生き埋めや逃げ遅れの住民を助けられるのは誰だ
石川県能登地方で1月1日午後4時10分ごろに発生した最大震度7を観測する地震では、東日本大震災以来の大津波警報が発表され、午後8時半ごろ大津波警報は解除されたものの、午後10時現在、引き続き警報や注意報が発令されている。沿岸部や川沿いにいる人は、高台などの安全な場所に避難することが呼びかけられている一方、倒壊家屋などで逃げ遅れや閉じ込め、生き埋めになっているとの情報が多数寄せられている【1日夜10時執筆】。
奥能登広域圏事務組合消防本部では、通報の件数が多く、対応が追いつかないことから、「連絡が取れない人について通報する際は、氏名や住所などの詳しい情報を伝えてほしい」と呼びかけているようだが、多くの住民が避難していることも考えられ、現場の確認は難しい状況が推察される。そもそも消防は火災対応などに追われ、逃げ遅れの人の支援に手が回っていない。石川県知事は自衛隊に災害派遣要請を行い、総務省消防庁では他県の消防に「緊急消防援助隊」の出動を指示しているが、道路は亀裂やひび割れ、地割れが多く発生しており、現場に到着するにはかなりの時間がかかることは間違いない。加えて、広域が停電に見舞われており、現場に着いたとしても深夜の救助は簡単にいかないことが想定される。
すでに避難している一般の方の中にも、救助に行くべきか、行かぬべきか、悩んでいる人がいるのではないか。
2014年11月22日に長野県白馬地域で発生した「長野県神城断層地震」では、周辺の住民が倒壊した家屋にかけつけ、チェーンソーやジャッキを使って救出にあたったことが、美談とされた。その後もさまざまな災害現場で、住民同士の救助の武勇伝はメディアで取り上げられている。が、津波の危険がある中で、無防備に住民同士が救助に当たることは二次災害を招きかねない。
災害対応には正解が存在しないケースが往々にしてある。人を助けられる可能性と、自らも被災する可能性を天秤にのせて、正しい判断をすることなど未来が読めない限り、できるはずがない。
冷たい言い方になるが、今は、一人ひとりが二次災害にだけは巻き込まれないようにすることが何より大切である。
そんなことは理解できているというなら、まずは自分ができることが何なのかを冷静に考えてみてほしい。1つは情報の正確性を確かめること。そもそも逃げ遅れや生き埋めの情報は、いつ誰から寄せられたもので、その確実性はどの程度あるのか。仮に確実な情報だとしたら、その場所はどのような場所―地理的・物理的・環境的なリスクがある場所なのか。例えば、津波が来たらすぐに逃げられそうな場所なのか、沿岸部に近いのか。周辺の道路はどのような状況なのか。それらの情報を行政などに伝えたか。伝えたとして行政の見解はどうだったか。
それらを確認した上で、それでも確実に助けられる可能性があるのなら、自分の救助スキルについても冷静に考えてみる必要がある。今まで救助のトレーニングを受けたことがない人が現場に行って暗闇で人を助けられるはずはない。ましてや一人でできることなどほとんどない。スキルを持った人がチームをつくり、対応にあたることが不可欠になる。津波の確認方法、避難方法、緊急時の安全確保方法、救助に要する時間、などを決めた上で、「警戒・注意情報が解除された」段階で、迅速・確実に安全が確保できる範囲で行動を起こせるように準備しておくことだ。その際も、装備として何をもっていくべきか、どう行政と連絡を取り合うか、どのくらいの時間救助を続けるか、救助した人をどこにどう連れていくか、などをチームとして役割・手順を緻密に決めておくことが重要となる。
残念ながら、こうしたことが突然として、できるようになるはずはない。だからこそ、平時から自主防災組織などに参加し、さまざまな想定のもとで訓練をしておくことが求められるのだが――。この点は、今被災地にいる方々に言うべきことではない。この災害を傍観をしてしまっている多くの方が、今後同じような状況になった際に、自分は何ができるのか、そのために、今何をしておくべきかを考えておく必要がある。
今後も余震は起きる。熊本地震のように震度7の揺れが複数回起きるかもしれない。津波警報や注意報が解除されても、途端に家に戻るなど、動きだせば、余震による建物の倒壊などに巻き込まれかねない。悔しいだろうが、今は、一人ひとりが二次災害にだけは巻き込まれないようにすることが何より大切である。