「テロとの戦い」20年の果てに 「アメリカは私たちを見捨てた」(写真12枚)
◆米軍撤収でトルコ軍がシリア越境攻撃
今からちょうど2年前のことだ。私の目の前で大規模な戦闘が始まった。2019年10月、シリア北東部カミシュリを取材していた時、国境を隔てた先に展開するトルコ軍が、シリア側に砲撃を加えてきたのだ。(玉本英子/アジアプレス)
◆シリア北東の国境地帯が戦火に
炸裂する砲弾が地面を揺らし、激しい音が響いた。標的は、シリア北部を拠点とするクルド人主導のシリア民主軍(SDF)。だが、無差別の砲撃で住民に多数の死傷者があいついだ。北東の国境地域の町は戦火に包まれ、20万人以上が避難する事態になった。
<シリア>トルコ軍によるシリア越境軍事攻撃、住民が砲撃の犠牲に
トルコ軍の攻撃が激しかった町の一つがラース・アル・アインだ。教師のジハン・アヨさん(35=当時)は、姉の結婚式で、夕刻、新郎の家族を出迎えるところだった。そこに上空から爆撃があった。一家はそのまま、町から脱出した。
「故郷も家も、未来も失った」
彼女の表情は、苦悩に満ちていた。
◆「ISと戦ったクルドを使い捨てにしたアメリカ」
世界各地で襲撃事件を引き起こした過激派組織イスラム国(IS)。欧米人のほか日本人も殺害された。ISと最前線で戦ってきたのが、クルド人が主体の民主軍だった。アメリカは軍事支援し、米軍部隊を派遣した。
一方、トルコは、民主軍の背後にはトルコ国内で武装闘争を続けてきたクルド労働者党(PKK)がいるとして、軍事攻撃を示唆。国境地帯に展開する米軍の存在が、トルコ軍の越境を食い止めてきた。その合意があったからこそ、民主軍は犠牲を払いながらもIS掃討戦を戦い抜いた。
トランプ大統領(当時)は、IS壊滅は自分の功績だと誇った。ところが、アメリカはトルコとの駆け引きの中で、国境地帯から突如、撤収する。その結果、住民はトルコ軍の越境攻撃にさらされた。
ラース・アル・アインから逃れてきた避難民は、口々に怒りをにじませた。
「アメリカはISとの戦いでクルドを利用し、使い捨てにした」
<シリア>「イスラム国」に包囲された町で 砲撃絶えず、女性も銃を手に前線へ
◆20年におよんだ「テロとの戦い」で
2001年の米国同時多発攻撃で、アメリカは、アフガニスタンのタリバン政権が事件の首謀者ビンラディンをかくまっているとして戦争を開始。この「テロとの戦い」は、イラク戦争へと拡大する。
住民を巻き添えにする米軍に、イラク人の怒りは高まった。
「市民を殺すことが正義の戦いなのか」
<イラク戦争開戦から17年>希望はどこに... バグダッド反政府デモ 青年の死(写真5枚)
結局、戦争の理由とした大量破壊兵器は出てこなかった。フセイン政権崩壊後の混乱のなかで、イスラム過激組織各派が台頭し、イラクはスンニ派・シーア派の宗派抗争の泥沼に至る。その後、ISが勢力を拡大し広範な地域を支配、世界各地でのテロを扇動した。
そして今、アフガニスタンでは米軍撤収とともにタリバンがほぼ全土を制圧し、政権が復活した。イラクではシーア派政党が勢力基盤を固め、隣国イランの影響力がさらに高まっている。
<アフガニスタン>タリバン首都制圧の混乱の中で 大阪大学元留学生 カブール現地からの声(写真5枚)
◆多数の犠牲生んだ戦争
アメリカ史上最長の戦争となった「テロとの戦い」。抑圧や独裁政権から解放された住民もいた一方、米軍の空爆や誤射だけでなく、揺れた政策の結果、苦難に直面した人も多い。見えないゴールのために多額の戦費が投じられた。
失われたのは米兵の命だけではない。その何十倍もの市民が犠牲となった。被害に対する責任も補償もあいまいなままだ。
現在も故郷に戻れず、避難生活を送るジハンさんは言った。
「私たちはアメリカの都合で翻弄され、見捨てられた」
果たして、これはアフガニスタンやシリアだけのことだろうか。20年におよんだ戦争は何だったのか。それを支持した国にも向けられる問いだ。
(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2021年10月27日付記事に加筆したものです)