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「大したこと言ってへんのに…」。堀江翔太が覚えた違和感とは。【ラグビー旬な一問一答】

向風見也ラグビーライター
(写真提供=JRLO)

 ラグビー日本代表として通算3度のワールドカップに出場した堀江翔太が、4月8日、国内リーグワン1部・第14節に埼玉パナソニックワイルドナイツのフッカーとして先発。旧トップリーグ時代と合わせ、国内リーグ戦での通算試合出場数を150とした。

 埼玉・熊谷ラグビー場での試合はリコーブラックラムズ東京とおこない、25—12で勝った。

 大阪府吹田市出身。吹田ラグビースクール、島本高校、帝京大学を経てニュージーランドへ留学し、当時の三洋電機ワイルドナイツに入ったのは2009年だ。

 以後、オーストラリアのレベルズ、日本のサンウルブズに加わり国際リーグのスーパーラグビーでもプレーしながら、この国でもキャリアを積んできていた。

 現在37歳とベテランの域に達しているが、今秋に迫ったワールドカップフランス大会への出場も期待される名手。強靭さとうまさと戦術理解度の高さが光るが、試合後の取材エリアでは繊細さをにじませた。

 大らかな言い回しに隠されるのは、謙虚な資質だ。

 以下、共同取材時の一問一答の一部(編集箇所あり)。

——近年はリザーブからの出場が多い堀江選手ですが、今日は先発して途中で退きました。交代時は、投入される坂手淳史主将へ何やら伝言をしていたようですが…。

「坂手に色々、『こうやったほうがいい』という最小限のことを言って、やり切った感じです。(言った内容は)スクラムとか、ディフェンスもっとこうしてとか。あとは僕が言わずとも内田(啓介=スクラムハーフ)とかリーダーが喋ってたんで、そこらへんのことは言わずに」

——試合中も周りをよく見ながら、組織を整えていました。

「周りからの情報と、自分の思っていることが一致するかを確認しながら、ですね。僕は(チーム内で)ディフェンスのグループに入っているんですけど、ディフェンスの時って、隣が誰を見ているかというのが大切。それを知るには喋らんと無理。だから喋れ、喋れと言い続けている。あとは、自分の目の前に(相手が)いなかったら『逆目(ここでは自身の立ち位置とは逆側の位置、という意味か)に余っているだろうから動かなあかんかな』とか。あとは、細かく、誰がぼーっとしているのかを見ながら動いている感じです。(激しいプレーの連続のため、選手は時に)ぼーっとしてくるので」

——ベテランと言われるようになって考えることは。

「年を取って、僕の言動にすごく力が出てきますよね。ここに経歴もついてくるので、そういうのって、チームを右に行かせたり、左に行かせたりと動かしてしまう。そこで僕が『しゃしゃっちゃう(しゃしゃり出てしまう)』と、若い人たちが『こう行きたいのに、できない』となる。それはよくない。基本、引くという部分が非常に大切かなと思います。 前面に出過ぎたらだめですね。もう、僕のチームではないので。これからのやつのチームやと、僕は思っている。そいつらがやろうとしている方向に、どう(全選手を)向かせるかというサポートの方が非常に大事かなと」

——それは、日本代表でもワイルドナイツでも同じですか。

「そうですね」

——いつからそのように考えているのですか。

「年、取ってからですよ。2019年で34歳でしょう? それ以前くらいから。僕が(2017年に)ワイルドナイツでキャプテンを退いたくらいから、色々と考えて…ですね。

 これはやりながら、ですよ。(自分の発言が)正解か、間違っているか、わからんのに、皆、聞いてるな…とか、大したこと言ってへんのに何か深い意味を持っていそうな感じで(捉えられて)頷かれているな…とか。

 キャプテンをやっていた若い時(2013年以降)は僕が喋った後、多くの先輩たちが悪い意味ではなく口出ししてくれたんですが、その人たちがいなくなって、僕が年上になると、何かを決める時に全部が『待ち』になって、僕が言ったことが正解になる(ように)。

 これは非常によくない、チームが前進する時にブレーキになると感じて、僕はしゃべらんと、黙々と自分のプレーに集中して、本当に困った時に手助けできるようなことを言えたらいいなと思っています」

——試合中は仔細に助言を施していますが…。

「試合中はちょっと、違うんすよね。いま(その時に対応しなければいけない)なので、起こっていることをどうするか、バーッと喋るんですけど、(普段)チームで何かを決めて何かをしようという時に僕が出すぎてしまうと、誰がキャプテンやねん、みたいになるので」

 年長者として周りに経験をシェアする大切さを理解しながら、「基本、引くという部分が非常に大切」。かように神経を使うのは、若手時代も然りだった。

 ワイルドナイツの元同僚で、2015年のワールドカップイングランド大会日本代表の山田章仁は、以前、試合に出始めた頃の堀江についてこう証言したことがある。

「チームが堀江に気を遣って、試合が続いたらメンバーから外すことがあったんです。それはきっと休養に近い感じだったけど、あいつはショックを受けてるっぽかった」

 多くの人にとって、堀江の内なる負けん気をにじませるエピソードとして伝わるのではないか。

 本人の認識は、やや違った。

 フッカーのポジションを始めたばかりとあり、こんなことを思っていたというのだ。

「その当時は、スローイング(ラインアウトのボール投入)が嫌で、毎練習、毎練習、変な空気を作っていた僕自身が、凄く、嫌で。

 毎週、火、木の練習(一般的に実戦練習が多くおこなわれる)でも全然、できないまま、試合に臨んでいた。セットプレーができない分、フィールドプレーで何とかせな、と必死やった。

 だから、(メンバーを)替えられると、セットプレーへの引け目があって『あかんかったかな…』と思って」

——そんな時期を乗り越えて、150キャップに到達した。

「練習に行くのが嫌なくらいセットプレーができんかった時も、優しい励ましの言葉をかけてくれた先輩がたくさんいる。ブラウニー(現日本代表アシスタントコーチで当時ワイルドナイツ所属のトニー・ブラウン)も含め! …そしてコーチも(試合に)使ってくれて。

(当時の)いい文化が、いま現在も残っているかなと感じています。チームに向上心があって、どんな時でも一生懸命で、どうすればうまくいくか(を選手が考える雰囲気は)三洋時代からあった。(全体練習が)終わってから個人練習をするのは三洋時代から。先輩も皆、残っていました。チーム練習よりも個人練習のほうが重点的(に取り組まれた)。30分位はグラウンドに残っていた。それが、普通やったので、いまもそう、という感じです」

 周りが偉業達成を祝うなか、本人は取り巻く人への謝辞を重ねる。

 遅延型アレルギーのチェックの末、小麦と卵の摂取を控えるようになったのは2015年以降のことだ。

「2015年には、嫁の厚焼き玉子を食ってる…みたいなのをテレビでやっていたので、それ以降じゃないですかね!」

 その件について話す際も、節制する自分を誇るのではなく家族に敬意を示した。

「僕はいろいろと節制して食べられないものがあるんですけど、それを子どもたちも把握できるくらいになっている」

ラグビーライター

1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年に独立し、おもにラグビーのリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「ラグビーリパブリック」「FRIDAY DIGITAL」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会もおこなう。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)『サンウルブズの挑戦 スーパーラグビー――闘う狼たちの記録』(双葉社)。共著に『ラグビー・エクスプレス イングランド経由日本行き』(双葉社)など。

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