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「踊らな損々…」となった日本のハロウィンを思う

にしゃんた社会学者・タレント・ダイバーシティスピーカー(多様性語り部)
(写真:ロイター/アフロ)

2015年の秋はいつもと違い、ハロウィンが盛り上がっている。その経済効果もバレンタインを抜いたとも言われている。メディアも完全にハロウィンにジャックされている。秋に収穫祭を行う農耕民族日本人のDNAがここに来て一気に呼び覚まされたとでもいうのか、それとも山積みになっている国会・政治から国民の意識を逸らすための陰謀なのか。

いずれにしてもハロウィンを通して見えるこの国は面白い。日本人は、違う文化の受け入れに対して、柔軟なのか、得意中の得意というか、お家芸というか、節操がないというか、…この場合、はたしてどの言葉が適切なのかももはや解らない。

「えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ…」筆者の頭の中で何故か、徳島の阿波踊りの歌が再生される。「…踊る阿呆(あほう)に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々…」という言葉こそ聞こえないが、老若男女が一緒になって「踊らな損々」と言わんばかりにハロウィンを舞っている。

自分がもちあわせていない他の文化を自文化にする過程について聞いたことがある。まず新しい文化を観察するのだという。次はその文化の真似をし、最後に自文化にするそうである。

他文化を自文化にする過程が必ずしもスムーズにいくわけでもない。失敗も起こる。その過程を上手に描くのはおそらく落語である。上手な人の真似をしようとして失敗することが笑いを生む。賢い人がうどん屋を相手に上手く銭を誤魔化したように自分もやろうとして失敗するアホめを描いたのは「時うどん(時そば)」である。

筆者は「おしぼり」をはじめて見た時は、てっきり春巻きだと思い、口に運んだことを懐かしく思い出す。かつて天皇陛下も海外での晩餐会においてフィンガーボールをスープと間違われたと聞いたことがある。

ハロウィンを象徴するジャック オーランタンも今年になって一気に増えた。カボチャに顔を彫る時期が早まり、ハロウィンの31日をまたずして萎れ(しおれ)てしまっているカボチャも少なくない。来年からはギリギリまでカボチャを切らず、それまでは顔の形のステッカーを貼って対応しようと反省している者が私の周りだけでも数人はいる。

我が家の子どもの場合は「トリック オートリート」とお菓子を強請う掛け声も途中からは勢い余ってか「トリック オートリート」が「トリック オー トリートメン」という新しい言葉にすり替わっている。それに対応するこっちはと言うと「ハッピー ハロウィン」と言うべきところが、口からでてくるのは「ハッピーバレンタイン」でなんとも恥ずかしい。日本語覚えたての頃、タクシーを降りたく「ここで降ろして」言っているつもりが「ここで殺して」と叫んでいた。落語のアホめと自分自身が重なる。異文化に触れた時は、誰しもがアホめを経験する。考えれば、失敗しながら、新しい文化を取り入れて自分のものにする過程こそが面白いのかも知れない。

それにしても、日本は他文化を受け入れるときに「骨抜きにする」とはよく言ったものである。子どもの祭りであるハロウィンは日本では大人の仮装大会と化している。日本において、ハロウィンも、バレンタインも、クリスマスも…その文化に元来宿っている精神論などを知る者はおらず、とくに興味があるわけでもなさそうである。

シルクロードの終着点としての日本は世界からいろんな文化を受け入れてきたが、全てがハロウィンのようだったかとも想像したくもなる。仏教一つとっても日本の現状は原型と比べて跡形もなく随分と変化を遂げている。輪廻転生を説いた仏教だが、日本では年に一度、お盆になれば先祖にだって再会できる。原始仏教を信じる者にとって日本の仏教はどこか羨ましくも思える。

日本のハロウィン文化の受け入れる姿勢を見て何か言えることはないか。日本人にとってお家芸なのか、節操のなさなのかのいずれであっても、違う文化を自文化にするたくましさは誰の目から見ても賞賛されることは間違いない 。提案があるならば、せっかくだから精神論まで取り入れてはどうかということが一つである。さらには、違う文化を日本文化に同化することなく、違う文化のまま日本社会で存在するように出来ないのか、現状出来ていない理由などと合わせて考えても良い。ハロウィンのような無形文化の受け入れと有形の異文化の人間を受け入れるとでは大きな差があることにも気づくに違いない。最後になるが、新しい文化が増えると反比例して古き良き日本の文化を忘れさるようなことがあっては言わずしてこんなもったいないことはない。

社会学者・タレント・ダイバーシティスピーカー(多様性語り部)

羽衣国際大学 教授。博士(経済学)イギリス連邦の自治領セイロン生まれ。高校生の時に渡日、日本国籍を取得。スリランカ人、教授、タレント、随筆家、落語家、空手家、講演家、経営者、子育て父などの顔をもっており、多方面で活動中。「ミスターダイバーシティ」と言われることも。現在は主に、大学教授傍ら、メディア出演や講演活動を行う。テレビ•ラジオは情報番組のコメンテーターからバラエティまで幅広く、講演家として全国各地で「違いを楽しみ、力に変える」(多様性と包摂)をテーマとする ダイバーシティ スピーカー (多様性の語り部)として活躍。ボランティアで献血推進活動に積極的である。

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