記者が14年見てきた築地市場の豊洲移転騒動「寂しい。本当に惜しい財産、捨てたよね」
約20年にわたって移転騒動に揺れてきた築地市場(東京都中央区)は、10月6日の正午で幕を閉じ、翌7日には移転先の豊洲市場(江東区)に向けて、ターレの大移動が始まった。
筆者は2004年頃から、豊洲市場使用者の仲卸たちが訴える、ガス工場跡地の汚染の残存をはじめ、計画の不備からくる使い勝手の問題などを追いかけて来た。それだけに、10数年間の移転騒動を巡る様々なシーンが脳裏によみがえってくる。
何のための豊洲移転なのか
「2年は長いものだった。その間、いろんな検討だけは続けていた。それは、やっておいてよかった」
業界団体でつくる「築地市場協会」の伊藤裕康会長は6日の会見で、小池百合子都知事の判断で豊洲市場への移転が2年延期されたことについて問われ、そう感慨深げに振り返った。
移転延期の2年間、豊洲市場の安全の前提だったはずの盛り土がなかったことがわかったほか、環境基準を超える汚染データが出続け、地下水モニタリングの採水方法に操作が行われていたことなども明るみになった。
そして、小池都知事が土壌汚染の専門家会議や市場PTでの検証を経て、昨年6月20日に導き出したのは、「築地は守る・豊洲を活かす」という基本方針だった。その後、小池都知事は、豊洲市場の開業を10月11日に決め、盛り土に代わる追加対策工事も行い、「安全宣言」まで出した。
豊洲移転に賛成してきた水産仲卸は、「世界に向けての新しい施設という意味では、豊洲はきっとよくなることを願っている」と歓迎ムードだが、閉鎖型と低温管理をうたう豊洲市場の課題は、スペック通りの最新鋭とは言い難い。
移転に疑念を持ちながら引っ越し準備を進めている水産仲卸は、こう訴える。
「豊洲は、温度管理のできる市場としてブランド化するというのが肝だったのに、屋根のない待機駐車場で積み込みOKにしてしまった。コールドチェーンになっていなくて、理念が崩れているのに、何のための豊洲移転なのか」
伊藤会長も、「常温の所で荷物の受け渡しがある点については、完全なコールドチェーンとは言えない」ことを認めていた。ただ、「相手は鮮度ですから、手早く効率よく届けられるようにしたい」と話す。
豊洲市場を開場した場合に毎年約100億円超と試算されている中央卸売市場の会計の課題も、まだ解決策が具体化していない。
都は今後、どうやって豊洲の巨大施設を維持管理していくのか。都議会は今後いつまで、約100億円の赤字を計上した決算を認め続けるのか。場合によっては、市場の切り売りや、一般会計から市場会計に多額の税金を投入せざるを得なくなる可能性もある。
さらに、2年後の改正卸売市場法の施行によって、どのような影響を及ぼされるのか。規制撤廃と流通合理化という不可逆な流れの中で、卸や仲卸といった業態がどうなるのか不透明だ。
まだまだ課題が出てくる
筆者の感覚では、水産仲卸の大半はいまでも、銀座に近い立地の築地から離れたくないというのが本心だ。
「豊洲は造りも内容もひどい。やめりゃ良かったとみんな思うかもしれないけど。移転を止めることまで、我々はできなかったからね。やっちゃ場(青果市場)に、いい場所を取られちゃったし。商人としては、情けない結論だよ。もう、あまり言うことはありません」(長年移転に反対の立場だった水産仲卸の元組合理事)
これは、業者の数で圧倒的に勝るはずの水産仲卸の業界団体が、1つにまとまれなかったうえ、交渉力と戦略で他の業界団体に負けたことの証左だ。
そもそも環境基準を超える有害物質が検出され続けているうえ、地下水の水位が下がらず、地盤沈下などが豊洲市場敷地で起こっていることも不安要素になっている。
問題が解消されていない以上、「万一、豊洲市場で何らかの不具合が起きて継続できなくなったとき、再び築地に戻ってくることはできるのか?」と心配する声は、止むことはない。
築地市場跡地の活用について、小池都知事は「食のテーマパーク」という基本方針を示しているものの、都の有識者会議では具体案が出されなかった。
いずれにしても、市場が豊洲に移転したから“一件落着”とはいえず、市場の担当者も「これからまだまだ課題が出てくるだろう」と見通す。
明るい未来を描けるか
「寂しい。本当に惜しい財産、捨てたよね。東京は、日本は」
長年、移転に反対し、「いまは豊洲に行くしかない」と気持ちを切り替えた、ある水産仲卸の行き場のない言葉が、14年にわたり市場移転騒動を見て来た筆者に突き刺さる。
新市場に明るい未来を描けるのかどうかは、豊洲に行ってみなければわからない。「すばらしい施設」に期待をのせる人もいれば、現実の「明るくない見通し」に不安を抱く人もいる。
様々な人たちの思いが交錯する中、築地市場は83年ぶりに、引っ越しの日を迎えた。