ネット上でウソやデマにだまされないためのチェックリスト
インターネットは情報のやり取りを爆発的に促進させ、ソーシャルメディアの浸透で、その情報の流れはさらに加速化している。一方で情報流通のスピード化は、同時にその内容の「確からしさ」をこれまで以上に危うくさせる。速さ・気軽さに重点を置き、ウソや欺瞞情報、デマを自ら発してしまう危険性も桁違いに増えている。
今回はそのようなリスクを少しでも減らすための、チェックリスト、そして対応策を考えてみることにする。このような条件の情報が流れてきたら、鵜呑みにして信じてしまいがちだが、それが本当か否かを確かめるべきである。あるいは対応策として書かれていることを、常に留意すべきだ。見方を変えれば「ウソ、デマを広めようとする人たちの手口リスト」でもあるのは、皮肉なところだが。
1.「ブログに書いてあった」「Q&Aサービスで回答として書かれていた」
これらが情報源だった場合、それを一次ソースとして、確かであることを担保するものは何もない。前者は多分に書き手の主張が混じることが多く、そのブログそのものの信ぴょう性を検証する必要がある。後者は質問者を納得させる回答のものであっても、それが事実か否かという問題とはまた別の話。
2.「~で書いてあった」「~が言っていた」
指し示す対象が公的機関、信頼できる人物であったとしても、それらの機関や人物が本当に公表した、語ったか否かまでは分からない。一次ソースを示さず、単に「書かれていた」「語った」と「騙っている」だけの可能性もある。そして本当にそれらしきことが書かれていた・語ったとしても、「書いてあった」「言っていた」と述べた人のバイアスがかかり、事実・真相とは異なる可能性も。一次ソースを探る必要がある。
最近では「Facebookに書いてあった」という事例も増えている。すぐに確認が出来ない場合が多いのに加え、「実名制のFacebookだから正しいのだろう」という印象を植え付けるのに適しているからだ。
3.「海外の文献では」「海外の報道では」「海外の人が語っていたので」
「2.」と類するが、「~で語られていた」という言及が、その内容の正しさの裏付けにはならない。まずは本当にその文献で語られたのか、報道されたのかを確かめる必要がある(「2.」同様にハッタリの可能性もある)。さらに海外発の情報だから100%正しいという保証はどこにもない。日本人は得てして「海外発」の錦の旗には、無条件でひれ伏してしまうことが多く、それを悪用する事例も少なくない。悪質なパターンでは具体的な場所を指さずに、単に「海外では~」と語ることで、事実のように見せかけることもある。
4.「~の報道によれば」
「3.」と被る部分があるが、これは主に国内の報道を対象としたもの。疑わしきもの、少しでも主観が入っていそうな内容は、一次ソースによる検証が欠かせない。最近では事実の切り貼りや半ば以上の(意図的な)誤解釈により、意味的に・印象的に事実とは全く異なる内容が「報道」される事例も増えている。
5.著者名・過去の発言検索を欠かさない
これは事例では無く、対応策。内容的に疑問符が浮かぶ情報に接したら、ソーシャルメディアならばその情報提供者の過去の発言、記名記事ならば過去の記事や著者名を検索し、過去の主張・発言・成り立ちなどを確認する。事実とかけ離れた、首を傾げるような内容の情報を発する人は、得てして昔から似たようなパターンを繰り返すので、すぐに情報そのものの確証性・実情が判明する。
また書籍執筆者であるのなら、過去の執筆本を検索するのも良い手立て。出版した本からは、その人の実情が見えてくる。
6.肩書に惑わされない
これも対応策。「3.」にも類するものだが、人は得てして権威主義的な点があり、例えば「教授」「政治家」「大手企業の役員」「研究所所長」「評論家」「ジャーナリスト」といった立派な肩書を有する、過去の経歴を持つ、あるいは主張している人物の情報は、つい鵜呑みにしてしまう。しかし実際には、その肩書や経歴が、発言内容や記事の正確性・確からしさを担保することは(残念ながら)あまり無い。主張内容の専門家ですら、方向性が事実とはまったく異なる場合がある。
厳密には何らかの「注目される」「一目置かれる」肩書を持つ人は、「主張・発言内容の確からしさ、正確さ、誠実さ」も合わせて注目される人と、「肩書を(本人が意識して、あるいは無意識に)悪用し、内容の正確性の面では裏付けの無い自分の主張を知らしめる」ことで注目される人の2パターンがある。残念ながら得てして後者の方が多いのが現状だ。
「1.」から「4.」、そして「6.」もやや該当するが、に共通するのは「確証性の高そうな裏付けを呈することで、相手の思考を停止させて丸ごと信じさせてしまう。そして考える、その情報の確からしさを検証させる余地を与えない」こと。詐欺師による詐称方法と似通っているのが皮肉ではある。
最近では複数の事例を掛け合わせた「ソースロンダリング」という手法も用いられる場合がある。「ブログに書いてあるから」と、そのブログを見てみると別のブログの情報の丸写しで、それを何度か経由して元をたどると、怪しげな主張を繰り返す人物の動画であったり、胡散臭い団体の報告書だったという次第。一次ソースの真偽性が何度も経由されていくうちに薄れ、内容のみが伝わっていく。そう、まさに今件危惧している「偽情報の伝播」の一端である。
自分が伝えたいのは「事実」「正しい情報」なのか、それとも「あやふやで確かかどうか分からないけど、楽しければ、興味があるのならウソでもデマでも何でもいい情報」のか。良く考えてみよう。そして後者の場合、その実態が発覚した際には、自分自身にその責が課せられる可能性が多分にあることも忘れてはならない。単なる公式RT、引用による公知であったとしても、それが自らによる発言には違いない。
2009年とやや古い話になるが「麻生首相がドイツを名指しで批判した」と報じられた記事などを検証してみるで触れているように、昨今では報道機関ですら、このチェックリストの対象となる事例が多い。そして「このようなことがたびたび起きると、何か報じられるたびに一次ソースを確かめなければならなくなるので非常に面倒くさい。それに、これって、しばしばウソをつく人への対処法なんだよね」という感想もまたしかり。この記事と感想は4年前のものだが、現在でも何ら状況改善はされていない、むしろ悪化しているような感がある。
あるいは前々からこの体質が継続していたが、昨今ではインターネットの普及などで不特定多数の第三者による検証が容易になり、そのために実態が暴露されているだけなのかもしれない。
ソーシャルメディアを介して、容易に「他人の語り」を容易に「自分の語り」として第三者に知らしめることができるようになった。それゆえに、より一層発言、情報の発信には慎重さが求めれらている。無論、誰にでも間違いや勘違いはある。しかし意図的にそれを行い、自らの利を得ようとする人も多い。多くの人が悩み、苦しみ、惑わされるそのデマに、自分自身が加担することの無いよう、くれぐれも注意をしてほしいものだ。
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