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バイデン次期米大統領を「平手打ち」にしたメルケル独首相 EUが中国と投資協定合意へ 欧米の溝広がる

木村正人在英国際ジャーナリスト
バイデン次期米大統領とメルケル独首相。早くも欧米の溝が広がった(写真:ロイター/アフロ)

「欧州のパートナーと早期協議を」との呼びかけ虚しく

[ロンドン発]ジョー・バイデン次期米大統領の呼びかけを無視して、欧州連合(EU)が中国との投資協定に合意する見通しだと英紙フィナンシャル・タイムズなど欧米メディアが一斉に報じました。発効までには約1年かかるそうです。

香港の英字紙サウスチャイナ・モーニング・ポストは写真説明の中でさり気なく「早ければ12月29日にも合意に達する可能性がある」という情報筋の声を伝えています。

次期米安全保障問題担当大統領補佐官に指名されているジェイク・サリバン氏はこれに先立ち今月22日「バイデン-ハリス政権は中国の経済慣行に関する共通の懸念について欧州のパートナーと早期協議を持つことを歓迎する」とツイート。

バイデン政権発足前に欧米の結束が乱れることへのフラストレーションをあからさまにしています。

イギリスの離脱でドイツの影響力が一段と強まったEUは加盟27カ国、人口4億4600万人、購買力で世界第3位の16%を占める経済力を背景に、ドナルド・トランプ大統領の「アメリカ第一主義」のような独断専行に振り回されず、対中外交でも独自路線(マイウェイ)を進む方針を明確にしています。

「中国は分断統治戦略を追求できる」

米独関係を研究する米現代ドイツ研究所(AICGS)のスティーブン・サーボー上級研究員は米国営海外放送VOAのインタビューに次のように解説しています。

「サリバン氏のツイートを見ると、いかなる合意もチーム・バイデンへの平手打ちになるだろう。EUは、中国とEUに貿易戦争を同時にふっかけたトランプ大統領のアプローチに批判的だった」

「西側のアプローチを共有するためにはアメリカはEUを必要としており、西側の政策を成功に導くためには不可欠だとEUは議論してきた。もしEUが西側を分断するなら、中国は分断統治戦略を追求できる」

仏シンクタンク、モンテーニュ研究所のマチュー・デュシャテル氏はツイッターで「中国は電気自動車、通信、民間病院分野の市場参入(国内改革を通じての開放の可能性も)、産業補助金に関するある程度の透明性確保という2点で譲歩する用意はできている。しかし公共調達市場の開放には応じない」と指摘。

「中国が戦略的に獲得するのは、価値観の共有を目指す国際プレーヤー、そして大西洋のプレーヤーとしての欧州の無力化だろう。新疆ウイグル自治区での強制労働が合意を妨げてしまうのは北京にとって最悪のシナリオだ」

強制労働についてILOの規則に従う

ポーランドだけがバイデン次期政権との協議を待つべきだとの意見を述べましたが、他のEU加盟国から同調する意見は全く出なかったそうです。ロイター通信やフィナンシャル・タイムズによると、2014年に交渉が始まった投資協定の合意内容は次の通りです。

・中国は製造、金融、不動産、環境、建設、広告、航空輸送、海運、電気通信、そしてある程度クラウドコンピューティング分野を開放する。外国資本の上限や中国への投資障壁を撤廃する

・中国に設立されたEU域内の現地法人によってテクノロジーが強制的に移転されるのを禁止する

・中国国内市場の競争に関して中国国有企業の活動に原則を設ける

・中国企業に対する国家補助金の透明性に関するルール作り

・中国は強制労働について国際労働機関(ILO)の規則に従うことを誓約する

・EUのエネルギー市場への参入については相互主義に基づき再生可能エネルギーのごく一部についてのみ認める

中国共産党は「一貫して強制労働に反対してきた。新疆ウイグル自治区のいわゆる“強制労働”は捏造されており、根拠のないウワサ話は非難されるべきだ」と主張しており、EUと中国の投資協定合意は中国共産党の主張にお墨付きを与えてしまう恐れがあります。

EU内で中国の恩恵を最も受けている国とは

ドイツにあるメルカトル中国研究センター(Merics)のマックス・J・ゼングライン首席アナリストによると、2000年から19年にかけ、EUと中国の貿易は8倍近い5600億ユーロに増えました。中国は現在、アメリカに次ぐEUにとって2番目に重要な貿易相手国であり、中国は重要な輸出先になりました。

中国の増大する技術革新力と市場は欧州企業の意思決定を形成しているため、中国の圧力に大きくさらされるようになっています。EU域内の25企業を調べたところ、19年時点で平均して11.2%の収入を中国であげていました。しかし欧州における中国企業の存在と投資はアメリカと比べると依然として小さいそうです。

ゼングライン氏は「自動車産業の中国市場への依存は、ドイツと欧州が中国に頼っているという認識の重要な根拠になっている。世界最大の自動車市場である中国は、フォルクスワーゲンとそのサプライヤーを含むドイツの産業にとって間違いなく非常に重要だ」と指摘しています。

「19年にはフォルクスワーゲンのブランドは中国で420万台も売れた。これは全販売台数の40%近くを占めており、中国を最も重要な市場にしている。コロナ危機で他の国の市場が低迷していることを考えると、フォルクスワーゲンの売上高に占める中国のシェアは20年に上昇する可能性がある」

EU内ではドイツが中国の驚異的な経済成長で最も恩恵を被っています。アンゲラ・メルケル独首相は05年以降、中国との経済関係を強化してきました。ドイツだけでEUの対中輸出の48.5%を占め、EU域内では2番目に大きい対中輸出国のフランスの実に4.6倍にのぼります。

今年後半、EUの輪番制議長国を務めたメルケル首相はイギリスとの包括的FTA合意、中国との投資協定合意を置き土産に、新年9月のドイツ総選挙後に引退する考えです。アメリカに振り回されず、独自の道を進む欧州の戦略は決して後戻りすることはないでしょう。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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