【集団的自衛権は違憲(`ω´)キリッ】1999年の高村正彦外務大臣の答弁
前回の「【安保法制】ねじれる高村正彦・自民副総裁~1999年との相克~」では、自民党副総裁の高村正彦氏が、外務大臣だった1999年のときは憲法違反としていた集団的自衛権について、現政権になってから「一般的法理」を持ち出して、合憲だと言い始めた話を書きました。
数え切れないほど言明してきた政府
外務大臣としての高村正彦氏の集団的自衛権=憲法9条違反の答弁は、実は一つではなく、1999年の通常国会だけで以下のように繰り返し、繰り返し、言明しています。
4月27日の答弁は、国際情勢の変化とは関係なく、集団的自衛権は違憲としているのが注目されます。これは当たり前のことで、変化に伴って憲法でできないことをしたいのなら、憲法改正を発議して国民に問うのが政府の責任です。一方、今の安倍政権はあるかどうかも疑問な「国際情勢の変化」を憲法解釈変更の理由にしています。
なぜ政府が勝手に憲法解釈を変えてはいけないのか
このように繰り返し集団的自衛権は憲法違反、と答弁してきたのは高村氏だけではなく、実は安倍首相すらかつてそう答弁しています。それだけ言明してきたことについて、コロッと答弁を変えれば、一政策問題であっても、批判は免れないでしょう。まして、ことは単なる政策問題ではなく、国民が政府というガリバーの手足(権力)を縛る憲法の解釈です。そういう勝手な憲法解釈の変更が許されないのです。
例えば、憲法12条は、国民の権利・自由について「国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」としています。筆者はこの「公共の福祉」に関する政府解釈はつまびらかに知りませんが、通説的な学説では、人権同士が衝突したときに相互を調整するための原理、とされています。ところが、自民党の憲法改正草案ではこの部分は「公益及び公の秩序」と書き換えられています。もし、政府が憲法解釈として「憲法の公共の福祉とは、公益及び公の秩序のことである」と言い出したら、野党候補者の選挙演説に対して警察官を臨場させ反政府的な言論をしたときは「公の秩序に反する。弁士中止!」と集会を解散させることにもなりかねません。
憲法学者たちが今国会の「安保法制」(戦争法案)に心底怒っているのも、政府(権力)の憲法違反については一事が万事だからです。政府自身が半世紀近くにわたって国会で「我々はこうやって縛られているのです」と述べてきたことであればなおさらで、それを政府が勝手に変更すれば、憲法などあってなきがものになってしまいます。政治家は、多かれ少なかれ、嘘つきです。嘘をついて国民の人権を侵害します。だから、嘘つきを縛る縄を決してゆるめてはならないのです。