Yahoo!ニュース

【富士宮市】徳川家康への願出が水不足だった富士宮市を救った!『北山本門寺』には驚く歴史がいっぱい!

渡辺雅来地域情報発信ライター・執筆家(富士宮市・御殿場市)

北山インター近くの『北山本門寺』その大きな山門が目を引きますが、このお寺がどんなお寺か知っていますか?

山門横にある境内地図
山門横にある境内地図

西山本門寺、 大石寺、 下条妙蓮寺、 小泉久遠寺とともに同門流の「富士五山」を構成するお寺で、日蓮大聖人の直弟子、日興上人により開創された由緒あるお寺です。

お題目杉
お題目杉

広い境内には開山した日興上人がお手植えしたとされるお題目杉があります。お題目杉は昭和32年に静岡県指定の天然記念物に指定されています。私が両手を伸ばしても抱えきれないくらいの太くて立派な幹は、まっすぐに空を差しています。
日興上人は、1298年に重須の地に御影堂と垂迹堂を建立してそこに移ったと言われていますので、その頃に植樹したと推定して樹齢は約724歳!立派なはずです!

日興上人の廊
日興上人の廊

35年にわたって在住した重須の地で入滅した、日興上人の墓所は本堂の裏側に、境内を見守るようにありました。

日興上人入滅の地でもある北山本門寺。実は富士宮市の発展、そして徳川家とも深い関りがあるんです。
1570年、武田氏の支配下となった駿河国ですが、その5年後織田信長と徳川家康連合軍が長篠設楽原の戦いで武田(諏訪)勝頼を破ります。勢い付いた織田・徳川軍は武田氏を撃つことを決心します。
家康は攻め入る途中、北山本門寺に寄ります。9代住職の日出は陣中守護として日蓮聖人御真筆を貸し与えました。
1582年織田信忠を大将として信濃国から、徳川家康軍が同時に武田氏の領地に攻め込み、武田氏に勝利しました。
家康は本門寺に詣で、日蓮聖人御真筆を返納すると共に、寺の再興を約束しました。そして「所望するものがあれば申し上げよ」という家康の言葉に、日出は用水路の開発を願出ました。当時富士山南西麓の沢はほとんど枯沢で、天水に頼っていました。
家康に用水路の開削を命じられた井出正次は芝川の水を内野横手沢から引き、見事用水路を完成させました。

境内を流れる本門寺掘
境内を流れる本門寺掘

用水路は後に下流広域の用水路となり、村々の生活用水や水田稲作地への変革つながりました。
境内にある本門寺掘には今も勢い良く、綺麗な水が流れています。

お楽の方一族の供養塔
お楽の方一族の供養塔

また時代は変わりますが、徳川三代将軍家光の側室お楽の方が14代住職を帰依したそうで、日興上人の墓所右側には、お楽の方一族の供養塔が祀られていました。

道を挟んで続く参道と僧房
道を挟んで続く参道と僧房

国道469号を隔てて、参道と僧房が続いています。本門寺沢を隔てた御塔林にはかつてお楽の方が発願篤志して建造された五重塔もあったそう。

十分の一スケールで作られた五重塔
十分の一スケールで作られた五重塔

私たち市民の生活にかけがえのない歴史がつまった北山本門寺。
思ったよりも広く、発見ばかりでしたので、しっかりと勉強してから改めて訪れたいと思いました。

北山本門寺
住所:富士宮市北山4965
駐車場:あり(80台ほど停められます)

地域情報発信ライター・執筆家(富士宮市・御殿場市)

身近の新しい発見や、小さな幸せを探して日々バイクで放浪しながら活動しているライターです。記事を通じてみなさまの発見や幸せに繋がれば嬉しいです。趣味はバイク、ガーデニング、猫(無類の猫好き)です。

渡辺雅来の最近の記事