地下鉄サリン事件・がんばり続けた25年、遺族の高橋シズヱさん「どうかバトンを受け取って」
オウム真理教が地下鉄サリン事件を引き起こして25年となる3月20日、東京メトロ・千代田線霞ヶ関駅の事務所に献花台が設けられ、遺族の高橋シズヱさんが訪れて献花した。
事件当時、同駅助役だった夫の一正さんは、乗客から「異臭がする」という通報を受けて、教団幹部の林郁夫(無期懲役刑で服役中)が電車内に置いたサリン入りビニール袋を片付け、倒れた。運ばれた病院に、シズヱさんも駆けつけたが、夫はサリン中毒で亡くなっていた。
被害者の先頭に立って奔走
その後シズヱさんは、林や麻原彰晃こと松本智津夫らの裁判傍聴を続ける一方、「被害者の会」代表世話人として被害者たちの声を聞き、まとめ、様々な形で発信した。街頭で署名を集め、国に働きかけ、オウム犯罪被害者救済法の制定など、被害者救済のために先頭に立って奔走してきた。アメリカに渡って、9.11同時多発テロ事件の被害者遺族とも交流するなど、海外の被害者対策を学んでは、日本での活動に生かした。
2011年に裁判で13人の死刑が確定した時には、「もう事件から離れたい」と思った、という。しかし、12年の元旦、朝5時から電話が相次ぎ、逃走犯の出頭を知らされた。3人の逮捕後、新たに始まった被害者参加人の制度を利用して裁判にも参加した。
「結婚から今日まで後悔はありません」
「この間、いろいろと勉強させられましたし、自分で勉強もしてきました。姿形はなくても、ずっと主人と一緒に行動してきました。事件が起きた日は人生で最悪の日でしたが、結婚してから今日まで、後悔していることは何一つありません。これまで支えてくださった方々に感謝しています」(シズヱさん)
毎年3月には集会を開き、若い世代にも事件を伝える役割を果たしてきた。25年となる年を、シズヱさんはそうした活動の節目と受け止めている。この14日に予定していた集会は、被害者主催の最後のイベントになるはずで、遺族や被害者らのスピーチを準備していた。しかし、新型コロナウイルス対策として様々な集会の自粛が要請される中、開催を断念した。
落胆と共に、これまでの疲れが一気に出たようだ。
「少しゆっくりしたい。これからは静かに主人との思い出を振り返ることが多くなると思う」
「政府の方々やオウム事件の教訓を行かず関係省庁や団体の方に、どうかバトンを受け取っていただきたい」
それでも、事件を起こしたオウム真理教が、名前を変え、活動を続けていることは気になっている。
「本質は、事件を起こした時のオウム真理教と変わらないと、公安調査庁のホームページでも報告されている。そういうところに、若い人たちがまた取り込まれて人生をむちゃくちゃにしてしまうんじゃないかという危険性を感じる。そういうカルトに入らないよう、注意して欲しい」
若い世代がカルトの被害者にも加害者にもならないように――。被害者・遺族からのバトンには、そんな強い願いが込められている。