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「軽減税率」を考えるためのシンプルな事実

中田大悟独立行政法人経済産業研究所 上席研究員

消費税率10%の引き上げ時に導入することで与党間が合意していた軽減税率について、これまで議論されてきた複数税率ではなく、食費にかかる消費税率2%分を後で給付(還付)することとする、「日本型軽減税率制度」を財務省が提案したことで、議論が一気に盛り上がってきた感があります。

おそらく、私の知る限りの殆どの経済学者が複数税率による軽減税を批判してきました。多段階課税の消費税で複数税率を導入することで生じる徴税コストが膨大になることや、所得再分配の手法として軽減税率は非常に効果が弱いこと、さらには価格体系に歪みを与えることで資源配分が非効率的になるという経済学的な観点からの批判など、散々な評価です。それに対して、財務省が提案した給付方式による負担軽減策は、価格体系に与える歪みは小さく、徴税コストは少なく済むかもしれないことから、複数税率よりも評価できるポイントが多いのは事実です。(もっとも、その給付額の算定に、マイナンバーのICカードを用いて食費支出額の集計に用いるという構想について、斬新なのは良いけれども、企業と消費者が負うコストが膨大なものになるであろうことから、あらぬ方向に議論が進んで行っているわけですが)

ただし、食料品に対する軽減税率については、それを複数税率でやるにせよ、事後的な給付方式でやるにせよ、それがどのような効果をもたらすものなのか、ということについては、多くの国民が知っておくべきことのように思われます。総務省統計局では、5年に一度、国民の消費・所得・資産などの実態を把握するために、「全国消費実態調査」というアンケート調査を実施していますが、ここでは、この調査結果から食費支出にかかる税を軽減することの意味を考えてみましょう。

全国消費実態調査の基本的な集計結果表に、所得階級別の消費支出を集計したものがあります(42表-年間収入階級・年間収入十分位階級別1世帯当たり1か月間の収入と支出-総世帯)。これについて、酒類を除いた食費に対する支出に関してのみ抜き出したものが、次の図になります。

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これを見ると、明らかな傾向として、世帯の所得が高ければ高いほど、食費支出額も増大するということが見て取れます。しかしながら、同時に同じ表に掲載されている各所得階級の平均世帯人員数を同じ図に入れてみると、両者にはかなりきれいな正の相関があることが分かります。食費に影響を与える要因としては、世帯員の年齢や居住地域など、様々なものがあるわけですし、高所得だからこそ世帯人員数を増やすことができるのだ(結婚できる・子供を育てられる・親を養える)という因果関係もあるでしょう。少なくとも、この図からは、世帯間の食費の格差のうち、ある部分は世帯の構成で説明できる部分があるのだ、ということは分かります。

そこで、単純に、各所得階級の食費を世帯人員数で割って、一人あたりの食費に置き換えてみましょう。それが次の図です。

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これを見ると、一人あたりの食費で比較すれば、実は各所得階級間での食費格差は驚くほど小さい、ということが分かります。中所得階級では、おそらくは世帯の人員数が増えることで食費の節約が可能となる部分が出てくることや、年齢構成などが影響して、低所得層よりも、若干支出額が減少しますが、それほど大きな差異ではありません。また、高所得層では一人あたりでも食費が高いですが、かなりの部分は外食費で説明できそうですし、明確にこれが上昇するのは1,000万円以上の階層となっています。

さて、このように事実のもとで、食料品の軽減税率を実施するとどうなるでしょうか。

まず考えられるのは、世帯単位でみれば、軽減税率の恩恵をより多く得るのは高所得層になりそうだ、ということです。特に、これは複数税率を用いて、所得階層で対象を絞らずに税負担を軽減した場合はそうなります。これを避けようとすれば、どの所得階層でも支出額が変わらなさそうな精米、食パンなどの品目に軽減対象を絞る必要が生じますから、線引きの難しさもさることならが、一体何のためにやる制度なのか、という議論も出てくるでしょう。

次に、一人あたりという観点でみれば、軽減税率の恩恵は、実は国民の大部分が平等に受ける事になりそうだ、ということが分かります。世帯所得が200万円程度の人と、世帯所得が1,000万円程度の人では、単純に比較すれば一人あたり食費がほぼ同等ですから、軽減される消費税負担も同じ程度ということになります。これをどう考えるかは、何のために消費税に軽減税率を導入するのか、という目的に依るのだと考えられます。所得の再分配のためにやるのだ、という観点からは、高所得でも低所得でも恩恵が変わらない軽減税率など意味が無い、ということになります。いや、そうではなく、国民が消費税から感じる痛税感を和らげるためにやるのだ、ということであれば、こういうやり方も無くはない、ということなのかもしれませせん。

もっとも、報道される財務省案をみる限り、「日本型軽減税率」で食費の消費税分(2%)が給付される対象には、所得制限が入る、ということのようですから、単純に国民のほとんどが給付を受けるということではなく、ある程度の低所得層に限って恩恵が受けられるということなりそうです。ただ、その場合、どの所得層で対象世帯を区切るのか、という線引きの問題を解決しなければなりませんし、さらには、本当にICカードで支出額を把握しようとするのなら、街の小売店でICカードをレジに提示する人は低所得であるというシグナルになりますから、そこから生じる「恥辱」の問題はどうするのだろうか、という疑問は残ります。(訂正<9/9 14:50>:日本経済新聞の記事によれば所得制限を入れるかどうかは、与党の意向を踏まえて年末までに決める、との事のようです。原文を残したままこの情報を以って訂正とさせていただきます)

軽減税率は、単純に負担減だから賛成とか、面倒だから反対とか、そういった思考停止の感情論でみるのではなく、少し、立ち止まってじっくり考えてみることが、いま求められているのだと思います。財務省案で良くも悪く注目を集めているこの時期こそ、その好機だと思うのですが、みなさんはどのようにお考えになるでしょうか。

独立行政法人経済産業研究所 上席研究員

1973年愛媛県生れ。横浜国立大学大学院国際社会科学研究科単位取得退学、博士(経済学)。専門は、公共経済学、財政学、社会保障の経済分析。主な著書・論文に「都道府県別医療費の長期推計」(2013、季刊社会保障研究)、「少子高齢化、ライフサイクルと公的年金財政」(2010、季刊社会保障研究、共著)、「長寿高齢化と年金財政--OLGモデルと年金数理モデルを用いた分析」(2010、『社会保障の計量モデル分析』所収、東京大学出版会、共著)など。

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