【富士宮市】武者返しの石垣には隠し絵が?!小高い場所から柚野を見守る『三澤寺』
富士宮市大鹿窪にある『弘法山三澤寺』は三澤殿(三澤昌弘)の開創したお寺です。
三澤殿の祖父三澤小次郎は、鎌倉幕府を開いた源頼朝に仕えた駿河七勇士の一人で、この地の土地管理・徴税・治安維持の権利など、義務行使をつとめていました。
三澤殿は日蓮大聖人から賜った手紙に感銘を受け読経と唱題に心身を捧げ、館を寺に改めたそうです。
大鹿窪遺跡を訪ねた足で、三澤寺にふらっと寄ってみると、ご住職さんにお会いする事ができ、いろいろとお話をお伺いする事ができました。
茶々姫(徳川家康の孫)の嫡男、松平綱清が病魔にかかり医療で治らずに、三澤寺日相の祈祷により病を治したそうです。深く感銘した松平家より本堂と車裡、七面堂、石垣など寄進を受けました。また江戸時代には松平家の祈祷所として庇護を受けて栄えたそうです。
松平家から寄進された石垣は、お寺ではあまり見かけない反り返って敵が最後まで登れない構造の武者返しになっています。
三澤寺境内、石垣の上から景色を望むと戦国時代では駿河国と甲斐国の境だった山々を一望できます。
三澤寺の駿河国を守る砦になっていたのでしょうか。
元々は道路脇を流れる大堀と同じ高さから石垣になっていたそうですが、県道75号線を整備する際に今の高さまで埋められたそうです。
この石垣は松竹梅と鶴亀の隠し絵があるのだそう。
石垣に隠し絵があるなんて、当時の石工さんの技の巧みさが伝わって来るようです。
9月中旬にかけては紫色の可憐な萩の花が石垣にしだれ咲き、『萩の寺』としても知られています。
本堂東側の石段を登った裏山には『七面山』のお堂があります。明治初期の廃仏毀釈運動で解体されましたが、後に再建されたそうです。
お堂は新しい佇まいですが、参道には池があったりとどこか神秘的です。
本堂よりさらに登った七面堂からは三澤殿が納めていたと思われる領地が全て見渡せるほどの眺めでした。
『清心会空手道連盟富士宮支部』として境内に道場があり、縄文まつりでは空手演武を披露している三澤寺。
2年に1度境内でお庭にアーティストが集まりそれぞれのJOMONを展開する『縄文DNA展in三澤寺』というイベントも行っているそうです。
檀家でもない私にお寺の由緒や遺跡のこと、それにバイクの話を少々…など親切に対応してくれたご住職さん。
地元に根付き、誰にでも広く門扉を開いてくれる『三澤寺』は、また立ち寄りたくなる、心が和むお寺でした。
日蓮宗 弘法山 三澤寺
住所:富士宮市大鹿窪332番地