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全英オープン覇者は「パートタイム・ゴルファー」。不思議な珍事の背景

舩越園子ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学・客員教授
まるでマスターズを制したウッズのよう。パートタイム・ゴルファーがスターになった(写真:青木紘二/アフロスポーツ)

 今年の全英オープンを制したのは、アイルランド出身の32歳、シェーン・ローリーだった。とはいえ、欧州ツアーを主戦場としてきた彼の名は、これまで日本ではほとんど知られていなかった。2015年に世界選手権のブリヂストン招待を制してからは、米ツアーでも正式メンバーになったが、それでも彼は地味で目立たず、スター選手という印象は皆無だった。

 一体、どんな選手なのか。それを知りたいと思ったら、とりあえず、彼のツイッターを覗いてみていただきたい。そこには、ローリー自身が記したこんな自己紹介の言葉が記されている。

「フルタイム@父&夫、パートタイム@ゴルファー」

 そう、今年の全英オープン覇者は「パートタイム・プロゴルファー」だった――。その“珍事”の背景と意味を、少しばかり辿ってみようと思う。

【不思議な逆転現象】

 米ゴルフ界の“ビッグ2”であるタイガー・ウッズとフィル・ミケルソンが揃って予選落ちを喫したのはメジャー4大会史上、初めての“珍事”だった。地元・北アイルランドの英雄であり、優勝候補の筆頭にも挙がっていたローリー・マキロイが2日間で姿を消したことも“珍事”であり、日本のファンにとっては、期待の星である松山英樹が予選落ちしたことは、ことさらに残念な"珍事"だった。

 そして、スター不在となった決勝2日間は「盛り上がらない」と見る向きが強かった。だが、最終日の異様なほどの盛り上がり方は、タイガー・ウッズが復活優勝を遂げた昨秋のツアー選手権や今春のマスターズを彷彿させるほどだった。

 68年ぶりに北アイルランドに戻ってきた全英オープン。その舞台、ロイヤル・ポートラッシュに詰め寄せた大観衆の目の前で、ローリーは2位に6打差を付け、堂々の圧勝でメジャー初優勝を遂げた。だが、開幕前に彼の優勝を予想した人は、どれほどいたことか。しかし、サンデーアフタヌーンを沸かせ、大観衆の拍手と声援を独占したのは、そのローリーだった。

 そんな不思議な逆転現象が起こった背景には、ローリー自身による自分の位置付けの変化と心の持ちようの変化があった。

【パートタイムの僕】

 アイルランドの小さな町で生まれ育ち、「12歳からゴルフクラブを握った」というローリーは、近所の友達と切磋琢磨しながら自己流で腕を磨き、瞬く間にシングルプレーヤーになり、母国のトップアマになり、2009年にアマチュアにして欧州ツアーのアイリッシュ・オープンを制し、その翌週、プロ転向した。

 2012年に欧州ツアー2勝目を挙げ、2015年には世界選手権のブリヂストン招待を制して米ツアー初優勝。ひたすら上を目指し、上昇気流に乗っていた当時のローリーにとって、「ゴルフはすべてだった」。

 しかし、2016年全米オープンでは、2位に4打差を付けて最終日を迎えながら、76と崩れてダスティン・ジョンソンに勝利を奪われ、敗北のビターな味を噛み締めた。

 その年に結婚。翌年には長女が生まれた。そのときからローリーは、人生のプライオリティをゴルフではなく家族に置き換え、父親として夫としての自分が「フルタイムの僕」であり、プロゴルファーとして戦う自分は「パートタイムの僕」であると位置づけた。

【混沌からの脱却】

 戦うことから逃げたのかと言えば、引退したわけではなし、逃避ではなかったのだろう。だが、傷ついた心を癒し、気持ちを整理するための、しばしの逃げ場を求めていたのかもしれない。

 ともあれ、ローリーは自分にとって大事なのは「家族」と位置付けたのだが、副業であるはずの「ゴルフ」への想いや勝利への執着は逆に日増しに強まっていき、その狭間で彼は揺れていた。混沌とした心を反映するかのように彼の成績は低迷していった。

 そんなローリーの苦戦ぶりを傍から見守っていたのは、北アイルランド出身の同胞であり、“Gマック”の愛称で知られる全米オープン覇者のグレーム・マクダウエルだった。

「今年、ローリーは米ツアーのシード権を失い、欧州ツアーへ戻らざるを得ない状況になった。でも、それがベストな作用をもたらした。もう一度、フォーカスし直し、自分のモチベーションを見つめ直することが彼には必要だったから、米ツアーのシードを失ったことが、そのためのきっかけになり、刺激になったんだ」

 Gマックが指摘した通り、ローリーはすぐさま1月に欧州ツアーのアブダビHSBC選手権で勝利を挙げ、笑顔と自信を取り戻した。そして戦士としての在り方も思い出した。その様子を眺めていたGマックは「やっと彼が本来のシェーン・ローリーに戻ってくれた」と安堵したという。

 それから半年後、ローリーは全英オープンを制覇し、メジャーチャンピオンになった。

【2度美味しい余韻】

 だが、勝ったからと言って、ローリーが再び人生のプライオリティを入れ替えるわけではない。ゴルフより家族。そう信じてきたからこそ、彼の心は癒され、不調も苦境も乗り越えることができた。

「明日の最終日、どんなスコアで回ろうとも、妻と娘が待っていてくれる」

 そう思えたからこそ、彼は見事な勝利を挙げることができた。

 

 これからもローリーは自己紹介の言葉を変えることはないだろう。

「フルタイム@父&夫、パートタイム@ゴルファー」

 パートタイム・ゴルファーがメジャーチャンピオンに輝いたのは、これまたゴルフ界の“珍事”だが、それがあまりにも素敵な珍事だからこそ、人々はローリーに惜しみない拍手を送ったのではないだろうか。

 戦い終えた今、ローリーはすでにフルタイム業務に戻り、すでに父親業、夫業に勤しんでいるころだろう。そんな光景に想いを巡らせることは、メジャー大会を観戦したファンにとっては「2度美味しい」祭りのあとの余韻である。

ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学・客員教授

東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。百貨店、広告代理店勤務を経て1989年に独立。1993年渡米後、25年間、在米ゴルフジャーナリストとして米ツアー選手と直に接しながら米国ゴルフの魅力を発信。選手のヒューマンな一面を独特の表現で綴る“舩越節”には根強いファンが多い。2019年からは日本が拠点。ゴルフジャーナリストとして多数の連載を持ち、執筆を続ける一方で、テレビ、ラジオ、講演、武蔵丘短期大学客員教授など活動範囲を広げている。ラジオ番組「舩越園子のゴルフコラム」四国放送、栃木放送、新潟放送、ラジオ福島、熊本放送でネット中。GTPA(日本ゴルフトーナメント振興協会)理事。著書訳書多数。

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