戦国時代の闇…消息不明の美女や消えた遺体の行方など
群雄割拠の戦国時代において、最下層の身分に相当する農民兵「雑兵」は合戦に欠かせない存在でした。
彼らは荷物持ちや炊事、戦場の設営や死体処理など全ての雑務を担当。戦場で「縁の下の力持ち」として、主君を支えたのです。
しかし、合戦時の食料は持参で、報酬も無に等しいものだったといいます。
それにもかかわらず、志願して雑兵になろうとする者は後を断ちませんでした。
彼らの目的とは、一体何だったのでしょうか。
□雑兵の目的
農民や庶民出身の雑兵が戦場で命を懸けた理由は、合戦後の「乱取り」でした。
乱取りとは、敗者の食料や財産を奪い取る略奪行為のことです。
終結した戦場では、鎧や刀を装着したまま死体が転がっています。
死体はお金になりませんが、懐には死体の持ち金も入っていましたし、鎧自体や刀は高値で取引されました。
さらに、村人が逃げ出した戦場周辺の村は、もぬけの殻で強盗や強奪にうってつけ。家財や着物、備蓄食料などを略奪しました。
この略奪行為は「雑兵の特権」として黙認されていましたが、名誉を美徳とする武士はモラルに欠ける行為であることから率先しておこなうことはなかったようです。
□狙われる美女
合戦後の略奪行為は金品や食料だけにとどまりません。
女性や子供など、人身売買を目的とした拉致・誘拐も珍しくなかったのです。
人間1人の売買価格は、現代の10万〜100万円(平均は30万円)に相当。奴隷の親戚者には高値で売りつける、いわゆる「身代金」を要求する卑劣な手段も存在しました。
中世の日本はすでに売買春のシステムが存在しており、若い女性の場合はより高値で取引されます。
そのため、「乱取り」でもっとも狙われたのが若く美しい女性でした。
□雑兵の悪行エピソード
甲斐国(現在の山梨県)武田軍の雑兵は、とくに乱取りが激しいことで有名です
武田軍が信濃国に侵攻した際のこと、山の峠を越えたところで全軍に7日間の休暇が与えられました。
武田軍の雑兵は最初の3日で周辺の村々を襲い尽くし、4日目以降は遠くの村まで出かけて一晩中略奪行為を繰り返したのです。
その過程で見かけた女性は全員犯すなど、その悪行は現代にも語り継がれています。
このような悪行も働いたとされる雑兵ですが、彼らの存在があってこそ戦国武将や戦国大名は全国へ名を轟かせたのです。あまりに酷な一面も見受けられますが、命懸けである雑兵にとって、こうした見返りは必要不可欠だったのかもしれません。