英国式「マネーの虎」で失業率を下げる方法
英国経済はストロングな回復を見せている。と言われて久しいのだが、生活者から見れば、ちっとも回復してないばかりか、益々ひどくなっている。
英国政府が「回復」の証拠としてまず挙げているのは失業率の低下なのだが、実際には英国の失業者は減っておらず、数字が下がっているのは、「ゼロ時間契約」と呼ばれる一定の雇用時間を保証されない(つまり、要る時だけ雇用主に呼び出される。お呼びがかからない時は収入ゼロ)雇用形態で働く人々や、「失業者」ではなく「職業訓練中の求職者」として職安に登録されている人が激増しているからだとも言われている。
この「職業訓練中の求職者」というのがクセモノで、失業者からこの身分になると「職業訓練手当」が支給されるのだが、それが結局は失業保険とまったく同じ金額という、要するに名目上の失業者数を減らすためだけの失業率粉飾法である。しかし、それでも訓練というのはポジティブなことには違いなく、大工になる訓練とか、チップスを揚げる訓練とか、何がしかのトレーニングがあるのだろう。と思っていたわたしは完全に間違っていた。
ガーディアン紙の記者アレックス・アンドリューが、友人のシュールな職安体験について書いている。
記事中でJと呼ばれているこの女性はあるメディア企業に勤めていたが、リストラされたため、失業保険の手続きをするためにに地区の職安に行ったらしい。そこで「失業者」ではなく「職業訓練中の求職者」として登録されることになった彼女は、就業アドバイザーから質問されたらしい。
「何か趣味はありますか?例えば、物を拵えるような」
「私、編み物がけっこう好きですけど」
と答えたのが運の尽きで、就労支援アドバイザーが勝手に彼女の社会復帰プランを作り始めた。そのプランとは、彼女が自分で編んだニット製品をオンライン・オークションサイトのeBayで売り、趣味の編み物を活かした起業家になるというものだった。
彼女はそういう方向は気が進まなかったので抵抗したそうだが、有無を言わさず一週間の「起業家コース」に送られ、コースの一日目にはBBCの『Dragons’ Den』のエピソードをまとめて見せられたそうだ(注:『Dragons’ Den』は日本のテレビ番組『マネーの虎』を下敷きにして作られた番組。フォーマットはまるで同じ。起業家になりたい一般人が事業内容のプレゼンを行い、投資家である審査員が投資するかどうかを決定する)。
彼女は、アドバイザーから貯金でビジネスに必要なリソース(毛糸とか、編み機とか)を購入するように勧められたという。自分で確信が持てないことのために投資させられた彼女は、だんだん不安になり、暗澹とした気分になったそうだが、幸いなことにまもなくメディア業界で安定した仕事が見つかり、現在は職安に買わされた毛糸や編み機をeBayで売りに出しているという。
さすがはサッチャーの子供たち(もう孫たちか)の保守党政権。と記事を読んだ時には笑ったが、そう笑ってばかりもいられないのは、この職安における起業斡旋・強要の風潮はキャピタリズムと個人主義の圧政だろうということだ。
当たり前の話だが、社会は「マネーの虎」になりたい人ばかりで構成されているわけではない。温厚な羊として生きたい人もいれば、雇用主にローヤルな犬として生きる方が性に合ってる人だっている。そうした人間の多様性を認めず、誰も彼も虎になれ。というのは無茶である。
日本にも社畜という言葉があるらしいが、だいたいこういう言葉を使って「自力本願」だの「インディペンデントがクール」だのいうことが盛んに叫ばれ、安定した暮らしを求める人間の本能が社会悪であるかのように否定される時代には、「あなたたちのためにはお金を使いたくないの」主義の政権がいる。
しかしまあ、職業訓練と称して失業者を集めてテレビ番組のビデオを見せ、自分の貯金を使って起業することを強制し、それで名目上の失業者数を減らしているなどと、為政者の側からすればまったく金がかからず、丸儲けだ。緊縮をやりながら数字の上では景気回復を果たすという高度な技をやるには、このぐらいのビジネス魂が必要だ。マーガレット・サッチャーが他界したというのは誤報だったのではないか。
そんなこんなで紙の上での失業率は下がっているが、下落する平均賃金とインフレ率1.9%のダブルパンチでワーキング・クラスの生活は苦しくなるばかりだ。
「ハングリーになれ、もっとハングリーになって、おまえはマネーの虎になれ」と言われても、本当に餓死する人が出ているような社会ではもはや洒落にならない。