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【乳腺手術後わいせつ疑い医師】無罪判決をどうみる 医師の視点

中山祐次郎外科医師・医学博士・作家
(写真:アフロ)

 2016年に外科医が逮捕され、本日判決となったこの事件。

 これは、乳腺手術直後に手術を執刀した外科医が患者にわいせつ行為を行ったという疑いのものでした。突然の逮捕から長期間の勾留、そして無罪判決。本件について解説し、問題点を洗い出した上で外科医である筆者の意見を述べます。

事件の経緯は

 事件の経緯をまとめます。

2016年5月10日 手術後35分以内に事件があったとされる

この間、病院や外科医本人に取り調べあり

→8月25日 逮捕

→9月5日 勾留理由開示公判(外科医本人は容疑事実を否認)

→9月14日 東京地検により起訴

→11月30日 初公判

→12月7日 医師保釈

→2019年2月20日 無罪判決

医学界の反応

 外科医の逮捕後、外科医が勤務していた病院から抗議文が出されました。そして乳腺外科医や患者などにより「外科医師を守る会」が発足しています。

 そして東京保険医協会という医師からなる団体から、長期勾留への抗議声明が出されるなど反発を表明しました(理事会声明「外科医師の不当勾留に抗議し、早期釈放を強く求めます」)。

なぜこの事件は起きたのか?

 疑われたわいせつ行為の詳細はジャーナリスト江川紹子氏のこの記事(「乳腺外科医のわいせつ事件はあったのか?~検察・弁護側の主張を整理する」)をご参照下さい。

 ひとまず無罪判決は出たわけですが、この事件で外科医がわいせつ行為を疑われることになった理由は3点に集約されます。

1, 「身体を見るという医療行為の特性」

2, 「医療の密室性」

3, 「術後せん妄」

順に解説します。

1, 「身体を見るという医療行為の特性」

 医療行為は、その対象を人間の身体と精神にしています。ですから、診察行為として胸や性器を見る、触るということが当然として起こることになります。患者さんが症状を訴えて病院を受診し、プロフェッショナルとして国家資格などを持った医師などが行うことで診察行為は成立します。ここには、相互の信頼がなくてはできません。

 本件で被告となった外科医は乳腺外科医といって、乳腺を専門としています。ですから、日常的に乳腺を見たり触ったりしているのです。他にも、例えば筆者は大腸外科医という専門ですから、日常的に患者さんの下腹部や肛門を診察しています。医師が肛門に指を入れる行為は、「肛門指診」といってとても重要な診察行為です。筆者は日常的にこれを行っています。

2, 「医療の密室性」

 そして、診察は基本的に密室で行われます。これは考えてみれば当然のことで、患者さんのプライバシーや個人情報を守るためには必須の条件です。誰だって公開の場で胸やお腹を出したくはありません。

 しかし、このことが本件では災いしたと言ってもいいかもしれません。本件では外科医と被害を訴えた女性(A子さんとします)が病室という密室に二人でいた時間がありました。密室とは、正確には四人部屋のなかのカーテンで仕切られた一つのベッドとその周りのスペースでした。入院した方はご存知と思いますが、ここには通常医師や看護師など病院スタッフ以外は入ってきません。

 本件で検察側が主張したのは手術直後のことでしたが、通常、外科手術の直後は血圧測定や手術後の創のチェックなどがあり、家族も外で待っていてもらいます。その間、外科医はこの密室スペースに入り、患者さんを直接診察したり看護師に点滴や痛み止めの指示を出したりするのです。特に手術後は、出血が怖いため必ず病室に帰ったあとに創のチェックは外科医自らが直接目視などで行うことが多いのです。

3, 「術後せん妄」

 最後に、「術後せん妄」がこのA子さんにあったと推測されます。報道によれば、裁判で裁判長は「頻回なナースコールや検温時に看護師に対して『ふざけるな、ぶっ殺すぞ』などと述べたことを事実認定した」(m3.com 「乳腺外科医裁判で無罪判決、わいせつ行為否定」より引用)とのことでした。

 補足説明すると、「術後せん妄」とは、簡単に言えば「手術後に一時的に意識が悪くなり、錯乱状態になってしまう」ものです。外科医をやっているとしばしばこの「術後せん妄」になってしまう方を見ます。外科医である筆者の経験でも、手術後にベッドの上で大暴れしたり、点滴の管を引きちぎってしまったり、大声を出すなど術後せん妄の患者さんを見たことがあります。多くの場合、患者さんご本人は暴れたことなどは覚えていません。

 筆者の経験では、50歳以下くらいの若い患者さんは数時間で回復しますが、高齢者では24時間以上続くこともまれではなく、ご家族が「人が変わってしまった」と驚くこともあります。

どうすれば防げた?

 A子さんが訴えた被害は術後せん妄の一部であったとすると、本件はどうすれば防げたのでしょうか。医師として考えるのは、まずは「密室で患者さんと二人にならないようにする」ということです。このことは、筆者も医学生時代に十分に注意するよう教育を受けました。しかし、多忙な医療現場で必ずこれが守れるかと言えば、甚だ疑問に思います。しかも特にバタバタして多忙を極める「手術後に病室に帰ってきたタイミング」は複数の看護師が患者のケアに当たりますが、医師が診察のさい二人きりにならないための人員があるとは到底思えません。ですから、残念ながらこの「密室で患者さんと二人にならないようにする」を遵守する策は実現できそうにありません。しかも今回は医師が疑われましたが、看護師などであったらさらにこれを守ることは難しいでしょう。

 他に筆者が考えるのは、

・まるでドライブレコーダーのようにビデオカメラをぶら下げて歩く

・全病室に監視カメラをつけて記録する

 です。が、これらは患者さんのプライバシーを考えた場合難しいでしょう。しかもそれが、胸や下腹部などの診察であればなおさら録画しづらいものです。

 筆者としては、このような悲しいことを防ぐために、全医師・医療者に告げたいことは、それでもなんとか密室で患者さんと二人にならないよう注意することくらいです。実効性ある予防策は現時点では無いと言ってもよいでしょう。

今回のことから何が得られたのか

 本件は刑事事件であり、治安などを守るためにはやむを得なかったのかもしれません。それでも、病気を患いさらにこのような被害にあったと信じており、その上裁判でこれを否定された患者さんがいます。そして、ある日突然逮捕され、マスコミに顔と名前と住所のかなり具体的なところまでを晒され、3ヶ月以上も勾留されて社会的・経済的に大きなダメージを負った外科医がいます。

 本件で、一体誰がどんな学びを得、どんな正義が守られたのでしょうか。筆者は疑問でなりません。

これから起きること

 本件で、残念ながら医療界と警察・検察の距離はさらに広がるように予想します。医師が逮捕され、のちに無罪判決になるという流れは昔の「大野病院事件」を想起させます。これは、2008年、帝王切開手術後に妊婦が死亡したことで産婦人科医師が業務上過失致死罪に問われ、逮捕・起訴された事件でした。この事件を知らない医師はほぼいないと思いますが、数年後に無罪判決となりました。

 この事件を機に、医師の間で警察や検察への不信感が高まっていきました。今回は治療行為に関する逮捕ではなく、付随したものでした。しかし、外科医師の多くが「術後せん妄」を一度は疑うようなケースであったにも関わらず、逮捕、そして107日という長期間の勾留には強い違和感を覚えます。医師だから特別扱いをしてくれ、と言うつもりは毛頭ありませんが、医療現場の特殊性を考えた十分慎重な捜査行動を望んでやみません。

※逮捕された医師は筆者の元勤務先で非常勤医師として勤務していたことがあり、筆者は以前、数ヶ月間直接の指導を受けたことがあります。ここ7年ほどは直接会っておらずやりとりも全くありませんので、影響は小さいと考えますが、知人であるという点で本記事は客観性を欠いている可能性があります。

(追加)A子さんの病気について誤記がありましたので、訂正しております。(2019年2月21日 10時)

外科医師・医学博士・作家

外科医・作家。湘南医療大学保健医療学部臨床教授。公衆衛生学修士、医学博士。1980年生。聖光学院中・高卒後2浪を経て、鹿児島大学医学部卒。都立駒込病院で研修後、大腸外科医師として計10年勤務。2017年2月から福島県高野病院院長、総合南東北病院外科医長、2021年10月から神奈川県茅ヶ崎市の湘南東部総合病院で手術の日々を送る。資格は消化器外科専門医、内視鏡外科技術認定医(大腸)、外科専門医など。モットーは「いつ死んでも後悔するように生きる」。著書は「医者の本音」、小説「泣くな研修医」シリーズなど。Yahoo!ニュース個人では計4回のMost Valuable Article賞を受賞。

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