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【2018年6月掲載】「帰還」の困難さを物語る、ミャンマー国内で暮らすロヒンギャの惨状

久保田徹ドキュメンタリー映像作家

【この動画・記事は、2018年にYahoo!ニュース個人の動画企画支援で制作されました。本文中の内容は、掲載された時点のものになります。】

イスラム少数派ロヒンギャは、仏教徒が多数派のミャンマー(ビルマ、以下ミャンマーに統一)において、長年に渡って差別を受けてきた。2017年には軍事政権による迫害により、65万人以上に及ぶ大量の難民が発生。「ロヒンギャ危機」は深刻な国際問題として大きな注目を浴びた。アウンサンスーチー国家顧問が朝日新聞の取材に対し、ミャンマー政府はバングラデシュへ逃れた難民の帰還を進めていくと明らかにし、その行く末は大きく注目されている。しかし、ミャンマー西部・ラカイン州でロヒンギャが置かれている状況を見れば、仮に帰還できたとしても、ミャンマー国内で彼らの安全が保証されていないことは明らかだ。12〜20万人のロヒンギャが収容されているキャンプが、ラカイン州シットウェにあった。

「ライトアップロヒンギャ」
この映像は2016年にラカイン州シットウェで取材し、現地で暮らすロヒンギャの人々と、対立する仏教徒ラカイン族の姿を映したものだ。

■移動の自由、医療、教育、全てが欠落している場所で暮らすシットウェのロヒンギャ
ラカイン州シットウェのダウンタウンからわずか数キロメートル先に、ロヒンギャの人々が隔離されている居住区がある。政府によって設置された検問により、彼らは国内避難民(IDP)キャンプと呼ばれる場所から出ることができず、そこはキャンプというよりは収容所のような隔離空間である。
「この土地には何もかもが欠けている」。ロヒンギャの活動家アウンウィン氏は言う。移動の自由だけでなく、医療、教育などの基本的人権すら制限された生活を強いられている。巨大な収容所のような空間を、アウンウィン氏は「開かれた監獄」と表現した。

シットウェにある8箇所の国内避難民キャンプの中でも、タントウレイ・キャンプは特に酷い衛生環境にある。粗末な小屋が密集した空間で、緑色の汚泥を裸の子どもたちは踏みしめる。このキャンプで唯一の薬剤師モハメドタウリーさんは、毎日20人以上の患者に対応すると言う。「最も多い病気は下痢です。下水の設備がないので、清潔な水を入手できないのです」。

■きっかけは、2012年に起きた暴動
ロヒンギャの人々がキャンプの土地へと隔離されたきっかけとなったのは、6年前に起きた暴動だった。ラカイン州では元々、仏教徒のラカイン族とイスラム教徒のロヒンギャという2つの民族集団が暮らし、平和的に共存していた。しかし、2012年に状況は一変する。ロヒンギャの男性がラカイン仏教徒の女性をレイプし、殺害した事件をきっかけに、ラカイン族の暴徒がロヒンギャの村を襲撃した。結果として、ラカイン族とロヒンギャを含む多くの犠牲者が発生。犠牲者の中にはアウンウィン氏の2人の兄弟もいたという。政府はさらなる衝突を防ぐため、ロヒンギャを保護するという名目の下、彼らをこのゲットーへと閉じ込めた。

■「ロヒンギャ」か「ベンガリ」か 
民族間の対立が急速に激化した背景には、ロヒンギャが外国人であるという差別意識が根底にあった。1982年に制定されたミャンマーの国籍法によると、ロヒンギャは135の土着民族に含まれず、「バングラデシュからの不法移民」という扱いをされている。ラカイン族、アラカン国民党の総書記トゥンアウンチョーは「ロヒンギャという民族などは存在しない。彼らは不法移民のベンガリ(バングラデシュ人)だ」と激しい口調で言い放つ。アラカン国民党に代表されるラカイン族の民族主義者たちは、「外国人」であるロヒンギャがいずれイスラム国家を樹立し、自分たちの土地を奪うのではないかという脅威を感じている。民族主義の影響によってラカイン族の一般市民にまで広まった「外国人」に対する恐怖が、2012年の暴動に拍車をかけたことは想像に難くない。

■歴史的に根深いロヒンギャ問題
ロヒンギャに対する潜在的な差別意識は、2012年の遥か以前より存在した。キャンプ内で暮らすロヒンギャの牧師コビルアフメッドさんによると、ミャンマー(当時ビルマ)が軍事政権となった1962年から徐々にロヒンギャに対する差別が始まったという。そして国籍法が制定された1982年ごろからは、医師や公務員などの職業に就くことが明確に制限された。現在に到るまで段階的にエスカレートしていった差別と迫害は、最終的にロヒンギャとしてのアイデンティティまでも奪おうとしている。シットウェのキャンプで育ったロヒンギャの子どもたちは、外の世界と触れることなく、自分たちが何者かを知らずに育っていくだろう。「もし政府がこのまま我々を隔離し続けるならば、ロヒンギャの文化も何もかもが消えてしまう。そしてあと10年もすれば私たちは本当のベンガリ(バングラデシュ人)になってしまう」ロヒンギャの活動家ウーチョーラー氏は、悲痛な叫び声をあげていた。

■不安定な状況を象徴する火災
シットウェのロヒンギャが置かれている不安定な状況を象徴する出来事が、取材中に起こった。2016年5月3日、ボウドゥバキャンプにて、事故による火災が発生した。国連人道調整事務所(OCHA)によると、およそ440世帯2000人の住居が被害を受け、多くの住居が焼け落ちた。火災現場に駆けつけたロヒンギャの青年ロナディンは、「消防車が早く駆けつければ、火災を防ぐことができたはずだ。しかし、彼らは2時間も遅れてきたため、全て焼けてしまった」と自分たちが置かれた状況に対する怒りと絶望をあらわにしていた。

■現在も続くキャンプでの過酷な生活 帰還は可能か
2012年から6年が経ち、シットウェのロヒンギャは今もキャンプ内で見捨てられたような暮らしをしている。現在、ミャンマー政府はバングラデシュへと逃れたロヒンギャ難民の帰還に向けて動き出しているが、ラカイン州に収容所のようなキャンプが存在する以上、帰還後も隔離された生活に陥る可能性もある。難民の帰還の前に、まずはミャンマーで暮らす全ての人に正当な権利が保障されること、そして仏教徒ラカイン族とイスラム教徒ロヒンギャが平和に共存できるようになることが重要だ。複雑に絡まり合ったロヒンギャ問題に、長期的な解決策が求められている。

*取材・撮影は2016年5月に行われたもの。2018年6月現在、シットウェのキャンプで暮らす12〜20万人のロヒンギャは現在もその地域から出ることが出来ない。

ドキュメンタリー映像作家

1996年神奈川県生まれ。慶應大学法学部在学中の2014年よりロヒンギャ難民の撮影を開始する。以降、BBC,NHKなどにてディレクター、カメラを担当。社会の辺境に生きる人々、自由を奪われた人々に寄り添いながら静かにカメラを向け続ける。2022年7月にミャンマーにて撮影中に国軍に拘束され、111日間の拘束期間を経て帰国。ミャンマーのジャーナリスト支援するプロジェクト「Docu Athan」を運営している。

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