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15歳、久保はホンモノか。バルサで磨いたセンスの功罪と成熟した言葉

小宮良之スポーツライター・小説家
J1ルヴァンカップでデビューを飾った久保建英(写真:アフロスポーツ)

飛び級でU―20日本代表に選ばれている15歳、久保建英(FC東京)はどんな成長を遂げるのだろうか?

ルヴァンカップでは、FC東京でJ1公式戦デビューを果たした。2万人近い観客は、ルヴァンカップでは同節最多。各テレビ局のスポーツニュースでも、大きく取り上げられた。

久保には、それだけの求心力があると言うことだろう。それはスター性に等しい。

しかし、彼がどんな成長曲線を描くか、は分からない。意地悪な見方をすれば、「20歳が頂点の早熟選手」という可能性もある。十代で一瞬の眩しい輝きを放ち、消えていった選手は大勢いるのだ。

では、彼はホンモノなのか?

ライカールトがメッシに贈った言葉は久保にも共通する

2004年10月、リオネル・メッシが当時17歳でリーガエスパニョーラ・デビューを飾っている。バルセロナ、オリンピックスタジアム。バルセロナダービーと言われる、エスパニョールとの一戦だった。

筆者は、その瞬間を目にする幸運に恵まれた。

日本であったようなフィーバーはそこにはなかった。第二次世界大戦後ではクラブ最年少デビューになったメッシだが、番記者たちにとってはニュースの一つも、年齢にに大した意味を与えていない。ましてや、メッシはその前年に3部でデビューも、小さなニュースとししか扱われなかった。そういう環境の中で、メッシ自身も淡々と振る舞っていた。日本のようにJ3(Jリーグ3部)でのデビュー戦が、大きく扱われることはあり得ない。

「レオ(メッシ)の練習の取り組み方は、デビューに値するものがあった。チャンスを与えた、のではなく、彼自身がつかみ取った、と言える。ただ、レオのキャリアは始まったばかり。(トップだけでなく、Bチームで試合に出ながら)再び、練習でピッチに立つに値する選手、と証明する必要がある」

メッシを抜擢したフランク・ライカールト監督は試合後、落ち着いた様子で語っている。

この言葉は、久保にもそのまま当てはまる言葉だろう。

久保はまず、J3を主戦場にFC東京U―23の選手として研鑽を積む必要がある。セレッソ大阪U―23でのJ3最年少得点は少なからず、ルヴァンカップデビューの呼び水になったのだろう。プロの舞台は与えられるものではない。

では、久保はメッシのようにその機会を勝ち取っていけるのか。

バルサ出身であることの弊害

5月6日、久保はJ3,FC琉球戦に先発出場している。ネイサン・バーンズに鮮やかなスルーパスを通し、際どいFKを蹴り、やはり技量は申し分ない。マルセイユルーレットから抜けだし、ディフェンダーを振り切りながら敵陣にボールを持ち込むなど、1シーンを切り取ったら、とんでもない15歳だった。

しかし東京U―23は0-3で大敗。久保もチームプレーヤーとしての貢献は乏しかった。

前半18分にチームが1人退場者を出し、数的不利になった事情はある。ボールがほとんどつながらず、押し込まれ続けた。久保にまでボールが供給される機会は乏しかった。J1と比べ、技術的に劣るJ3では必然的にフィジカルプレー主体になるわけだが、そこで久保はまだ非力さが出てしまう。"大人"を相手にした15歳は、後手を踏むのだ。

これは年齢差もあるが、それだけの話しではないだろう。ルヴァンカップでも、その兆候は出ていた。受け身的なプレーで、ビルドアップでしばしばノッキングするチームで、久保の活躍は単発的だった。

「バルサの下部組織出身選手は他のチームでは苦労する」

実はスペインで、それは一つの定石になっている。

フィジカルコンタクトが多く、ボールスキルの低い戦いに、バルサの選手たちは慣れていない。彼らは"ボールありき"でスカウトされ、育成され、能動的にボールを動かすプレーを軸に置いている。クリアボールが行き交い、ブロックを作って守り、ハイプレスで追い続ける環境で、十全に力を出せない。その結果、バルサの選手はトップチームに昇格できない場合、苦戦している。

「なぜ、そこでボールをつなげないのか?」

バルサ出身者たちは味方へのストレスを抱えて悩み、バランスを崩す。バルサは世界でも特殊なポゼッションを追求し、一つのオートマチズムがあるだけに、その弊害と言えるか。

もっとも、だからこそバルサではメッシ、イニエスタ、ブスケッツのように超人的選手が生まれるのだ。

成熟した15歳の言葉

かつてメッシの前にマシア(バルサ下部組織)のセンセーションとなったナノは、17歳でカンプ・ノウに立って「リバウドの後継者」と言われた。しかし移籍後はチームを転々とし、2部が主戦場。また、「メッシの再来」と言われたガイ・アスリンは16歳でイスラエル代表に選ばれたが、現在は26歳で2部B(実質3部)のサバデルで悪戦苦闘の日々を送る。そしてダニエル・パチェーコは17歳でリバプールに移籍し、18歳でチャンピオンズリーグでのデビューを飾ったが、その後は苦しみ、今や2部での生活を余儀なくされている。

「メッシは特別な選手だった。誰とも比べられない」

かつて取材したとき、ナノはそう明かしていた。

メッシは年少選手にもかかわらず、大人を相手に苦にするところがなかったという。小さいが体もすでに強く、火の玉が転がる迫力があった。腰が強く、しなやかさで、推進力と言うか、突き進む馬力もあって、野性の獣のようだったという。

さらに言えばメッシがデビューした頃、バルサにはロナウジーニョが絶対的エースとして君臨していた。ブラジルのファンタジスタはメッシへのプレッシャーをすべて吸収。彼自身、誰よりもメッシを慈しんだ。

久保はJ1デビューで、堂々とした姿を見せた。しかし15歳という年齢で、その儀式を済ませたことは必ずしもポジティブなことだけではない。今後、彼には「もっと」という要求が突きつけられる。その流れはどうしようもない。ファンが要求し、メディアは煽る――。それに応えられないとき、プロ経験の浅い彼は耐えられるのか?15歳の少年が、日本サッカー界で誰よりも話題を集めているのだ。

「活躍をしてから、注目されたい」。久保本人は語っているが、それが本音だろう。

もっとも、札幌戦後に久保の発する言葉は、プロ選手としてどれも外連味がなかった。

「倒れるならシュートを打っておこうと思った」

「ベンチに入っている以上、いつ出てもおかしくはない準備はしている」

「左(足)で行けないなら、右を使うしかない」

ふてぶてしいほどの腹の据え方だろう。5月は韓国で開催されるU―20ワールドカップに挑む。道を切り開いていくのは、久保自身だ。

「今の時点で、同年代の選手よりも半歩前にいると思います。でも、スタートだけでなく、失速せずこのまま上へ」

そう語る久保には、自らの成長曲線が描けているのだろう。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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