【三田市】花山天皇が退位後に過ごされた花山院菩提寺
今回は花山天皇が退位後に余生を過ごされた花山院を訪れました。
今年の大河ドラマ「光る君へ」では、花山天皇を本郷奏多さんが演じられ話題となっています。
花山天皇は17歳で65代天皇として即位しますが、在位期間は2年と短いものでした。花山天皇は寵愛していた女御の藤原忯子(ふじわらのよしこ)が、妊娠8か月の時に死去したことをきっかけに出家し退位されました。
仏門に入られ、花山法皇(以後、法皇で統一)となりました。
花山法皇は観音霊場三十三所の宝印が中山寺(宝塚市)にある石棺に納められていると言われていることを知り、宝印を探し出しました。その後、観音霊場を巡り、西国三十三所霊場巡りを再興しました。このことから花山法皇は霊場中興の祖とも言われています。
また各地に訪れた際に木の札に和歌を残し寺院の柱に打ち付けました。これが御詠歌として今も伝わっています。
この旅の途中で、この花山院のある東光山に立ち寄った際に、この山を気に入り、巡礼後の余生を過ごす場所に決められ、41歳で崩御されるまで過ごされました。このことにより花山院菩提寺は西国三十三所霊場の番外札所となっています。
さて、花山院菩提寺は山の上にあるため、参道はかなり急な坂道になっています。
車でも急すぎて止まるんじゃないかと不安になるくらい登るのが大変な坂ですが、自転車や徒歩で登って来られる方もいらっしゃいます。徒歩で参道を登ると20分ほどかかります。
山門のすぐ横に駐車場があります。なので体力に自信のない方には車をお勧めします。
いよいよ山門である仁王門を通り中へ入ります。
山門を入ってすぐ目の前に手水所があります。ここで身を清めてから、境内へと進みます。
境内には、御宝印を頂くより先に参拝をお済ませください。という立札がありますので先に参拝へ進みます。
花山法皇殿
こちらが本堂になります。花山法皇を供養するため建立された菩提寺です。
「有馬富士 麓の霧は 海に似て 波かと聞けば 小野の松風」
こちらが花山院の御詠歌となります。
薬師堂
花山院は西国薬師四十九霊場21番札所でもあります。
本尊の薬師瑠璃光如来坐像、日光・月光菩薩立像、十二神将を祀るお堂です。
花山法皇御廓所
花山法皇が過ごされた場所です。
幸福(しあわせ)の七地蔵尊
7体のお地蔵様が並んでいます。お地蔵様のお手を握り、その御加護を授かることができます。
そして各お地蔵様は、左手に役割を象徴するものをお持ちになっています。
向かって左から順に紹介します。
祖父地蔵、軍配
機に応じ、家庭や周囲の人々の為に知恵を授けられる人として、いつまでも生き甲斐のある人生を歩めるように、調和と幸せになる力を与えてくれます。
祖母地蔵、箒
心に塵なく、子供夫婦や孫に知恵を授けられる人としていつまでも生き甲斐のある人生を歩めるように、調和と幸せになる力を与えてくれます。
父(夫)地蔵、天球
家族、家庭、社会において、主となりしっかりと役割が果たせるように、自信と安らぎの力を与えてくれます。
母(妻)地蔵、蓮華
どのような環境や立場になっても神仏より頂いた女性としての本性の花を咲かせて、その人が自分らしく生きられるように力を与えてくれます。
子供地蔵、系図
大人も子供もみな神仏の子供ゆえに、その子供たちが幸せな人生を歩む力を与えてくれます。
結び地蔵、紐
進学、子宝、就職、縁談などの縁を結び、希望が成就し幸せになれる力を与えてくれます。
賢者地蔵、経文
神仏の摂理を学び賢く知恵のある人となれるように力を与えてくれます。
私は母親なので、母地蔵としっかりと握手をさせていただきました。
展望台
ここからの景色は兵庫の景観ビューポイント150選にも選ばれています。
ここから遠くは小豆島まで観ることができるそうです。空気も良くて綺麗な景色でした。花山法皇も同じ景色を観ていたかもしれません。条件がそろえば雲海も見られるそうです。花山院の御詠歌である和歌はこの雲海の景色を見て詠んだと言われています。
最後に納経所で御宝印(御朱印、納経料300円、4月より改定で500円)をいただきました。薬師霊場も同じ御宝印となります。納経の時に御宝印の意味もしっかりと説明していただけます。
十二妃の墓
花山法皇を追って11人の女御たちが来ましたが、お寺が女人禁制だったことから尼となり、この地で過ごしました。そのことからこの辺りを尼寺(にんじ)と呼ぶようになったと言われています。
そして花山法皇のために、花山院へと続く坂で琴を弾いていたことから花山院へと続く参道の坂は琴弾坂(ことびきざか)と呼ばれています。
この11人の尼と藤原忯子(ふじわらのよしこ)のお墓が花山院のすぐ近くにあります。
花山院とともに、お時間のある方は、こちらにも足を運んでみてください。