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保守派キリスト教徒エバンジェリカルの「文化戦争」:標的は「中絶・LGBTQ問題」から「離婚問題」へ

中岡望ジャーナリスト
結婚は「愛」か「契約」かー問われる結婚の意味(写真:イメージマート)

【目 次】(総字数6000字)

■宗教抜きに語れぬアメリカの社会と政治/■かつてアメリカでは離婚は不可能であった/■『聖書』に基づくエバンジェリカルの家庭観/■共和党が支配する州で「無過失離婚法」廃棄の法案が提出/■問われているのは「結婚の意味」

■宗教抜きに語れぬアメリカの社会と政治

 筆者がアメリカ研究を本格的に始めて15年以上経つ。最初の研究の対象は「アメリカの保守主義」であった。アメリカの保守主義を研究する過程で、アメリカにおける宗教の果たしている役割を認識するようになった。宗教を抜きにアメリカの社会も政治も理解できない、というのが研究から得たひとつの結論であった。

 もうひとつアメリカ研究で重要な要素は、「連邦政府」と「州政府」の関係である。各州は独自の憲法と司法制度を持つ独立した組織である。州が集まって連合(Union)を作った。州は独立性を維持し、連邦政府は各州の人々の生活に関わることに責任を持った。逆に言えば、連邦政府は各州の個別の問題に関与できないのである。アメリカ憲法は、連邦政府は州が委託した権限の中でしか行動できないと規定している(憲法修正第10条)。直近の例で言えば、最高裁が2022年に女性の中絶権を否定した。その後、各州は勝手に中絶に関する法律を制定している。共和党が支配する州では中絶が実質的に禁止されたが、民主党が支配する州は女性の中絶権を認めている。日本でいえば、東京都で認められることが、神奈川県では認められないというのに等しい。今回、本稿で取り上げる「離婚問題」も、同様な宗教的背景と州の制度的な独立性が関連して起こっている問題である。

 保守的なキリスト教原理主義者である「エバンジェリカル(福音派)」は、アメリカを「キリスト教倫理」に基づいて作り直そうとしている。この10年、彼らの試みはある程度成功を収めてきた。リベラルなアメリカの下で進んできた様々な制度や法律が覆されてきた。それはエバンジェリカルのリベラルな社会的価値観に対する「文化戦争」である。その文化戦争は、トランプ前大統領の登場でさらに激しくなっている。

 エバンジェリカルは、アメリカを「キリスト教国家」にするという「キリスト教ナショナリズム」の信奉者でもある。文化戦争の中で、既に保守的な南部などの州で「中絶の実質禁止」を勝ち取り、最高裁判決で「宗教の自由」を口実に非キリスト教徒に対する差別を正当化する試みに成功を収めた。保守的な南部などの州では「LGBTQの権利」の規制に成功を収めつつある。中絶薬や避妊薬の販売規制、体外受精の禁止なども実現しつつある。彼らが次の標的とするのは、「同性婚の禁止」と「無過失離婚法(No-fault divorce laws)の廃止」である。

■かつてアメリカでは離婚は不可能であった

 アメリカの公共放送『NPR(National Public Radio)』は2024年7月7日に「共和党が支配する州の保守派は『無過失離婚法』の廃止に注意を向けている」という記事を掲載している「(Conservative in red states turn their attention to ending no-fault divorce laws)」。また政治サイトの『Vox』も、2024年6月13に「次にキリスト教右派は離婚問題を攻撃しようとしている(The Christian right is coming for divorce)」と題する記事で、エバンジェリカルの政治戦略を分析している。『Roling Stone』も、2023年5月2日の記事に「共和党の女性に対する次の戦争の最前線は無過失離婚である」と題する記事を掲載している(「The Next Front in the GOP’s War on Women: No-Fault Divorce」)。

 エバンジェリカルが廃止を目指す「無過失離婚法」とは何か。従来、アメリカでは離婚条件が極めて厳しかった。配偶者の一方が「不倫」や「暴力」、「虐待」、「長期投獄」、「育児放棄」など何等かの「過失」を犯さなければ、裁判所は離婚を認めなかった。過失の証拠(不倫の現場写真など)を裁判所に提示しなければ、離婚は認められなかった。夫が離婚を望まない場合、女性の立場は極めて不利であった。離婚を求める女性に対する社会的圧力も強かった。女性は実質的に離婚できない状況に置かれていた。南カロライナ大学のマルシア・ツーク教授は「アメリカの歴史のほんどの時期、離婚は困難であった。多くの州では完全に離婚は禁止され、他の州では残酷行為、脱走、姦淫など限られた状況下でしか許可されなかった」と指摘している(『The Conversation』2024年3月21日、「Why are Americans fighting over no-fault divorce? Maybe they can’t agree what marriage is for」)。

 離婚するためには、相手の「過失」を法廷で証明する必要があった。夫婦双方が離婚に合意していても、裁判所に離婚を認めさせるためには、配偶者が過失を犯したと「虚偽の申立て」をするケースが頻繁に起こった。夫婦で不倫の偽装も行われた。離婚を望む夫婦は離婚を制限する州から離婚を認める州へ転居して、離婚するという事態が頻発した。1890年代、インディアナ州は離婚条件が緩かったため、離婚を望む夫婦は同州へ集まってきたため、同州は「離婚工場(divorce mill)」と呼ばれた。

 「重大な過失」がなくても離婚が認められる「無過失離婚法」が初めて成立したのはカリフォルニア州で、1970年である。当時のロナルド・レーガン知事は無過失離婚を合法とする「1969年家族法」に署名した。レーガン知事自身も2度の離婚歴があった。その後、各州で「無過失離婚法」が成立した。同法の成立で、配偶者が過失を犯したことを証明しなくても、結婚を終わらせることが出来るようになった。2010年にニューヨーク州で「無過失離婚法」が成立し、全州で無過失離婚が認められた。その結果、女性主導で離婚訴訟を進めることができるようになった。女性団体は「無過失離婚法は女性の権利を拡大し、女性にとって結婚をより平等なものにし、男女平等を実現した」と歓迎した。妻が一方的に夫に離婚を求めることも可能になった。

 「無過失離婚法」の成立で離婚訴訟にかかる時間と費用は大幅に削減され、法廷で夫婦の間での批判合戦を避けられるようになった。2004年に発表された研究論文によれば、「無過失離婚法」が制定された後、妻の自殺が8~16%減り、DVは30%減少し、夫に妻が殺害された件数は10%減ったと報告している。「無過失離婚法」は妻に「安全」と「自由」を与えたのである。

 夫婦の間で「和解しがたい不和」が存在すれば、離婚は成立する。2021年に離婚したビル・ゲイツ夫妻は離婚理由を「結婚生活が回復不能なまでに破綻した」と述べている。アメリカの離婚したセレブは「和解しがたい不和」や「意識的に夫婦関係を解消する」と、無過失離婚を主張するのが普通になっている。過失がなくても、「性格の不一致」で離婚が可能になったのである。

■『聖書』に基づくエバンジェリカルの結婚観

 「無過失離婚法」は夫婦関係を大きく変えた。だがエバンジェリカルは、家族は伝統的な「ユダヤ・キリスト教倫理」に基づき、「家父長制度」を柱として構成されるべきだと考えている。父親は外で働き、妻は家で家事と育児に専念する。夫は敵から家族を守る存在でなければならない。妻は貞淑でなければならない。それがエバンジェリカルの変わらぬ「理想的な家族像」である。

 1977年にエバンジェリカルの指導者のひとりであるジェームス・ドブソンは「Focus on the Family」という組織を立ち上げ、社会の自由化の中で崩壊する家庭をキリスト教倫理に基づいて再建することを主張した。同団体のホームページに団体の使命が書かれている。「人生の目的は神の子であるイエス・キリストとの真の関係を通して、神を知り、神を賛美することを知ることである。この目的はまず家族の中で実践され、それから破壊された世界に広めることである」と書かれている。

 ドブソンは自著の中で「創造主はエデンの園で孤独なアダムの姿を見て、『人が1人でいるのは良くない』と、アダムのために助け人、パートナー、愛する者として女性を与え、情緒的、性的に彼女と結びあうよう計画した。そして、神は家族を作り、結婚を制定し、祝福を与えた」と書いている。さらに「結婚と子育ては神の発案であり、平和と調和のうちに歩む秘訣は神が明らかにしている」とも書いていう。「結婚」と「家族」は、神の意思によって作られたと主張する。

 エバンジェリカルは『聖書』は神の言葉であり、『聖書』の言葉に従って生きるのが良い生き方であると信じている。さらに付け加えれば、世界はアダムとイブによって作られたもので、世界には「男」と「女」しかいない(binaryな社会)であると主張している。彼らに取って、LGBTQは神から許されない存在である。こうした発想が、エバンジェリカルの「結婚観」や「中絶観」、「ジェンダー観」のベースにある。ちなみに、エバンジェリカルは神の言葉(福音)を世界に広げることを使命と考えている。そのことから、彼らは「福音派」と呼ばれる。同時に「福音」を広げるために、政治や社会に積極的に関わっていく必要性を説く。エバンジェリカルは、現在では、アメリカで最大のキリスト教団を形成するまでになり、共和党の最大の支持者になっている。

 エバンジェリカルは「無過失離婚」がアメリカの家族を劣化させ、文化を衰退させたと考えている。ドブソンは「離婚を容易にしすぎると、社会的混乱、不正直の蔓延、不法行為、女性に対する暴力、男性に対する戦争、育児の放棄が起こる。結婚や家族の価値を下げることは、社会の基盤を損なう」と書いている。

 エバンジェリカルは「誓約結婚(covenant marriage)」を支持する。すなわち結婚は神との「誓約」であり、結婚を破棄するには「過失」が必要であると主張する。キリスト教の結婚式で、牧師や神父が結婚する2人に神の前で「死が分かつまで結婚を続ける」ことを誓約させる。現在でも、アリゾナ州、アーカンソー州、ルイジアナ州では、「誓約結婚」が法的に認められている。結婚するカップルに、虐待や遺棄などが行われた場合のみ離婚を認めるという誓約書に署名することが義務づけれている。

 こうしたエバンジェリカルの結婚観に対して、1870年代のフェミニストのエリザベス・スタントンは「継続的な敵対、無関心、嫌悪感の中で一緒に暮らす結婚は、家族に対する罪である」と、厳しい批判を加えている。40年以上前のことだが、筆者がアメリカにいた時、アメリカ人の女性と離婚に関する議論をしたことがある。筆者が、「日本では子供に与える悪影響を考えて離婚を思い留まる夫婦が多い」と語ったところ、彼女が「破綻した結婚の下で育つ子供はもっと不幸だ」と答えたのを、この原稿を書きながら鮮明に思いだした。ちなみに2019年の『World Psychology』に掲載された論文では、「両親が離婚した子供たちの大半には回復力があり、明らかな心理的問題を示さなかった」と指摘している。

■共和党が支配する州で「無過失離婚法」廃棄の法案が提出

 エバンジェリカルは着実に「文化戦争」で勝利を収めつつある。次の標的は「無過失離婚法」の廃止である。2024年1月にオクラホマ州議会に「無過失離婚法」の廃止を求める法案が提出された。テキサス州とネブラスカ州、ルイジアナ州の共和党は「政策綱領」の中で「無過失離婚法」の廃止を政策課題に掲げている。連邦議会のジョンソン下院議長は、「離婚法の厳格化」、すなわち簡単に離婚できないように法律を改正する必要性を主張している。エバンジェリカルである同議長は2016年に「離婚は社会を非道徳的な社会にする」と発言している。トランプ政権で住宅都市開発長官を務めたベン・カーソンは「家族のため、無過失離婚法を廃棄するか、無過失離婚件数を大幅に減らすべきだ」と主張している。

「無過失離婚法」によって離婚は容易に行えるようになった。だが、保守派には、離婚は家庭を崩壊させるものであるという根深い思い込みがある。2021年に保守派の評論家スティーブ・クラウダ―が「妻が夫の同意なしで離婚できる」ことに不快感を表明し、2023年に保守派の評論家が「夫婦の契約が携帯電話の契約よりも拘束力が軽くなった」と「無過失離婚法」を批判し、保守派の人々は共感を示した。さらに19世紀から現代にいたるまで離婚の申立ては圧倒的に妻から出されており、自由に離婚できる状況に保守的な夫たちは恐怖していた。女性は離婚によって第2の人生を始めることができ、自立を獲得することに対しても保守派は不快感を示している。

 さらに保守派は「無過失離婚法」は「市民権」と「平等権」を規定した「憲法修正第14条」に違反すると主張している。一方的な申立てで離婚が成立すれば、家族と財産が奪われることになるというの、その論拠である。同修正条項には「法の適切な過程によらず、生命、自由、財産を奪ってはならない」、「法の平等な保護を否定してはならない」と書かれている。

 「無過失離婚法」を廃棄する動きに対して、南メソジスト大学のジョアンナ・グロスマン教授は「5年前だったら、『無過失離婚法』を廃棄する法案が可決されるわけはない、ばかばかしくて意味が分からないと言っていただろう。しかし、この数年、考えられないような法案が成立するのを見てきた」と、状況を楽観視すべきでないと指摘している(上記のNPRの記事)。

 保守派の主張が国民的に支持される可能性は低いだろう。だが、本稿の最初に指摘したように、幾つかの州で実現する可能性は十分にある。「中絶」を実質的に禁止している州の数は20州を越えている。

■問われているのは「結婚の意味」

 「無過失離婚法」を巡る議論は、改めて「結婚」とは何かを問うている。南カロライナ大学のツーク教授は「愛が結婚する唯一の理由であると人々は信じているが、裁判所はもっと現実的なアプローチをしている。カップルを祭壇に導くのは愛だけでは不十分である。だからこそ、減税や移民優遇から刑法の弁護に至るまで、結婚に様々な恩恵をもたらす手段を講じて、結婚を推奨しているのである」と、元々結婚には「駆け引き」が存在すると指摘している。そして、「かつて結婚は明らかに経済取引だった」とし、「結婚が愛に関するものなら、愛の欠如が離婚の理由になるはずだ。しかし、結婚が利益のための契約であれば、無過失離婚法で契約が一方的に破棄されることに保守派が激怒するのも不思議ではない。無過失離婚法の廃止を求める動きは、離婚の目的を巡る争いとして表れているが、実際は結婚の意味を巡る争いである」(前掲の『The Conversation』)と指摘している。アメリカでも、日本でも結婚は減っている。結婚する「メリット」が間違いなく低下している。

 トランプ前大統領は離婚の経験者である。「無過失離婚法」の恩恵を受けた人物である。彼が、エバンジェリカルの要求をどこまで受け入れるのか分からない。ただ、トランプ前大統領が当選すれば、エバンジェリカルが勢い付くのは間違いない。この問題が「文化戦争」の核心になるかどうかは別にして、この問題を理解することは、アメリカを理解する貴重なケースであることは間違いない。

 ちなみに日本の離婚の最大の理由は「性格の不一致」である。厚生労働省の「離婚に関する調査」では、離婚理由は、「性格の不一致」が34.7%、「経済的な理由」が17.4%、「家事・育児の問題」が11.1%、「浮気」が10.1%、「配偶者の暴力」が6.9%、「親族との関係」が5.5%、などである。結婚を成立させるのは「愛」か、それとも「契約」か・・・・・。

ジャーナリスト

1971年国際基督教大学卒業、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)、東洋経済新報社編集委員を経て、フリー・ジャーナリスト。アメリカの政治、経済、文化問題について執筆。80~81年のフルブライト・ジャーナリスト。ハーバード大学ケネディ政治大学院研究員、ハワイの東西センター・ジェファーソン・フェロー、ワシントン大学(セントルイス)客員教授。東洋英和女学院大教授、同副学長を経て現職。国際基督教大、日本女子大、武蔵大、成蹊大非常勤講師。アメリカ政治思想、日米経済論、マクロ経済、金融論を担当。著書に『アメリカ保守革命』(中央公論新社)など。contact:nakaoka@pep.ne.jp

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