「中国がいなければ全滅していた」真実を語る元兵士を北朝鮮が警戒
北朝鮮で毎年7月27日は「祖国解放戦争勝利記念日」となっている。一般的に「戦勝節」と呼ばれるこの日は、1953年の同じ日に、板門店で朝鮮半島休戦協定が結ばれた日だが、なぜか戦争に勝った日とされている。
各地では、◆戦争老兵(朝鮮戦争参戦経験者)を呼んで話を聞く◆栄誉軍人(傷痍軍人)の家庭を訪問する◆現役の軍人に慰問の手紙を書く◆故金日成主席を称える詩の朗読をする――といった祝賀行事が行われるが、過去の歴史の真実を巡り、トラブルが起きている。平安北道(ピョンアンブクト)のデイリーNK内部情報筋が伝えた。
塩州(ヨムジュ)郡のある初級中学校(中学校)で今月15日、戦勝節の行事の計画について教師たちが会議を開いた。ある新人教師は、担任しているクラスに学校のそばに住む戦争老兵のキムさんを呼んで武勇伝を聞くと発表した。
すると、職員室の空気が凍りつき、別の教師がこんな話をしてたしなめた。
「あの人は、他の学校で武勇伝を語る中で余計なことまで話し、問題になった人だ。そんなことも調べずに行事を計画したのか」
キムさんは数年前、別の学校に呼ばれて朝鮮戦争当時の話をした。通常、そのような場では「金日成将軍の類まれなる叡智と知略で百戦百勝だった」と美辞麗句を並び立てるものだが、キムさんは実際に見て、感じたとおりに話したのだ。
「中国共産党の人民志願軍がいなければ、われわれは全滅していただろう」
北朝鮮で戦争老兵は社会的に地位が高いとされている。このような発言を行っても、「マルパンドン」(言葉の反動分子、反政府的言動)扱いされて収容所送りになるほどではないようだが、国の宣伝する「正史」に反する発言を公の場でされると、呼んだ側が処罰されかねない。
(参考記事:若い女性を「ニオイ拷問」で死なせる北朝鮮刑務所の実態)
1950年6月25日に南に攻め入った朝鮮人民軍(北朝鮮軍)はわずか3日でソウルを陥落させ、破竹の勢いで南下し、同年8月には洛東江(ナクトンガン)に達し、朝鮮半島全域を手中に収める直前だった。
ところが、同年9月15日に米軍主導の国連軍が決行した仁川上陸作戦で形成は一気に逆転。国連軍はわずか1カ月で平壌を陥落させて北上を続け、11月23日のサンクスギビングデーまでに戦争を終える計画だった。
しかし、11月末から中国の人民志願軍が北朝鮮に攻め入った。いわゆる「抗美援朝」だ。国連軍はその後半年で、現在の軍事境界線付近まで押し戻され、戦闘は膠着状態となり、1953年7月27日の休戦協定締結に至った。
北朝鮮は中国軍の参戦なくして、その状態が保てなかったのは自明だが、事実通りに話すと問題になるのだ。
それ以降、各学校や機関は、戦争老兵の証言を聞く行事をあまりやらなくなり、代わりに手紙を書いてそれを届ける行事や、朝鮮戦争とは関係のない傷痍軍人である栄誉軍人の話を聞く行事に代替されつつある。
北朝鮮の人々、中でも海外からの情報に明るい若者は「韓国や米国に侵略された」「朝鮮戦争に勝った」という「正史」が虚偽であることに気づいている。当局は、それが広がることを必死で抑えているのだ。
実際に朝鮮戦争に参加した人は、若くとも80代後半で、もはや本当の生の話を聞く機会はあまり残されていない。