カメラを頭に乗せて川を渡るーー軍の圧政下のミャンマー、ジャーナリストが命をかけて伝えたいこと
国軍がクーデターで全権を握ったミャンマーでは、民主派への厳しい弾圧が続いている。それでも他国へ亡命、あるいは国内に潜伏しながら活動しているジャーナリストや映像作家たちがいる。「ダイレクターH」のペンネームで活動しているシングルマザーは、クーデター後のミャンマーで生きる女性たちの姿をアニメーションで伝え続けている。「革命ビデオクリエイター」を名乗るピョーダナーは、国軍の非道を伝える再現映像を取り入れたミュージックビデオを制作している。命をかけて活動を続ける2人の表現者。それぞれの物語を映像で捉えた。
●圧政下で声を奪われ続ける人々
2021年2月1日、アウンサンスーチー率いる国民民主同盟(NLD)が圧勝した前年の総選挙を無効とするために、ミャンマー国軍はクーデターを起こした。非常事態を宣言して国軍トップを集めると、非暴力を常としていた抗議デモ隊を武力によって弾圧し始めた。2023年8月8日までに3900人の市民が殺害され、24236人が不当に拘束された。
筆者は、国軍による言論弾圧を身をもって体験した一人である。2022年7月30日、ヤンゴンの路上で抗議デモの撮影をしていたところ、国軍によって拘束された。解放されたのは、111日後のことだった。
●ミャンマーのジャーナリストたちの現状
ミャンマーでは撮影や取材が厳しく制限されている。国境なき記者団が発表した2023年の世界報道の自由度ランキングでは、ミャンマーは180カ国中173位だ。中国に次いで2番目に多くのジャーナリストが不当に拘束されており、80人の記者が拘束されている。(2023年8月8日現在)
取材していたことを理由に拘束、拷問され、死亡することすらある。ヤンゴンを拠点に活動していたジャーナリストのソーナインは抗議デモを撮影中に拘束され、2021年10月10日から14日の間に拷問によって死亡した。また、北西部のザガイン管区にて抗議デモを撮影、発信していたエイチョーは2022年7月30日に自宅で拘束された。その日のうちに取り調べ中の拷問で死亡したとされる。このような例は氷山の一角に過ぎず、ミャンマーで起きていることを記録するのは命がけである。
国軍による苛烈な迫害を逃れるため、ジャーナリストたちの多くは隣国へと亡命する。だが、彼らを待ち受けているのは、過酷な道のりだ。
筆者は、自らが拘束されたことで、ミャンマー人たちが自ら発信を行うことができる映像サイトを作りたいと考えた。ジャーナリストの北角裕樹と共に、日本語の映像サイト「Docu Athan (ドキュ・アッタン)」を開始した。協力してくれるミャンマー人を探していたところ、北角から発信者として紹介してもらったのが、ダイレクターHとピョーダナーだった。
●国境地帯で待ち受ける運命
「川を渡るために、何度も行ったり来たりして、動物のように無様な逃げ方をしなくてはならなかった」。ダイレクターHは、ミャンマーからタイへ逃れたときの様子をこう語る。
抵抗運動に参加した市民や活動家たちの中には、ミャンマーの東に国境を接するタイに逃れた者も多い。国境を越えるにはモエイ川を渡らなければならないが、それまでに国軍に見つからないよう細心の注意を払う必要がある。命がけの逃避行である。事務所や自宅、家財道具の一式は全てミャンマー国内に手放して来た。キャリアを築いてきた居場所を失い、平穏な暮らしは奪われた。
ダイレクターHは鼻先まで全身、水に浸かりながらも、頭の上にカメラや撮影データを乗せ、国境の川を越えた。
「全身が水に浸ってしまったけど、カメラは無事だったの」
撮影機材や記録データは、ジャーナリストの命。機材を守り抜いたことを、彼女は誇らしげに語った。
隣国へ逃れたとしても、安全とは言えない状況が待っている。タイは難民条約に加入していないため、命からがら逃れてきた難民を保護してはくれない。そればかりか、タイ警察は難民をミャンマーに強制送還し、国軍に身柄を引き渡すこともある。警察官の中には「賄賂を支払わなければ、強制送還する」と難民を脅迫し、金銭を不当にせしめる者もめずらしくないという。
安全上の理由から、顔と名前を出して取材を受けることを拒む人も多い。そうしたリスクを考慮して、ダイレクターHは人々の体験をアニメーションで再現する映像を作りはじめた。インタビューした音声をもとに自分でナレーションを吹き込み、実際に起きたストーリーを再現する。
密室で国軍から拷問された話など、記録を残すことが不可能な体験も多い。アニメーションであれば、そんな壮絶な体験もわかりやすい形で伝えることができると彼女は語る。
ダイレクターH自身、タイ警察によって拘束される不安を抱えながら活動している。子どもたちと食卓を囲みながら談笑していると、彼女の娘がぽつりと言った。
「今日、同級生の家族が(タイ警察に)逮捕されたらしい。ミャンマー人がたくさんいるって、誰かが密告したみたい」
ダイレクターHはユーモアを交えてこう答えた。「1人だけ残されたらかわいそうだから。みんなで捕まる方がいいわよね」。笑いに包まれる食卓。いつも通りの風景からも、タイでの不安定な生活が浮き彫りになる。
●喪失と向き合い続ける表現者たち
クーデターの前、ピョーダナーはウェディングの撮影や企業の広告映像を手がける映像作家として活動していた。しかし、クーデター後は自身を「革命ビデオクリエイター」と称するようになった。
「友人たちが逮捕され、家々が焼かれ続けている。多くの人が死んだ。こんな状況で、ウェディングの映像なんて作れるはずがないんだ」
クーデター直後の民主派による抗議デモは、非武装・非暴力を常としていた。しかし、平和的なデモはやがて国軍の武力によって徹底的に弾圧されるようになる。非暴力の抵抗に限界を感じた市民たちの中には、少数民族の武装勢力のもとで訓練を受け、国軍と交戦する者も多く現れた。
ピョーダナーの弟、チッミンタイもその一人だった。国軍による弾圧は、ビデオゲームが好きで内気な若者だった弟を、銃を持つ兵士へと変貌させた。
2022年5月、チッミンタイは国軍との戦闘によって命を落とし、遺体は山岳地帯で埋葬された。その様子を記録した映像が、彼の同胞を通じてピョーダナーに届けられた。
自分の弟が埋葬されている映像をパソコンの画面に映したピョーダナーは、涙をこらえながらこう話した。
「この場面を自分の映像作品に使ったんだ。真実をありのまま伝えるのが自分の仕事だから」
ミャンマーのメディア関係者たちは、それぞれの喪失と向き合いながらも、ミャンマーで何が起きているかを伝えるために活動を続けている。
国軍による空爆や地上戦によって、いまでも多くの市民の命が失われ続けている。一方で、この現実が国際的に注目される機会は減っている。
ニュース映像の背景には、カメラを構えた一人ひとりのジャーナリストや市民がいる。世界から忘れ去られてしまうではないかという危機感を抱きながら、ミャンマーのジャーナリストたちは今日も制作を続けている。
(敬称略)
【クレジット】
監督/撮影/編集::久保田徹
翻訳/リサーチ:ミンタンマウン
プロデューサー::高橋樹里
記事監修:国分高史
映像素材提供:Patrick Htoo, DVB (ビルマ民主の声)
音楽::audionetwork