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【京都市】下京区『蓮光寺』にある『長曽我部盛親公埋首地』で戦国武将について学ぶ

高津商会RICALIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

長宗我部盛親(ちょうそかべ もりちか)は、安土桃山時代から江戸時代前期に活躍した土佐国の大名であり武将です。

頻繁にテレビや映画の撮影などで『高津商会』の甲冑や刀剣などの小道具が活躍している『関ヶ原の戦い』。

関ヶ原の戦い』は1600年(慶長5年)に「徳川家康」率いる東軍と「石田三成」「毛利輝元」率いる西軍が争った戦いです。

徳川家康(羊歯兜)シダ(高津商会HPより)
徳川家康(羊歯兜)シダ(高津商会HPより)

いま、なにかと話題の徳川家康です。昨今、問い合わせの中でもやはり徳川家康モデルの甲冑などは人気です!

徳川家康(金陀毘)(高津商会HPより)
徳川家康(金陀毘)(高津商会HPより)

長宗我部盛親はその「関ヶ原の戦い」では西軍に属し、毛利・吉川・長束・安国寺らの諸将とともに南宮山麓に陣したが、西軍の敗色が濃くなると戦わずに帰国しました。

京都では相国寺門前の藪の中に寺子屋を建てて生活している浪人がいて、それが長宗我部盛親だったと。寺子屋で子供たちに手習いを教えていた、という話が伝わっています。

大坂冬の陣には豊臣秀頼の命に応じ大坂へ入城した長宗我部盛親。夏の陣では、井伊直孝の軍に側面をつかれて敗走。蜂須賀の家臣に捕えられ、京の大路を引き廻された末、享年41歳の若さで板倉勝重に六条河原で斬られました。

『蓮光寺』は知恩院を本山とした浄土宗の寺。1492年(明応元)真盛上人が高野山の苅萱堂に模して新町高辻に創建したのが始まりと伝わります。山号は負別山。

本尊は快慶作と伝わる「負別如来(おいわけにょらい)」だそうです。

弘法大師(空海)の作と伝わる地蔵堂に安置される「駒止(こまどめ)地蔵」も知られています。平清盛が乗る駒(馬)が六条河原で突如動かなくなり、そこを掘ると地蔵が出てきたそう。

平常は非公開だそうですが、予約を入れると見せてもらえる場合があるとのこと。

その昔、快慶が東国の僧の求めに応じて阿弥陀如来を作った際、あまりの尊い出来映えに自ら護持したいという気持ちを止められず、僧の後を追いかけた。山科(やましな)の辺りで僧に追いつき懇願すると、僧も大いに感銘し、笈(おい)を開いたところ、仏像が二体に分かれていたという。二人は感涙し、それぞれ一体を背負って東西に別れたと伝えられる。

「蓮光寺」さんは、土佐の「長曾我部盛親の墳墓」があるということで、刀剣好き、戦国武将好きな人たちには知られているそうですよ。

蓮光寺
京都市下京区富小路通六条上ル本塩竃町534
TEL 075-600-8119

LIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都で生まれ育つ。世界各地を周遊、欧米中心に20年ほど滞在し京都に帰還。日本のコアな伝統文化や芸能、神社仏閣や裏歴史、催事らを国内外の旅サイト・雑誌・新聞で執筆。経験に基づく“陰謀説”の電子書籍出版あり。フォトジャーナリスト、写真映像家、音楽・イベントプロデューサー、特殊ツアープロデュース・ガイドから日本庭園庭師までマルチに活躍。日本映画の発祥時より美術に携わってきた”ジャパニーズハリウッド”京都太秦にある老舗『髙津商会』にて映画・美術装飾・アート&エンタメ、海外事業に携わりつつ伝統文化・芸能などに関わる史実や古美術らについて勉強中。『京愛』や『日本愛』を深め世界進出を夢見る毎日。

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