清潔なこととは異なる ウィズコロナで問われる身だしなみ、揺らぐ”清潔感”の正体
先日、「清潔感とはなんぞや?」という質問をされた。「新しい衣服を着ていること?」「いい匂いがすること?」と件の質問者は他にもいろいろな要件を出してきたのだが、ボクはこう答えた。「他人から見て、不愉快に思われる要素がないこと」と。
男性美容研究家という肩書きで活動しているとよく「美容って洗えばいいんでしょ?」と言われることが多い。むろん洗っておけば清潔な状態にはなる。たしかに正解なのだが、それはスキンケアのひとつのパートであって、それだけで清潔感が得られるわけではない。洗い方が間違っていたり、洗った後のケアを怠っていたりすると、皮脂が過剰に分泌されてベタつきやテカリを生むこともある。さらに保湿不足だと乾燥による肌荒れでニキビや吹き出物ができやすくなったりする。皮膚の疾患ではなく、自分の努力の欠如によってもたらされるベタつきや肌荒れは、およそ清潔感とはほど遠くなってしまう。では、清潔感とは一体、何なのだろうか?
清潔感はあるのに不潔な場合とは?
極端なことを言えば、衛生的には不潔だが清潔感を演出することは可能だ。たとえば、普段からハンドクリームを塗って潤いに満ちたなめらかな手指をキープしている人がいるとする。さらにきれいに長さが揃えられ、表面が磨かれた爪であればパッと見でその人には清潔感があると言える。しかし、あなたと名刺交換する直前にトイレに行っており、手を洗っていなければその手は不潔だ。
反対にきちんとシャンプーしていても髪型に気を遣わず寝ぐせがついていつもボサボサな人がたまにいる。あるいはたとえキレイに洗濯してあっても、アイロンがかかっていなくてシワだらけのシャツを着ているとしたら、その人もまたお世辞にも清潔感があるとは言い難い。ただし、それらの人は洗髪も洗濯もしているから清潔な状態ではある。でも、見えている事実だけだとその人を積極的に好ましくは思う人は少ないだろう。「一事が万事」と言う表現があるようにボクたちは見た目から見えないものまでを勝手に類推してしまう。
今、こんな社会的状況下では皆が相対する人に「清潔であってほしい」という期待をしている。自分自身や家族を守るために常に細心の注意を払わねばならない。そのためには表出している情報を元に判断するしかない。それが高じて“マスク警察”と呼ばれる人たちが出てくるのも、ある程度は理解できる。
清潔は事実、清潔感は演出
清潔であることは目には見えにくい“事実”であるのに対し、清潔感とは他者との関係において生じる“演出”といってもよい。コロナ禍で直に接触する機会が少なくなったが、オンラインの画面を通じてでも“清潔感”の有無はわかってしまう。
先日のマンダムのオンラインセミナーでは男性がZoomなど画面上で自分の映像を見続けることにより、他の出席者と自分の見た目を比べてしまうという見解が発表された。そこで自分の老化に気づき、身だしなみを気遣うようになってきたという。
また、資生堂が展開するウーノというメンズコスメブランドが行った調査では、オンラインミーティングで男性のメイクが及ぼす影響を脳波・心拍測定により可視化した。
つまり、オンラインでもオフラインでも清潔感という演出はもはや必要だ。それを実現する手段が普段のスキンケアであったり、メイクであったりするということ。それが科学的にも有効だと証明された、と。
たしかに肌のキメや色ムラ、毛穴などをカバーするBBクリームやファンデーションは若い男性のみならず、ミドルエイジの男性でも取り入れる人が多くなってきた。また顔の額縁とも言われ、目元のひいては顔全体の印象を左右する眉の手入れをする男性はかなり多い。こうした色をつけ、形を変えるメンズメイクの有効性は社会的にますます認められ、広がっていくだろう。そのきっかけが人と接触の少なくなった2020年というのが皮肉ではあるが。
先述の寝ぐせはその対象が愛しい人ならば微笑ましくもうつるが、嫌いな人なら許せないほどだらしなく見えるはず。事実よりも感情が優先する。となると、個人的な見解に左右される“清潔感”とは、実は危うい価値観ではないだろうか。よく「清潔感のある人が好き」と言うが、そこには「“自分にとって”清潔感のある人が好き」というのが見落とされがち。そう言う本人さえ、気づいていないだろう。
とはいえ積極的にだまそうとしない限り、清潔感を演出している人は衛生的に気を遣っている確率も高い。メイクをしてまで印象をよくしようとする努力型の人なら、スキンケアも真面目にこなししているはず。そもそも肌がきれいな状態でないと演出のメイクさえうまくのらないのだから。ただし、このご時世、見た目が清潔感にあふれているからといって清潔であると勘違いして、すぐさま信用しない方がよいのかもしれない。