【富士宮市】相撲の名手だった父と曽我兄弟への奉納相撲?!日本一高い土俵がある『上井出天神社』
上井出集落の北側に広がる天神山。その麓に富士の巻狩の伝承が残る『上井出天神社』があります。
鳥居の前には歩く博物館の説明書きがありました。
説明には『富士の巻狩を見渡せる場所に高台があり、そこで源頼朝が巻狩の様子を見たと言われ、そこを『駒立の丘』といっている』とありました。
富士の巻狩遺構と伝わる猪土手の描く弧状の中心に、天神山が位置していて、頂上から北に広がる「間遠(的)ケ原」一帯を一望できるこの場所が『駒立の丘』ではないかと推測されています。
鳥居の奥には、重機が見えました。
天神山周辺には富士の巻狩の伝承や地名が数多く残っています。これは猪土手に囲まれる内側が巻狩に名を借りた軍事訓練の場であったことを示すものだと言われています。
境内にある富士山を模したという日本一高い土俵があり、頼朝が富士の巻狩の際に武将に相撲を取らせたと考えられています。鎌倉時代では武術の鍛錬に相撲が用いられており、巻狩と合わせて相撲が催されたのではないかと推測されているそう。
ちなみに河津三郎祐泰(曽我兄弟の父)は相撲の名手と言われ「河津掛け」に名を残しています。
この土俵では秋祭りに、子どもたちの奉納相撲が行われるそうです。
上井出天満宮での相撲は曽我兄弟と父、河津三郎祐泰への奉納相撲だったのかもしれません。
重機の横には、大きな木を伐採した後があり、富士山を模した土俵やアスファルトの地面が損傷していました。
ふと横を見ると、「大木の枝が落ちる可能性あり」という注意書きと通行止めにするポールがまとめて置かれていました。
土俵前の大きな大木が倒れてしまったのでしょうか。今年の秋祭りが開催できるか心配です。
奥の土俵よりももう少し高い場所には、神殿がありました。
周囲には住宅もあるのですが、ここは深い森の中のような雰囲気です。
神殿の中には菅原道眞朝臣が祀られていました。
神殿から見た土俵です。こちらから土俵の様子を見ることができます。土俵に被せられた青いビニールシートが富士山っぽさに拍車をかけます。
この神殿の辺りで源頼朝が相撲の様子を見ていたのかもしれませんね。
ちなみに井出の集落から北を仰ぐとお椀をひっくりかえしたような半円球に見える天神山。
「信長公記」内で記されている「上井手の丸山」は天神山のことだとかもしれません。
この場所で源頼朝が巻狩の様子を見物し、富士遊覧の際には織田信長が訪れたのではないかと古代のロマンに思いを馳せ、『上井出天満宮』が歴史の文化財としてより良く復興して欲しいと願わずにはいられませんでした。
上井出天神社
住所:富士宮市上井出字笹原830
アクセス:県道71号線を北上、『美容室エリカ』さんの看板がある道を右折、60mほど進んだ先の左側