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勝負服をめぐる”笑ってしまう話”を含む武豊の逸話と、若手騎手の新たな夢の話

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
ゴドルフィンの勝負服を着る武豊(左、SCOOP/DYGA)と坂井瑠星(本人提供)

ゴドルフィンブルーの勝負服

 現地時間3月11日、ドバイのメイダン競馬場で坂井瑠星騎手が2レースに騎乗した。うち1頭はリアルワールドという4歳馬。ゴドルフィンの馬で、管理するのはサイード・ビン・スルール調教師だった。

 「ゴドルフィンブルーの勝負服を着てレースに乗る事は小さい頃からの憧れでした。もちろん楽しみだし、その重みを感じて騎乗したいです」

 世界を飛び回る若きジョッキーはレース前、そう語った。

現地時間3月11日、ドバイのメイダン競馬場でゴドルフィンの勝負服で騎乗した坂井瑠星。馬はリアルワールド(本人提供写真)
現地時間3月11日、ドバイのメイダン競馬場でゴドルフィンの勝負服で騎乗した坂井瑠星。馬はリアルワールド(本人提供写真)

 イギリスに於けるゴドルフィンのお膝元であるサイード・ビン・スルール調教師。古くは凱旋門賞やダービーなど4戦4勝で引退したラムタラ、他にもいずれも凱旋門賞勝ちのサキーやマリエンバード、日本でも海外馬券が発売されるようになった近年ではドバイワールドC連覇のサンダースノー、コーフィールドCなどを優勝したベストソリューションら、活躍馬は枚挙にいとまがない。

 そんな名門厩舎から依頼を受けた日本人騎手で有名なのはやはり武豊だ。1995、96年と2年連続で安田記念(GⅠ)に挑戦したのがサイード・ビン・スルールのハートレイク。いずれも京王杯スプリングC(GⅡ)を叩いて本番に臨んだが、この4戦全てで鞍上を任されたのが日本のトップジョッキーである彼だった。3月15日に52回目の誕生日を迎えたばかりの彼は、まだ二十代半ばだった当時、大オーナーから依頼を受け、結果95年は安田記念を優勝し、翌年は京王杯を勝利したのである。

 現役でいながらすでに伝説のジョッキーとなっている武豊の凄いところは、この陣営からの依頼が日本のそれにとどまっていない点。2001から2年連続でフランスをベースにした彼は、02年にラクープ賞(GⅢ、ロンシャン競馬場)に挑戦した同厩舎のエケリーの依頼を受けた。そして、見事にこれを優勝してみせた。

2002年、ゴドルフィンの勝負服を着てラクープ賞(GⅢ)を優勝した武豊。馬はエケリー。
2002年、ゴドルフィンの勝負服を着てラクープ賞(GⅢ)を優勝した武豊。馬はエケリー。

夢を与えてくれる勝負服

 ちなみにその前年にはクォーターノートに騎乗してグロット賞(GⅢ、ロンシャン競馬場)を勝っているのだが、これはゴドルフィンの総帥とも言えるシェイク・モハメドの馬。重厚感のある海老茶色の勝負服は、現在の日本の競馬ファンだと南関東で活躍する川島正太郎騎手のそれが思い浮かぶようだが、昔から海外競馬に興味のある人ならモハメド殿下の服として定着している。ディープインパクトで知られる金子真人オーナーでもたびたび耳にする事があるが「あれを着ているだけで強く見える」勝負服だったのだ。

2001年フランス、シェイク・モハメドのクォーターノートでグロット賞(GⅢ)を優勝した武豊
2001年フランス、シェイク・モハメドのクォーターノートでグロット賞(GⅢ)を優勝した武豊

 12年にドバイ、メイダン競馬場で行われたジョッキーマスターズに招待された池添謙一がこの服を着て、見事に1着になった時には「これでシェイクからの依頼が増えたらどうしよう?!」と笑顔で語っていた。その言葉を聞き、挑戦する者に夢を与えてくれる勝負服はあると感じたものだが、現在のゴドルフィンブルーのそれには同じ香りが受け継がれていると言って良いだろう。

2012年ドバイ、シェイク・モハメドの勝負服で優勝した池添謙一
2012年ドバイ、シェイク・モハメドの勝負服で優勝した池添謙一

 武豊がトップジョッキーになった事と、彼が海の向こうでいくつもの勝負服に袖を通し経験を積んだ事は無関係ではないだろう。先述したモハメド殿下やゴドルフィンばかりか、ニアルカスファミリーにヴェルテメール兄弟、クールモアなど、世界中の大オーナーの服を着た彼から聞いた“思わず笑ってしまうエピソード”を最後に記そう。

シガーやアラジで一世を風靡したアラン・ポールソンの勝負服にも身を包んだ経験のある日本のナンバー1ジョッキー。そのパドックで、馬主関係者に次のように告げた。

 「この勝負服に憧れ、1度は着てみたいと思っていました」

 すると、思わぬ返事が返ってきた。

 「そうですか。なら、今日、レースが終わった後、持って帰って良いですよ」

 後に武豊は「そういう意味ではない」と苦笑してみせた。

フランスではクールモアの勝負服で勝利した事もある武豊
フランスではクールモアの勝負服で勝利した事もある武豊

経験して掴んだ新しい夢

 坂井に話を戻そう。カペラS(GⅢ)などを勝ったジャスティン(牡5歳、栗東・矢作芳人厩舎)の中東遠征に帯同し、サウジアラビアへ飛んだ彼は、そのままパートナーと共にドバイへ渡った。一時帰国して遠征し直す手もあったが、中東を渡り歩いたのには理由があった。オイシン・マーフィーらに間に入ってもらい、ドバイではサイード・ビン・スルールの調教に跨れる手はずを整えてもらっていたのだ。こうして積極的に海の向こうで経験を積もうと頑張る若者に、競馬の神様が与えてくれたご褒美が今回のレースでの騎乗だった。結果は4着だったが、坂井は言う。

 「勝てなかったのは残念ですけど、良い経験になりました。いつかこの勝負服で勝つという新しい夢も出来ました」

 世界を舞台に大オーナーの勝負服を着つつ経験を増やすのは日本の第一人者がやってきたのと同じ道。武豊のようにその名が世界中のホースマンに知れ渡る存在になってほしいものである。

ゴドルフィンブルーの勝負服に身を包んだ坂井瑠星。武豊のように世界中のホースマンが知るジョッキーを目指してほしい(本人提供写真)
ゴドルフィンブルーの勝負服に身を包んだ坂井瑠星。武豊のように世界中のホースマンが知るジョッキーを目指してほしい(本人提供写真)

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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