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「平和ではない」JFAへの申し入れ書から、現在のミャンマー政府とスポーツウオッシングについて考える。

木村元彦ジャーナリスト ノンフィクションライター
日本サッカー協会前で申し入れについて記者に応えるミンスイ氏(左)とハンセン氏

 在日ミャンマー人から日本サッカー協会への申し入れ書

5月31日午後四時、在日ミャンマー人の二人の男性が日本サッカー協会を訪れた。一人は元ミャンマーのサッカー代表選手のハンセイン氏。ハンセイン氏は1988年に起きた民主化運動(8月8日に行われたゼネストから名前を取ったいわゆる8888運動)に参加したことで迫害を受け、日本に逃れて難民認定を受けている。現在は法律事務所で働きながら、在日ミャンマー人のサッカーチームの監督も務めている。もう一人は、不当解雇や賃金不払いで苦しむ同胞の労働者、技能実習生の支援を続けている在日ビルマ市民労働組合会長のミンスイ氏。ミンスイ氏は2022年に多田謡子反権力人権賞を受賞している。二人は、日本サッカー協会宮本恒靖会長宛に書かれた申し入れ書を手にしていた。差出人名が「在日ミャンマーコミュニティ」「在日ミャンマーサッカー連盟」「日本のサッカーファン有志」の3者連名で書かれた書面には、5月22日に日本サッカー協会がミャンマーサッカー連盟との間で結んだ協力協定について抗議する旨が記されており、事前にアポイントを取った国際部職員に手渡された。

彼らは何を問題としているのか。以下、申し入れ文書から、引用する。

「2021年の軍事クーデター以降、ミャンマーでは軍評議会による市民の弾圧が続き、市民団体「政治犯支援協会」の調査によれば3年余りの間に少なくとも5160人が軍に殺害され、26,773人が不当に拘束されています。シャン州、カレンニー(カヤー)州、ザガイン管区、チン州、カチン州などミャンマー全土では、激しい戦闘が続き、国連によると国内避難民の数は300万人にも及ぶとされています。―中略―こうした中で貴協会がミャンマー・サッカー連盟と協定を結ぶことは、関係者にそのつもりがなくとも、軍の宣伝に手を貸し、弾圧を後押しする結果となりかねません。貴協会や日本のサッカー関係者がアジアのサッカー支援に力を入れ、とりわけ民主政権時代からミャンマーのサッカー界に協力してきたことを評価する関係者は多くいます。しかしながら、クーデター後にミャンマーで起きている悲劇に目を背け、何事もなかったかのように事業を進める今回の協定には、失望を禁じえません」
「また、ワールドカップ予選がヤンゴンで開催されることは、在日ミャンマー人社会に衝撃を与え、戸惑いと怒りの声が上がっています。また、日本代表が現地に赴くことに関しても懸念の声があります。軍側は厳戒体制下で試合を平穏に進め「ミャンマーは平和である。軍の統治はうまくいっている」と国際的にアピールすることに腐心すると思われますが、そのプロパガンダにワールドカップ予選や日本代表が利用されることを憂慮します」

これらを踏まえ、具体的な申し入れとして以下の二点を挙げている。

①ミャンマーサッカー連盟とのパートナー協定を破棄もしくは停止し、ミャンマーの平和が回復し民主的な政権の樹立後に改めて協力関係を築くこと
②6月6日のヤンゴンでの試合に際し、日本サッカー協会と
日本代表がミャンマーで起こっている市民の弾圧を看過しない旨の強いメッセージを発してもらうこと。また「クーデターを容認している」「ミャンマーは平和である」「(ヤンゴンで試合ができたことに)軍に感謝している」など軍側に利用・曲解されかねない発言を控えてもらうこと」

 受け取った日本サッカー協会からは、まだ何の回答もなされていない。

 この申し入れに対して、在日ミャンマー人に対して安全な立場から冷笑し、中傷する意見も散見される。その経緯について記しておきたい。

 問われる国軍政府の正当性

 申し入れ書にある軍事クーデターとはどんなものであったのか。話は2020年に遡る。同年11月8日、ミャンマーで総選挙が行われた。その結果、国家顧問のアウンサンスーチー率いる与党NLD(国民民主同盟)が476議席中396席を獲得し、国軍系野党のUSDP(連邦団結発展党)は大敗を喫した。総選挙には日本政府の笹川陽平ミャンマー国民和解担当代表を団長とした監視団が派遣されており、「(選挙は)秩序よく公正に行われていた」(笹川氏ブログ)と報告されていた。ところが、国軍はこの大敗結果を受け入れず、「不正」を理由に2021年2月1日未明にスーチーをはじめとするNLDの幹部政治家たちをいっせいに逮捕したのである。軍人出身でUSDPに所属するミンスエ第一副大統領は、非常事態宣言を発し、自らが暫定大統領に就いた。そして司法、立法、行政の三権すべてがミャンマー軍のミン・アウン・フライン最高司令官の下に統合されることになった。以降、すべての権力を掌握した国軍政権に盾突く者は拘束され、徹底的に弾圧された。国民の意思が反映された公正な選挙の結果が蹂躙され、圧倒的な暴力によって政権が国軍野党に奪取されたのである。ミャンマーの有権者からすれば、到底こんな国家は認められず、対抗するかたちでNUG(国民統一政府)を樹立した。ミャンマー国内は内戦状態に陥り、現在もそれは続いている。市民を虫けらのように扱い、銃撃にさらす国軍の銃口はサッカー選手にも向けられた。確認されただけでも二人の有望な選手、ハンタワディ・ユナイテッドに所属したU-21の代表キャプテン、チェボーボーニェエンとリンレットFCのアンゼンピョが国軍に殺害されている。

若い仲間を殺された選手たちの憤りは凄まじかった。2021年のW杯予選期間において、タイやシンガポールなど国外のクラブにいる選手たちは、国軍に不当に乗っとられた国の代表としてプレーをしたくないとして、召集されてもボイコットを宣言。一方、逃げ場の無い国内のクラブの所属選手たちは、サッカーが軍事クーデター政権の正当性の補強に利用されないことを望んだ。同年5月のアジア二次予選に参加するにあたって、彼らはミャンマーサッカー協会に「我々は今の国軍政府から独立したサッカーを代表する団体である」という声明を出してほしいという要望を出した。ミャンマーサッカー協会はこれを了承し、選手たちは開催地の日本に連れて来られた。しかし、その約束は反故にされ、来日しても何の発信も出されなかった。これでは、選手は唯々諾々と暴力に従い、クーデター政権を支持していることになる。「サッカー選手は決してそうではない」控えGKのピエリアンアウンは自らの意志を表示する形で、フクアリスタジアムでの日本代表戦の前に不服従を意味する三本指のサインを出した。国際映像のカメラに向かって国に対する抗議行動をしたことで、彼は安全に国に帰ることができなくなり、日本への政治亡命を余儀なくされた。その深刻さは二か月という速さで日本の入管から難民認定されたことからも伺い知れる。「何の罪も無い若者を虫けらのように殺す、そんな政府を私は許せませんでした。その不当性にNOと言ってくれるというミャンマーサッカー協会の言葉を信じて日本に連れて来られましたが、結局はだまされたと思いました」(ピエリアンアウン)。何度も書いているが、ピエリアンアウンは、サッカーに政治を持ち込んだのではなく、自らの危険を顧みずにサッカーを政治から守ったのである。

2021年6月16日,関西空港で亡命を決意してチームと別れたピエリアンアウン選手 ©KIMURA Yukihiko

主語を明確にするならば、ミャンマーサッカー協会の会長は今回、宮本恒靖会長と並んで協力協定の調印式で写真に納まったゾーゾー氏である。裸一貫で財閥を築きあげたゾーゾー氏は極めて国軍に近い政商として知られている。ラカイン州の少数民族ロヒンギャの虐殺が行われた2017年には、軍に向けて多額な寄付をしていることが問題視されており、2019年には、国連が刑事訴追を求めている。

バングラディッシュ、クトゥパロンの難民キャンプ。ミャンマー国軍兵士による組織的「性テロリズム」の被害を語るロヒンギャの女性たち ©KIMURA Yukihiko
バングラディッシュ、クトゥパロンの難民キャンプ。ミャンマー国軍兵士による組織的「性テロリズム」の被害を語るロヒンギャの女性たち ©KIMURA Yukihiko

同じ人間をなぜ殺せるのか 軍と複合企業の関係

虐殺を繰り返す国軍に向けてその系列企業を介して流される資金については以前からも問題視されていた。そもそもが、ミャンマー軍の末端の兵士が、同じ階層の出身と思われる市民になぜ、銃を向けられるのか?そこにこの国軍系企業の問題が潜んでいる。ミャンマー問題の専門家である上智大学の根本敬教授によれば、ミャンマー軍は、1948年の独立以来、外国ではなく、国民である国内の諸勢力を敵として 戦闘を続けてきた世界でも類をみない軍隊であるという。そこでは、国軍系複合企業体という巨大な利権が築かれており、国民の中に支持基盤を作らずとも、軍およびその関係者や家族は特権階級としてその利権だけで食べていける構造が出来ている。これでは到底、同じ階層=人間とは見なされない。クーデターを機会に自らの良心に従って軍を離れた元将校たちも軍の高官たちが、経営陣に名を連ねる軍系複合企業の存在とその特権性を指摘している。NHKが2021年に行った調査報道によれば、キリンホールディングスが合弁をしていたミャンマーエコノミックホールディング社=MEHLは軍人や軍組織に配当金というかたちで20年間で約2兆円もの額が流れていたことを突き止めている。

 キリンも人権状況を見て撤退

 日本代表のスポンサーであるキリンはクーデターの前から、国際人権団体アムネスティインターナショナルより、「キリンの子会社のミャンマーブルーワリーが、都合3回の寄付をミャンマー国軍と当局に渡していた」と指摘されていた。独裁を敷くミンアウンフライン将軍が、その寄付を受け取る映像がTV放送されており、将軍も「献金の一部はラカイン州の治安維持部隊に渡る」と述べている。2015年にミャンマーに企業進出したキリンはミャンマーエコノミックホールディングス社=MEHL社との事業を展開していた。しかし、MEHL社が国軍閥の企業であったことから、2021年のクーデターで合弁を解消するに至った。同年2月5日のキリンの広報によるリリースには、「ミャンマーにおいて国軍が武力で国家権力を掌握した先般の行動について大変遺憾に思っています。今回の事態は、当社のビジネス規範や人権方針に根底から反するものです」として、クーデターに対する自社の姿勢を表明した上で、「現在の状況に鑑みるに、国軍と取引関係のあるMEHLとの合弁事業の提携自体は解消せざるを得ません」と結んでいる。

 2023年1月23日にキリンは国軍企業との合弁会社MBLの全保有株式をMBLに売却し、ミャンマーから撤退した。チョー・モー・トゥン国連大使は軍の利権構造を壊し、流れる資金を断ち切るべきだと主張している。スーチーのNLD政権はこの構造にメスを入れようとしたためにクーデターを起こされたとも言われている。

 キリンも自社の人権方針を鑑みて、MEHLから手を引いた中で、なぜ日本サッカー協会はこのタイミングで国軍への寄付が問題視されたミャンマーサッカー協会会長と協力協定を結んだのか。在日ミャンマー人たちの嘆きと当然理解できるものである。ハンセインもミンスイもサッカーそのものを深く愛しており、日本の支援には感謝を惜しまないが、なぜ今なのか?を激しく問う。それは政治ではなく、人道・人権についての叫びである。

 世界と時代の中でスポーツ競技団体としてどうふるまうべきか

近年の戦争において他のサッカー協会はどうふるまったか。2022年2月24日にロシアがウクライナ侵攻を始めると、その2日後にポーランドサッカー協会はW杯欧州予選プレーオフでのロシアとの対戦拒否を表明した。経緯について、PZPN(ポーランドサッカー協会)のピオトル・シェファー事務局長に聞くと「これはエースのレバンドフスキ以下、選手たちの総意だった。そしてサポーターもそれを支持した。例えW杯に出場できなくても侵略戦争を見逃したくないという意志を示したのだ」PZNZは制裁覚悟でボイコットを宣言したが、FIFAはロシア側に否があるとして出場停止にしている。

ポーランドサッカー協会ピオトル・シェファー事務局長©KIMURA Yukihiko
ポーランドサッカー協会ピオトル・シェファー事務局長©KIMURA Yukihiko

今回は、アジアサッカー連盟がヤンゴンでの試合開催を決めている以上、日本サッカー協会としては粛々と試合に集中する他はない。

ただ、問題を考えることはできる。(時あたかも「関心領域」という映画がヒットしている)在日ミャンマーサッカー連盟の人々の問いかけには、キリンのように独自の調査をする、あるいは何からの声を発信することは必要ではないか。ミンスイイ、ハンセインらもまたサッカーを愛する者としてボイコットなど望んではいない。申し入れを要約すれば、「クーデターや虐殺を覆い隠すようなミャンマー政府のスポーツウオッシングには加担しないで欲しい」という事だ。FIFA(国際サッカー連盟)は差別については、ゼロトレランスを打ち出している。ジャンニ・インティファーノ会長は「FIFAとサッカー界は、人種差別やあらゆる形態の差別の被害者に全面的な連帯を示す」とXで主張している。ミャンマーの国軍政府は、市民による公正な選挙結果を侮辱し、民主化を望む人々をテロリストと呼んで殺害や拷問を繰り返している。国軍が行う弾圧はいわば、その差別の究極の形である。踏み込んだ表現が困難ならば、「JFAはすべての差別に対してNOを突き付ける」でも良い。

ちなみに2019年6月には、迫害されてバングラディッシュに逃れたロヒンギャの巨大難民キャンプを長谷部誠選手が日本ユニセフ協会大使として訪問し、大歓迎されている。

2019年 ロヒンギャ難民キャンプを訪問した長谷部誠選手 日本ユニセフ提供

イビツァ・オシムが生前、三民族に分断されたボスニアサッカー協会を統一できたのは、ユーゴ代表監督時代の公正な振る舞いによって大きな信頼を得ていたからである。

ミャンマーにはいつか平和が訪れる。必ず訪れなくてはいけない。真の民主化を成し遂げれば、国軍と系列企業の闇が暴かれるだろう。そのときに「あのときの日本サッカ-協会の対応には本当に感謝している」と言われるような組織であって欲しい。

ジャーナリスト ノンフィクションライター

中央大学卒。代表作にサッカーと民族問題を巧みに織り交ぜたユーゴサッカー三部作。『誇り』、『悪者見参』、『オシムの言葉』。オシムの言葉は2005年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞、40万部のベストセラーとなった。他に『蹴る群れ』、『争うは本意ならねど』『徳は孤ならず』『橋を架ける者たち』など。

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