妊娠や死産を言わなかったから遺体の梱包は遺棄に当たる。罪に問われたベトナム人実習生、控訴審判決の論理
1月19日水曜日、孤立出産での死産の末に死体遺棄罪に問われたベトナム人技能実習生リンさんに対する控訴審判決が下された。
「原判決を破棄する。」
判決冒頭で福岡高裁の辻川靖夫裁判長がこう述べたとき、熊本地裁での有罪判決(懲役8月、執行猶予3年)が覆され、逆転無罪が出るのかと思った。しかし、その直後に続いた言葉から、それが一瞬の思い違いであったことがわかった。
「被告人を懲役3月に処する。この裁判が確定した日から2年間その刑の執行を猶予する。」
控訴審は原判決の問題を認め、これを破棄した。だが懲役を8月から3月まで大きく減刑し、執行猶予も3年から2年へと短くしながら、それでもなお有罪を維持したのである。控訴審判決は一体何をしたのか。一審判決の何を否定し、何を残し、何を新たに付け加えたのか。判決文の論理を確認していきたい。記事の最後には主任弁護人の石黒大貴弁護士とのQ&Aを収録し、リンさんが会見で語った言葉も紹介する。
前提の確認:事実関係の争いはない
大事なことなので、最初に話の前提を確認しておく。この裁判の大きな特徴は、リンさんがしたことについて、事実関係における争いがないこと、そしてそのうえでリンさんが無罪主張をしていることだ。
つまり、共有された同じ事実や行為をめぐって一方の検察や熊本地裁、そして今回の福岡高裁は有罪を主張しており、もう一方のリンさんと弁護団は無罪を主張しているという構図になる。
リンさんは通常「死体遺棄」という言葉から想起されるような、遺体を傷つける、どこか遠くの場所に置き去りにする、土の中に埋めるといったことをしていない。
彼女と同様に孤立出産での死産後に死体遺棄罪に問われながらも不起訴になった事例が少ない中、起訴されてしまったリンさんの無罪を求めるおよそ6万筆の署名(控訴審時点)が国内外から日本語やベトナム語で集まった理由も、この事実に対する認識が広がったことが大きいだろう。
控訴審でも改めて確認された死産前後の事実関係は以下のようになる。
・2020年11月15日:前日夜からのお産の末、午前中に実習先みかん農家の寮の部屋で双子を死産。遺体を二枚のタオルでくるみ、双子の名前や弔いの言葉などを記した手紙とともに段ボール箱の中に入れ、それをもう一つ別の段ボール箱に入れて封をした。その箱はすぐそばの小さな棚の上の目に見える場所に置き、翌日午前まで遺体と共に一晩を過ごした。
・同16日:監理団体職員などに連れられて病院に行き、当初は否定したものの同日午後に医師に対して死産の事実を話した。その後病院から警察に通報がなされ、同じ病院にそのまま入院となった(数日後の退院とともに逮捕)。
このわずか1日余りの行為が刑法190条の定める死体遺棄に当たるのかどうか。問われているのはこのことである。
刑法190条:死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、3年以下の懲役に処する。
一審判決の振りかえり
昨年7月に熊本地裁の杉原崇夫裁判官は有罪判決を下した。これを伝えた記事には当時かなり大きな反響があり、その多くは判決に対して疑問を投げかけるものだった。
●「国民の一般的な宗教的感情」を害したので有罪。孤立出産で死産したベトナム人技能実習生、地裁判決の中身(21年7月28日)
熊本地裁は3つの争点について以下の判断を示した。
・リンさんの行為は「死産を隠したまま、私的な埋葬をするための準備」であって「正常な埋葬のための準備」ではないとし、「えい児を段ボール箱に入れて保管し、自室に置き続けた行為」が「国民の一般的な宗教的感情」を害するとして遺棄に当たるとした。【争点1:遺棄に当たるか】
・そして、「分別のある青年」であればそうすることが遺棄にあたることが「容易にわかったはずだ」として故意も認めた。【争点2:故意はあったか】
・さらに、たとえ孤立出産での死産後の肉体的な疲れや精神的なショックがあったとしても「まわりの人に、出産や死産を告白し、助力を求めることはできたはずだ」から「適切な葬祭義務を果たす期待可能性があった」とした。【争点3:期待可能性はあったか】
福岡高裁はこの一審判決を破棄した。後述するように、破棄の理由は一審判決がリンさんの行為が「遺棄に当たる」とした論理立ての根本部分を否定するものだった。
したがって、控訴審判決を理解するには、控訴審判決が一審判決を破棄した論理とそれでもなお有罪判決を維持した論理の両方に目を向ける必要がある。
不作為による遺棄は認めない
控訴審判決の論理をまとめると概ね以下(1)〜(3)のような構造になっている。
(1)原判決は被告人の行為が「作為による遺棄」と「不作為による遺棄」の両方に当たると認めたと解する
原判決は被告人が双子の死体を段ボール箱に入れた上で自室内に置いた行為を「作為による遺棄」に当たると認め、かつ葬祭義務を負う被告人が1日以上にわたって葬祭せず自室内に置いたままにした行為を「不作為による遺棄」に当たると判断したと解する。
(2)被告人の行為が「作為による遺棄」に当たることは認める→原判決の判断を是認し有罪維持
双子の死体を段ボール箱に入れたこと自体が遺棄に当たるわけではない。死体の梱包行為が習俗上の葬祭を行う準備や葬祭の一過程として行われたものであれば、死者に対する一般的な宗教感情や敬虔感情を害さず遺棄に当たらない(*一審の「国民の一般的な宗教的感情を害する」という言い方を控訴審判決は取らなかった)。しかし、被告人が段ボール箱に二重に入れ、十数片の接着テープで封をした行為は、葬祭の準備や一過程ではない。それは死体の隠匿行為であり、他者がそれらの死体を発見困難な状況を作り出すものだ。したがって、本件作為を死体遺棄罪の遺棄に当たるとした原判決の判断は正当として是認できる。
(3)被告人の行為が「不作為による遺棄」に当たることは認めない→原判決には法令適用の誤りがあるため破棄
葬祭義務者の不作為が遺棄に該当するのは、その者が死体を認識してから同義務を履行すべき相当の期間内に葬祭を行わなかった場合に限られると解するのが相当。被告人は死産翌日午後6時頃に医師に死産を告げ、そのまま入院しているため、葬祭義務の不履行があったと評価できる期間は1日と約9時間にとどまる。通常の葬祭であっても着手までにその程度の期間を要することもあり得るので、この期間の経過をもって葬祭義務を履行すべき相当の期間が経過したとは言えない。したがって本件不作為を遺棄に当たると認め、本件作為と合わせて刑法190条を適用した原判決には法令適用の誤りがある。
ここには明らかに重要な点が二つある。まず一つは不作為による遺棄の成立を認めなかったことだ。そもそも熊本地検の起訴からして、その公訴事実を「えい児2名の死体を段ボール箱に入れた上、自室内の棚上に放置し、もって死体を遺棄したものである」として、「放置」という不作為を重要な要素として遺棄だと主張していた。
熊本地裁も同様に「自室に置きつづけ」という形で採用したこの放置(葬祭義務の不履行)の論理でリンさんを有罪にすることを、控訴審は認めなかった。リンさんには確かに葬祭義務があったが、だからと言って1日と数時間その義務を果たさなかっただけで有罪とするのは間違っている、こうした判断が示されたと言ってよいだろう。
この判決はリンさんが無罪主張を貫かなければ、そして一審判決を受け入れずに控訴審に訴えることがなければ示されることはなかった。1日あまり葬祭義務を果たさなければ有罪だとする判決が確定せず、控訴審で覆ったことは、今後リンさんと類似の状況に陥る女性たちが罪に問われるリスクを確かに下げたと言えるのではないだろうか。だが、残念ながら話はこれで終わりではない。
作為による遺棄は認める
控訴審判決で重要な点のもう一つは、言わずもがな、段ボール箱に入れて周りから見えなくしたという「作為」をもって遺棄としていることだ。文字通り読めば、箱を1日あまり置き続けたこととは関係なく、遺体を外からわからない箱の中に収めたこと自体が遺棄なのだということを言っている。
この「作為による遺棄」の成立を認めるに際し、控訴審は一審判決が示した「私的埋葬の準備」だから遺棄にあたるという論理と、それに対して弁護側が控訴趣意書で提起した問題の処理から始めている。
弁護側の批判は、死体遺棄罪には予備罪がないのに、あたかもいまだなされていない未来の行為を罰するかのような一審判決の議論は、憲法が定める罪刑法定主義に反するものではないかというものだった。この点について控訴審判決は次のように述べている。
ここで控訴審が言っていることを要すれば、弁護側が言うように確かに予備行為を処罰することはできないということ、だが同時に一審判決がしたのは予備行為を処罰することではなかったと解釈するということだ。
つまり、一審判決はリンさんがこれからする行為の予備行為ではなく、彼女が現にした行為、すなわち遺体を箱に収めて自室内に置いた行為(≠置き続けた行為)自体を作為による遺棄と認めていたのだ、だから問題がないしむしろ是認するという論理を控訴審は展開したわけである。
私はこの点、控訴審がいかにも苦しいことをやっているように感じた。
今回、控訴審は、検察や熊本地裁が示したような「1日あまりの放置(葬祭義務の不履行)で遺棄にあたるという論理」は取り得ないという判断を示さざるを得なかった。そして、「いまだなされていない遺棄の予備行為をしたという解釈で有罪とすること」も、当然そんなことはできないという判断を示さざるを得なかった。
そうすると、それでもなおリンさんの行為が有罪と判断されうる最後の可能性は、「遺体を箱に収めた行為が(その後1日あまりの時間の経過と関係なく、そしていまだなされていない遺棄の予備行為としてでもなく)それ自体として遺棄だったのだという論理」の成立が示されることにしかない。
控訴審がやったことはまさにその論理を示すことであった。控訴審は「一審判決も作為による遺棄の認定をやっていたはずだ」という解釈を示しながら、一審からその不作為の部分を切り落としてもなお、「遺体を箱に入れた」という作為でもってリンさんに対する有罪判決を維持できるという論理を示したのだ。
遺体の梱包が全て遺棄ではない
だが、そうすると例えば自宅などで亡くなった家族の遺体を何らかの入れ物に収めたらそれだけで遺棄とされて有罪になってしまうのだろうか。控訴審はそうではないと言っている。判決文は先に引用した箇所から次のように続く。
ここは控訴審がリンさんの行為を有罪であるとした論理の根幹に関わる非常に重要な部分ではないかと思う。控訴審は、遺体の梱包行為の全てが遺棄に当たるわけではなく、それが葬祭の準備や一過程として行われた場合には遺棄に当たらないとしている。さらにその「(梱包)行為が外観からは死体を隠すものに見え得るとしても」なおそうだと言っているわけである。
葬祭の準備や一過程として行われる梱包行為も含めて、たとえそれが外から遺体が入っていると一見してわからない形での梱包であったとしても、それらの行為を丸ごと全て有罪だとしてしまうことは流石にできないということであろう。常識的に考えて当然だと思える。
では、この控訴審自身が展開した論理をリンさんの行為にそのまま適用するとどうなるだろうか。私には無罪になっておかしくないと思えるのだが、控訴審はむしろこの論理をもってリンさんを有罪と判決したのだ。
詰まるところこういうことだ。遺体の梱包行為は葬祭の準備や一過程ならば問題がない。しかし、それが葬祭のためでなく隠匿のためであれば有罪だ。そしてリンさんの行為は隠匿行為だったので有罪だ。確かに予備行為を裁いてはならないが、梱包行為が遺棄に当たるかどうかを判断するために事後の行為への意図を考慮することは問題がないし、一審が「私的埋葬の準備」などと言っていたのはまさにそれをやっていたのであって問題がない。これが控訴審の示した論理である。
そうだとすれば当然、控訴審が主張する、リンさんの行為は葬祭の準備でも一過程でもなく隠匿だという主張自体の正当性や説得力が問われることになる。その際常に忘れてならないのは、リンさんが精神的かつ身体的な疲労や痛み、ショックの中にあってもなお、双子の遺体を二枚のタオルで丁寧にくるんでいたこと、双子の名前を考え、弔いの言葉などと共に記した手紙を書いて遺体に添えていたこと、こうした揺るぎのない事実に加え、我が子が寒くないようにとの気持ちで箱に収めたとリンさんが話していること、それらをもって弁護側が一貫して同じリンさんの行為を遺体の「安置」だと主張してきたことだ。
さらに言えば、そもそも熊本地裁すらリンさんの「えい児を愛おしむ気持ち」を認め、彼女が「ていねいに段ボールに入れ、埋葬するつもりで自室に置いている」としていたことも改めて想起されるべきだろう。控訴審は、一方では一審による作為の認定は正当だと言いながら、にもかかわらずその同じ一審が曲がりなりにも認めていたリンさんの葬祭への意思すら否定している。ここには矛盾があるのではないか。
視点を変えれば、「不作為」による遺棄の成立を否定したことで、リンさんの行為をどうにかして葬祭の準備や一過程であることから切り離し、単なる隠匿行為であると言い切れなければ、「作意」としても彼女の行為は遺棄になりようがない、原判決破棄、減刑、しかし有罪維持という控訴審判決の背後に、そうしたぎりぎりの構図が見えてこないだろうか。
妊娠や死産を言わなかったから梱包行為は隠匿
それでは、控訴審がリンさんの行為を葬祭の準備でも一過程でもなく隠匿だと判断した根拠として示されているいくつかの理由づけを見てみよう。
(1)被告人がしたような形で遺体を梱包することは通常の葬祭に必要なことではない
被告人は遺体を段ボール箱に二重に入れて合計十数片のテープで封をした。その段ボール箱は棚の上に置かれた梱包済みの荷物にしか見えず、その中に死体が入っていると推測できない状態で置かれていた。このような態様で死体を梱包することは、火葬や埋葬を行ったり、その過程で死者を弔う儀式を行ったりする上で通常必要なことではない。
(2)被告人は葬祭の準備や一過程として遺体の梱包をしたとは言っていない
被告人は原審で双子の遺体が布団の上に転がっている状態では可哀想に思い段ボール箱に入れることで寒い思いをしないで済むと思った旨を述べ、自分が元気になったら土中に埋葬しようと思っていた旨を述べている。しかし、段ボール箱に二重に入れ、接着テープで封をすることなどが葬祭の準備や弔う上で意味あることであったなどとは述べていない。そのほかに葬祭の準備や一過程として、上記行為をしたと伺わせる事情はない。
(3)被告人が妊娠や死産について否定していたことなどから、遺体の梱包行為も隠匿する意思があったと認められる
被告人は出産前の段階で農家の代表者や監理団体職員から妊娠について尋ねられたことがあったが妊娠していないと答えていた。また、死産後に監理団体職員等に連れて行かれた病院では、医師に認める前に最初は妊娠していないと言っていた。遺体の梱包行為の内容及びその前後の被告人のこうした言動からすれば、被告人は双子の死体を隠匿する意思をもってその行為をしたと認められる。
控訴審判決は遺体を外から見えない形で梱包するだけでは遺棄とは言えない、それが葬祭の準備や一過程でないことが示されてはじめて遺棄に当たるという論理立てになっていることは先に述べた。
だからこそ、(1)や(2)は、箱が二重になっている点やテープの数など梱包の仕方の細かいディテールを取り上げて強調し、そのような梱包が葬祭に「通常必要なことではない」と言いつつ、彼女自身も葬祭のためにそのようにしたとは言っていなかったではないかと主張しているわけである。
葬祭に必要な行為/不必要な行為という恣意的な線引きを持ち込むなどした(1)(2)の理由づけになんとも言えない強引さを感じると共に、やはり最大の問題を感じたのは(3)だ。
死産前の段階で妊娠を実習先の社長に言っていなかったではないか、死産後も病院で一時的に否定していたではないか、こうした遺体の梱包と直接関係のない言動をもってきて、リンさんが双子の遺体を箱に収めた行為は隠匿目的であったはずだ、葬祭とは関係がないはずだと決めつけてしまって本当にいいのだろうか。
控訴審の論理展開を丁寧に見ていくと、結局のところリンさんは双子の遺体を箱に収めたことそれ自体よりもむしろ、実質的には妊娠したことを勤め先の社長に言わなかったことを裁かれ、そして監理団体に連れて行かれた病院で死産を最初から告白できなかったことを裁かれているようにすら思えてくる。判決文中の次のような言い回しにおいて、一体彼女の何が「非難」され、罪に問われているのだろうか。
来日前に150万円の借金を抱えて来日したリンさんは、妊娠について雇い主や監理団体に告げれば意思に反して帰国させられるかもしれないと本気で恐れていた。控訴審は「相談する機会が十分にあった」と簡単に言い切っているが、彼女は言わなかったというより、言えなかった。技能実習制度と共にある日本社会が口を塞いだのである。
もちろん全ての実習生が同じ状況にあるわけではない。だが政府が把握できたもののみに限っても、2017年11月から2020年末までのわずか3年強で、妊娠または出産を理由とする技能実習の継続困難事例は637名にも及ぶ。こういう事実が厳然としてあるのだ。
妊娠のことを誰にも言えない、安心して相談できる人がいない、あるいは病院を受診できないという人は技能実習生に限らず決して少なくない。そして、止むを得ずハイリスクな孤立出産へと至り、さらにその中で死産を経験するという人もこの社会には確実に存在する。
重要なことはそれらのいずれについても直接罰する法律などないし、罰されてはならないはずだということだ。その根本の部分が、リンさんが通過した具体的な経験に対する死体遺棄罪の強引な適用と論理立てによって、掘り崩されてしまっているように思えてならない。
そもそも職場の代表に妊娠のことを言わなければならないという話の前提自体がおかしくないだろうか。妊娠を言わなかったことも孤立出産に陥ったことも罪ではない。これは何度でも確認しておきたい。
主任弁護人の見解
最後に、リンさんの主任弁護人を担当する石黒大貴弁護士に伺った話をQ&Aの形で紹介する。
――遺体を箱に二重に収めて封をして棚に置いたこと(≠置き続けたこと)で死体遺棄が成立するという今回の控訴審判決に類似する判例はあるのでしょうか?
リンさんと同じようなケースで隠匿かどうか争いになったケースは私の知る限りありません。一般に、タンスの中、押入れや床下に隠す行為が隠匿として有罪になったケースがあります。一方で、殺害された人の上にビニールシートを覆いかぶせて、さらにその上に伐採した木を置いたケースにおいては、隠匿が否定されています。
――これまで不作為に関する議論の中で、遺体をただ放置するだけでなく、場所的に離れたり、一定の時間が経過したりしたケースしか死体遺棄罪が成立した判例がないということを示されてきました。控訴審が示した「作為による遺棄」の成立の文脈でも、時間経過などの要素は関係するのでしょうか。
時間的要素は上告審において重要になってきます。令和3年の福岡高裁第1刑事部が無罪判決を維持した太宰府市主婦暴行死事件では、「隠匿による死体遺棄罪が成立するには、当該行為により、それ以前の状態に比較して単に死体発見が容易でなくなったというだけでは足りず、死体発見の困難さが、その程度においても、時間的にも死者を悼み、適時適切な埋葬を妨げるに足りるものであることが必要である。」としています。
福岡高裁は、葬祭義務者による不作為の死体遺棄罪が成立するには相当期間の経過が必要であるとして、1日と9時間後に死産を告白したリンさんに放置の死体遺棄罪を認めませんでした。リンさんの場合、葬祭義務者であり、作為においても同様に時間的な「幅」を考える必要があります。なぜなら床下に隠したり土中に隠す行為を除けば、自宅で死産となった場合、死産した後の休息やどこに頼れば良いのか調べたり考えたりする間に、遺体を安置することはあっていいはずです。
妊娠を言えなかったリンさんの行動が葬祭に必要か不必要かで判断されていて、不必要であれば隠す効果があるから有罪としている。それは結局のところ、葬祭に向けた完全な準備でなければ犯罪が成立すると言っているに等しいです。それでは、自宅で死産した場合に遺体をそのままにしておかなければ犯罪が成立してしまうわけです。葬祭義務者によって適時適切な埋葬を妨げたかどうか判断する上で、葬祭のために必要な期間が経過していないうちは、葬祭に必要か不必要かの議論をすることはナンセンスです。死産直後の女性に対して安置するなら完璧にやりなさいと言っているに等しく、適切でありません。
――控訴審判決は遺体の梱包行為それ自体は遺棄ではない、葬祭の準備や一過程ではなく隠匿だから遺棄なのだと言っています。作為による遺棄を認めたこの論理についていかがでしょうか。
確かに梱包そのものは遺棄じゃないと言っていますよね。前後の妊娠や死産を隠したかったという言動から隠匿を認定したわけですが、そこから死体を隠すという認定は飛躍していると思います。死者に対する敬けん感情を害する隠匿が死体遺棄にあたるわけですが、彼女は、雇用主や監理団体には言えなかっただけで、遺体の存在を社会的になかったものにしようとしたわけではありません。
また、彼女は二重にしたのも赤ちゃんが寒くないようにと言っています。棺に見立てておこなった行為ですから、封をしちゃならんとはならないでしょう。衛生上も空気に触れさせるよりも封をした方が良い。むしろ、ぱかっと開けた状態にして入れるのであれば罪に問われないのかというところも問題です。何れにしても、彼女のとった行動が葬祭に必要か不要か、そういった完璧でないことを指摘して罪にしているとしか思えません。隠す意図を認定したいのであれば、一審に差し戻すべきでした。
――控訴審判決は一審判決の作為部分を是認すると言いつつ、同時にリンさんの行為を葬祭の準備や一過程でなく隠匿だとすることで、一審判決の「私的埋葬の準備」や「ていねいに段ボールに入れ、埋葬するつもりで自室に置いている」という話とは矛盾があるように思えました。控訴審判決が是認したとする一審判決における作為と、控訴審判決自身が示した作為による遺棄の認定の論理とは同じものなのでしょうか。
この点、実は研究者でも意見が分かれます。私は新たな作為を認定したと考えています。というのも、一審は①ダンボールに入れたという作為と②それを置き続けたという不作為で有罪認定しています。通常、作為で有罪認定できるならその時点で既遂なので、不作為について判断する必要はありません。ですから熊本地裁では①のみでは有罪にできないので、②を認定しました。しかし福岡高裁は②を否定した。そうすると①のみでは無罪になるので、①について判断し直して新たに隠匿として認定したと考えます。
――わずか1日あまりの不作為をもって遺棄とみなすのはおかしいという一審判決の問題を指摘した主張については控訴審判決で認められたという理解でしょうか。
不作為の点については、これまで裁判所が言ってこなかった新しい規範として意味を持ちます。死産当日何もできなかったことで罪に問われるかという問題に対しては、捜査機関に対する一定の抑制をかける効果があると思います。しかし、今回のような彼女の優しさ、弔いの感情からなされた行為について、少しでも外から見えにくくしたからといって罪に問うとなれば、死体に触ることもできず、そのままほったらかしにすれば良いという話になりますよね。相当期間の経過がないと放置による遺棄は成立しないのですから。
リンさんの受け止めと最高裁への上告
リンさんは19日の判決後の会見で最高裁への上告の意思を示していた。そして、実際に1月31日に最高裁へと上告をしたとのことだ。彼女の無罪主張の根幹は今も全く変わっていない。
「私は、子どもの遺体を捨てたり、隠したりしていません。この判決には納得できないので、最高裁判所へ上告して、無罪を実現したいと思います。」
リンさんは会場からの質問に答えてこうも述べていた。
「今日の結果はすごいがっかりしました。もし裁判官が、苦しんでいるお母さんが出産したり死産になったりしたら、技能実習生が苦しんで、社長さんや会社や監理団体が帰国させたり、圧迫したり、そんな気持ちがわかったら、多分結果が違うと思います。」
最高裁は彼女の訴えをどう受け止めるのか。リンさんの無罪を求めるオンライン署名は現時点で6万3千筆を超えている。
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