もう一つのサッカーW杯 安英学(元北朝鮮代表)が在日代表チームの監督兼選手として現役復帰
2017年1月、Jリーグの横浜FCを退団し、引退を表明した安英学(アン・ヨンハ)が現役復帰を宣言して走り出した。正確には今年5月末にサッカーの母国・ロンドンで開幕するひとつの国際大会に向けて再びピッチに立つ準備を始めたのである。
大会の名前はConIFA World Football Cupという。
ConIFA(Confederation of Independent Football Associations)という名称はいささか耳慣れないが、これは、FIFA(=国際サッカー連盟)に未加盟の国や地域をカバーする独立系サッカー協会のことである。FIFAの加盟承認の原則は「主権国家として認められており、国連に加盟している国」となっている。しかし、世界には複雑な情勢から国連に加盟できない国もある。そして当然ながらそんな国でもサッカー選手は存在する。またFIFA加盟国に生活していてもその国籍と自身のアイデンティティーがシンクロしないという人々も数多く存在する。ConIFAはFIFAに入れない国の人々、あるいは自身の文化に誇りを持って生活をしている少数民族や、迫害を受けて祖国を捨て異国のコミュニティで暮らす人々が、自分たちのアイデンティティーを掲げてサッカーができる場所として、2013年に設立されたのである。
創設者のペール=アンデルス・ブランドは、映画「サーミの血」でもモチーフとなったノルウェーの先住少数民族サーミ人である。彼は3歳で両親と共にスウェーデンに移住し、そこで筆舌に尽くせない差別と虐めに遭った。ドロップアウトをしかけたが、そんな彼を窮地から救ってくれたのがサッカーだったという。ボールの前では誰もが平等でチームは民族を超えてひとつになれる。「サッカーは差別を乗り越え分断されているものに橋をかける」。この思いがConIFAを設立する動機となった。4年前に設立されてから、加盟国は年々増加し、現在は47チームが加盟している。
もうひとつのワールドカップとも言われているConIFA World Football Cupロンドン大会には、タミル・イーラム(スリランカにおける内戦で祖国を追われたタミル人のチーム)、北キプロス(キプロス北部でトルコが実効支配しているとして国際的に未承認の国家)、チベット(中国から亡命して欧州でコミュニティを形成するチベット人のチーム)、パンジャブ(インドとパキスタンにまたがるパンジャブ地方の民族)、西アルメニア(オスマントルコによって迫害された歴史を持つアナトリアのアルメニア人の末裔)など16チームが参加する。
安は当初、ConIFAからアンバサダーとしての就任依頼を受けていた。日本で在日コリアンとして生まれ民族学校で育ち、Jリーガー(アルビレックス新潟、名古屋グランパス、大宮アルディージャ、柏レイソル、横浜FC)として活躍、北朝鮮の代表選手として南アフリカW杯に出場したことのみならず、韓国Kリーグ(釜山アイパーク、水原三星ブルーウイングス)でもプレーの実績があり、すべての国のサポーターたちに愛された。新潟では日本人サポーターたちが今でも安のイベントがある度に参集し、昨年行われた新潟・釜山での引退セレモニーでは朝鮮半島の南北間の交流に貢献したとして感謝状も授与されている。日本、北朝鮮、韓国を繋いだまさにConIFAの理念を体現しているその生き方から白羽の矢が立ったのである。
安がアンバサダー就任を引き受けると次は在日コリアンのチームとして大会に出場するユナイテッド・コリアンズ・イン・ジャパンのソン・チャノマネージャーから監督兼選手としてのオファーが舞い込んだ。こちらもまた在日サッカー選手のシンボルとして大きな期待がかけられた。ユナイテッド・コリアンズ・イン・ジャパンは前回アブハジア(国際的にはジョージアの一部とされているが、実質的にアブハジア共和国として独立状態にある自治区)で行われた大会に続いて2度目の出場である。安がチームを率いる上で条件としたのは「在日で可能な限りの最強のチームを作る」というものだった。
「サッカーをしにいくのですから、大会や相手チームに対して失礼の無いようにベストを尽くしたい」。友好、融和というキーワードが並ぶConIFAにおいて、だからこそ全力でプレーをして世界に向けて在日の存在をアピールする。普段は折り目正しく、分け隔てなく人と接することで知られる温和な安であるが、こういうとき表情は変わる。
その半生を橋を架ける者たちに記したが、高校時代、安は全く無名の選手だった。高校選手権を東京都予選ベスト16で敗退したチームの中盤の選手に過ぎず、実績を考えればJリーガーになりたいなどと口にするのも憚られた。しかし、多くの選手がサッカーを辞める19歳から夢を描き、高卒後の進路に浪人を選択し、日本の大学でプレーをしてからのプロ入りを決意した。「もう年齢的にも遅い」「この一年の空白は埋まらない」「同世代の選手の経験にはもはや追いつけない」等々、数え切れないほどのあきらめるための言い訳を封印し、その夢を成し遂げた。立正大に合格してサッカーを続け、4年後にはアルビレックス新潟に入団しプロになったのである。そんな安であればこそ、サッカーに関して真摯にいらずにはいられない。
監督を引き受けると同時に自ら選手の選考と招集を担った。独自にリサーチした人脈に基づいて、国内外のチームから選手を選んだ。オファーするにあたり安が直接出した条件は二つだけ。
「在日としての誇りを持っているか?」「魂を持って闘えるか?」。その呼びかけに対してNOという者はひとりもいなかった。そろそろ現役を引退しようかと悩んでいた選手も、そういう大会ならぜひとモチベーションを上げてきた。それぞれ朝鮮籍、韓国籍、日本籍と持つパスポートは異なってもオール在日代表チームの旗の下に続々と選手は集まって来た。香港リーグでプレーするソン・ミンチョル、クロアチアにいたリ・トンジュン、オーストラリアのアン・チニャなど海外組が5人、さらには元Jリーガーのキム・ヨンギ(湘南ベルマーレGK)、前回大会で監督を務めたユン・ソンイも再びスパイクを履く。
安は言う。「僕はどこの国のチームに行っても応援してもらいました。その意味では全てがホームとも言えます。その上で今回はまた在日という一番身近なアイデンティティーを前面に出して闘えることが嬉しいです。在日の存在をサッカーの生まれた国で世界に向かって知らせたい。ああ、知らなかったけど、こいつらはこんなプレーをするんだと。在日の重みは誰よりも分かっているつもりですから」エンブレムのデザインには統一朝鮮半島に加えて日本の要素も入れたいという。今回は帯同するトレーナーも在日である。
安は朝鮮籍ゆえにイギリスビザの取得は困難で時間もかかる。サッカーに集中する以前に煩雑な手続きが横たわる。それでも信頼するスタッフとともに粛々と書類を揃えながら、やるべきことに邁進している。すなわち復帰のためのトレーニング。闘う以上、優勝を目指すことを公言する。
プロ選手になること、ワールドカップに出場すること。日本で在日コリアンとして生まれることは、同じサッカー選手でありながら、それらがあまりに狭き門として登場する。それでもたゆまぬ努力で成しえてきた安が、唯一実現できなかったヨーロッパでのプレーという夢が今回、実現しようとしている。
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