道としては適切なもの。そう、陰謀論は妖怪と同じ。それが意図的に特定の人によって創作されたものであっても、都市伝説のようにいつの間にか創生された自然発生的なものであっても。
「何とかムラが」との論説を振り回し、声高らかに主張する筋があった場合、「それは妖怪の仕業ですね」とだけ返してさらりと流すのが、今風の対応の仕方なのかもしれない。仕組みとしては同じものなのだから。
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