鬼畜…「宿敵の女を抱くのが至福」と豪語したモンゴル帝国の覇者チンギスハンとは
1206年、突如歴史上に登場し、瞬く間に世界中の大陸を飲み込んだ「モンゴル帝国」。
この大帝国を治めた「チンギス・ハン」は素性不明の男でしたが、合戦の戦術は一流で歴史上でも5本の指に入る最強の戦士です。
今回は、そんなチンギス・ハンやモンゴル帝国の歴史について紹介します。
・最強国家の爆誕と終焉
10世紀初頭、モンゴル帝国〜現在の中国北部までの領土を支配した契丹人(きったんじん)が周辺部族を服従させ、「遼」という国家を築きます。
しかし、12世紀初頭に多民族国家「遼」が滅亡。南国・宗と北(北東)国・金に挟撃されたことが原因でした。
多種多様な民族で構成されていた遼の国民は、それぞれの部族へ帰属することになります。これは、遼を滅亡へと追い込んだ金の狙いでもありました。
そこへ台頭してきたのが、正体不明の男「チンギス・ハン」です。
彼は、遼滅亡により離散したモンゴル高原一帯の部族を制圧していき、1206年に開かれたクリルタイという部族会議の場でモンゴル帝国の建国を宣言したのでした。
新進気鋭のモンゴル帝国の勢いは凄まじく、1世紀も満たない期間でほとんどのユーラシア大陸を掌握することに成功。そして、最強国家として知られるようになります。
ただ、強大になり過ぎた権力の制御は難しく、最後は反乱によって滅亡を迎えてしまうのです。
・世界一の子孫数を持つ男
モンゴル帝国を作り上げたチンギス・ハンには、世界中に1600万人もの子孫がいるといわれているのはご存知でしょうか。
これは、チンギス・ハンの恐ろしい嗜好が関係しています。
世界中のあらゆる場所に遠征して領土拡大を図っていた彼は、遠征先で捕まえた女性を犯して種付けをするのがルーティンでした。とくに楽しんだのが、殺した敵将の妻や婚約者を犯して自身の子供を産ませるという鬼畜プレイです。
彼の残酷な性格を表す名言のなかには、「宿敵の女を抱くのが至福」や、「その泣き叫ぶ顔を見るのが至上の幸福」といったものが存在します。
常人の域を超えたチンギス・ハンの所業や発言には恐れ慄きますが、そんな彼の異常さがなければユーラシア大陸のほとんどを掌握した「モンゴル帝国の統一」というのは難しいものだったかもしれません。
鳥取県米子市にある「山陰伯耆国米子アジア博物館」は、日本国内でも数少ないモンゴル文化に触れられる施設です。気になった方は、ぜひ訪れてみてください。
・山陰伯耆国米子アジア博物館
・〒683-0101 鳥取県米子市大篠津町57