「日本語分かっていただけましたか」茂木外務大臣の振る舞いをどう見るか
茂木敏充外務大臣が8月28日の記者会見において、英字新聞ジャパンタイムズの記者の方(以下「記者」)からの日本語での質問にあえて英語で聞き返す、また、同じ記者とのやり取りの最後に「お分かりいただけましたか。日本語、分かっていただけましたか。」と相手の日本語能力を貶めるような確認をするという出来事があった。
茂木大臣によるこの振る舞いをどう見るか。私はその前提として、記者からのそもそもの質問の内容や文脈を理解することがとても重要だと考える。当該のやり取りはそれほど長くないので、まずは外務省が公開している以下の動画(2:15頃〜)や会見記録を見てほしい。
【ジャパンタイムズ 大住記者】2点お伺いします。入国規制が、外国人を対象にした入国規制が緩和される方向であるというふうに伺っているんですけれども、その方向性の中には、在留外国人は日本人と同じような、それに似たような条件で入国が認めるようになるかというその方向について、それは1点で、2点目はそもそも論として、この在留外国人を含めた規制は、特に在留外国人を対象にした入国規制は、どういった、その背景になった科学的な根拠を具体的に教えてください。
【茂木外務大臣】まずこういう在留資格を持つ方々、今、日本にいらっしゃる、もしくは在留資格を持っていったん海外に出られている方、そういった方々の入国もしくはその再入国を認める方向で、今、最終調整をしているところであります。
そしてこれは、日本に限らずあらゆる国が、今、新型コロナウイルスの中で、水際措置、これをとっている状況であります。それぞれの国によりましてやり方は違ってくるわけでありますけれども、まさにそれは各国の感染症対策であったりとか主権に関わる問題でありまして、各国がとっている措置、日本としても適正な措置をとっていると考えております。
【ジャパンタイムズ 大住記者】すみません、科学的な根拠について。
【茂木外務大臣】What do you mean by scientific?
【ジャパンタイムズ 大住記者】日本語でいいです。そんなに馬鹿にしなくても大丈夫です。
【茂木外務大臣】馬鹿にしてないです。いや、馬鹿にしてないです。全く馬鹿にしてないです。
【ジャパンタイムズ 大住記者】日本語で話しているなら、日本語でお答えください。科学的な根拠の、同じ地域から日本国へ、日本国籍の方が外国籍の方と一緒に戻られて、全く別の条件が設けられ、その中には例えば事前検査だったり、同じ地域に住んでいるところから、全く別の条件で入って、入国が完全に認められないケースもあったんですね。それに関しては、その背景に至ったその違い、区別を設ける、その別の条件を設ける背景になった、背景にある科学的な根拠をお聞きしています。
【茂木外務大臣】出入国管理の問題ですから、出入国管理庁にお尋ねください。お分かりいただけましたか。日本語、分かっていただけましたか。
このやり取りで見逃すべきでないのは、最終的に茂木大臣が質問の核心部分に答えずに済ませているということだ。
なぜそこを重視するか。それは、茂木大臣が質問者の日本語能力を疑問に付すような一連の高圧的な振る舞いをしているのは、大臣が市民への説明責任を果たすべき場としての記者会見において、答えたくない質問に答えない責任から自らを免除し、それを質問者の言語の問題にすり替えるという効果を狙ってのことであるように見えるからだ。
つまり、答えないのは自分ではなく記者の方が悪いのだというすり替えである。
では大臣が答えたくなかった記者の質問とは何だったか。記者が繰り返し聞いている(一度目の質問でスルーされたので、再度聞き直している)のは、日本政府が4月から導入した在留外国人に対する(再)入国規制の科学的な根拠についてである。
日本政府は、この規制によって、たとえ「永住者」の在留資格を持っていたとしても、あるいは日本が主たる生活の拠点になっていたとしても、原則として日本国籍を持っているか否かという線引きによって後者の日本への再入国を拒み続けてきた。日本国籍を持たない日本の住民に対して極めて厳しい規制を敷いてきたのだ。
この線引きに一体どんな科学的根拠があるんですか、というのが記者の質問の率直な趣旨だろう。茂木大臣は「適正な措置」だと言うが、なぜそれが「適正な措置」だと考えているのか、その筋道を示してほしいということだ。
質問の趣旨はクリアで、そもそも茂木大臣もこの論点はよく知っているはずである(再入国規制については外務省のHPにも掲載されているし、今後の規制の緩和については安倍首相も発言している)。
短期の観光客の入国を一時的に規制するのはともかくとして、中長期の在留資格を持つ人々については、日本国籍を持つ人と同様に検査や自宅待機をすればいいだけのことで、国籍に基づく差別的な扱いをすべきではないのではないか。そうした声はこれまでもずっとあった。
例えばこの米NYT紙の記事(東洋経済オンライン翻訳)では、在日米国商工会議所のクリストファー・ラフルアー会頭による「外国籍の住民に対する事実上の差別だ」という言葉も紹介されている。
他の政策分野と同じく、政府が市民に課す規制が厳しければ厳しいほど、その合理的な理由づけ、科学的な裏づけの説明が求められるのは当然のことだ。
日本国籍を持たない住民に対してのみ厳しい規制を課してきたことについて、もし仮に何らかの筋道立った理由づけが存在しないのであれば、それは日本政府が日本国籍を持たない住民の存在を軽視していることの証拠にしかならないだろう。普段は「多文化共生」などと言っていても、いざ緊急の状況となれば、その権利を説得的な根拠なしに厳しく制限することも辞さないという話だからだ。
だからこそ、もし仮にそうでないと言うのなら、例えば感染症対策という観点からのデータやエビデンスに基づく何らかの理由があると言うのなら、この質問に政府がきちんと答え、その論理を示すことはとても重要なのだ。
そして、繰り返しになるが、茂木大臣がはぐらかした(二度にわたってスルーを重ねた)のはまさにこの質問なのである。日本語の質問に英語で答えたり、「日本語分かっていただけましたか」と言って質問者を見下するような振る舞いをしたのは、この質問を乗り切るという文脈においてなのだ。
ここから言えることが少なくとも二つあるように思う。
まず一つは、日本政府による長期間にわたる日本国籍を持たない市民への再入国規制には、結局のところ合理的な根拠はなかったのだろうということだ。あるのなら率直に言えばいいからだ。説明すればいい。それでおしまいだ。しかし、茂木大臣はそれを避けた。
「適正な措置」を取っていると外務大臣として答えた直後に、ではその適正であるということの根拠は?と問われると、件の一連のやり取りではぐらかし、最終的にうちじゃなくて入管庁に聞いてくれと逃げる。詰まるところ説得的な答えを持っていないわけである。
もう一つは、こうした日本政府による緊急時を理由とした政策でも浮き彫りになった外国人、日本国籍を持たない住民への軽視が、今回の記者に対する茂木大臣の上から目線で侮辱的な振る舞いと完全にシンクロしてしまっているということだ。
彼は日本政府の政策が日本国籍を持たない市民を軽視しているという建前上は率直に言いづらいことの明言を免れたかったのだろう。しかし、その目的のために、海外にもルーツを持っていると思われた目の前の記者を侮辱し、その場を支配しようとするのでは、結局隠していた本音が見えてしまっているのではないか。
そして、そうした茂木大臣の振る舞いは確かにひどくねじれているが、その一連のねじれた振る舞いこそが、結果的に現時点での日本のありようを物語っているのではないか。
海外にもルーツを持ち、日本で暮らす方の中には、職場、学校、役所、その他日常の様々な場所で同じような侮辱を受けている人がたくさんいるだろう。あるいは、見た目から「外国人」だと一方的に見なされたり、その結果なぜかいきなり「英語」で話しかられる、こういったこともよく聞く話だ。
世界が広く、多様であるように、日本と日本以外の両方に関わりを持つ一人ひとりの背景も極めて広く、多様であるという当たり前の前提が大切にされない日常を、今日も多くの人が、この日本で経験し続けている。
外務大臣も一員として参加する「外国人材の受入れ・共生に関する関係閣僚会議」において、つい先日、7月14日に策定された「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策(令和2年度改訂) 」には、次の記述があった。
政策のあり方としても、政治リーダーの振る舞いとしても、自らが掲げた言葉の一つひとつを真剣に捉え、行動してほしいと思う。