一部の日本城に設けられた女性だけが住まう秘密の居所!奥御殿とは
将軍家の御台所・子女・側室・奥女中などの女性しか立ち入りを許されない、女性と子供のみが住まう居所「大奥」をご存知でしょうか。
一般的に大奥とは、江戸城本丸の最も奥に設けられ、女性らが住まうホームのことを指す場合がほとんどです。
今回は、そんな大奥と似た役割を持つ「奥御殿」を取り入れた「徳島城」について紹介します。
表と奥
徳島城は、戦国時代に阿波の領地を治めた蜂須賀氏が完成させた城です。
徳島城の歴代藩主は天守ではなく、御殿にて生活したと考えられています。
そんな御殿には、藩主の居間や家臣たちを呼んで謁見するための広間や重臣たちが集まる「表御殿」のほか、藩主の側室やその子供、女中らが生活する「奥御殿」が存在しました。
奥御殿では男性の立ち入りを固く禁じており、藩主の重臣や家臣であっても同様。
そこには女性だけの社会が構築されていたと考えられています。
まさに、大奥と同じ役割を備えた居所だといえるでしょう。
御殿の存在
廃藩置県やその後の戦争、そして災害の影響もあり、日本に存在した多くの御殿は城の撤去や消失とともに消えました。
そのため、あまり知られていないのですが、実は城のほとんどに表と奥の御殿が存在したようです。
その室内は贅沢に金箔を使用した華やかな造りだったそうで、武将たちにとって「戦乱の世を忘れさせる癒しの空間」だったのかも知れませんね。