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「子どもの権利」の視点から考える少年事件報道・平野裕二氏との対話(第二回)

藤井誠二ノンフィクションライター

今年2月神奈川県川崎市で13歳の少年が殺害される事件が起きた。加害者は17~18歳の少年3人で、主犯は18歳の男だとされる。この事件は連日おおきく報道され、週刊誌は確信犯的に実名報道をおこない、ネット動画投稿サイトには容疑者宅の前から中継する動画も投稿された。この事件の「展開」について、かつて私も活動をともにしていた、国連の子どもの権利委員会を初回から傍聴、日本に伝え続けてきた平野裕二(アークARC Action for the Rights of Children 主宰http://www26.atwiki.jp/childrights/ )と意見を交換した。18~19歳の少年の「実名報道」について議論がかまびすしいが、私と平野の考え方の差異や同調する点を「議論するための前提知識」として、吟味しながら読んでいただきたい。

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■少年法61条は形骸化しているか、していないか

■メディアの少年法61条の「取り扱い」をどう考えるのか

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■少年法61条は形骸化しているか、していないか■

平野:

それは少年の実名報道が一律に違法だということにはならないということで、少年法61条が形骸化しているということには必ずしもならないんじゃないかな。ただ、こういう裁判所の判断が記者や編集者のハードルを下げつつあるとは言えるかもしれない。少年事件の場合、「同条により保護される少年の権利ないし法的利益より明らかに社会的利益の擁護が優先する特段の事情がない」場合には不法行為性を認めるべきだと思う。とくに捜査段階から実名・容貌を報じることについては、誤報だった場合には取り返しのつかない事態につながりかねない。誤報でなくとも、たとえば“虐待の被害者だった”というように酌むべき事情が出てきたりした場合に、更生に悪影響を及ぼす可能性は高いと思う。

藤井:

古くなるけれど、新聞協会では1958年に61条をどう取り扱うかを、〔(同法は)未成熟な少年を保護し、その将来の更生を可能にするためのものであるから、新聞は少年たちの"親"の立場に立って、法の精神を実せんすべきである。罰則がつけられていないのは、新聞の自主的規制に待とうとの趣旨によるものなので、新聞はいっそう社会的責任を痛感しなければならない。すなわち、20歳未満の非行少年の氏名、写真などは、紙面に掲載すべきではない。ただし逃走中で、放火、殺人など凶悪な累犯が明白に予想される場合指名手配中の犯人捜査に協力する場合など、少年保護よりも社会的利益の擁護が強く優先する特殊な場合については、氏名、写真の掲載を認める除外例とするよう当局に要望し、かつこれを新聞界の慣行として確立したい。〕と決めてきて、テレビやラジオもこれにならってきたわけだ。これは同年(1958年)に起きた小松川高校事件の加害者を逮捕前から実名報道したことへの一つの「反省」として生まれたもの。「運用」についての約束事なわけだけど、メディアが社会公益性を優先すると思えば、実名報道しますよということだろう?永山則夫事件では指名手配されていたという「大義」もあったから最初から実名報道されたし、他にもごくごく少ないけれど実名報道に踏み切ったケースもある。

平野:

その運用は、こういう場合には実名を報道されない少年の利益よりも再被害防止という社会的公益の方が上回るということを具体的に示しているから、例外を認めてもいい場合にあたるかもしれない。ただ、いくら逃走中だからといって、最近あった「コンビニつまようじ刺し事件」のような事件には当てはまらないだろう。これが毒物でも入れて回っていたとしたら、話は違ってくるかもしれないが。

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■メディアの少年法61条の「取り扱い」をどう考えるのか■

藤井:

事件の緊急性や重大性を考慮してケースバイケースで判断をするべきなんだろうけど、母親を殺害して高校生が自転車で遠くまで逃げた事件があったけど、あれも実名報道するかどうかで議論が起きた。そうこうしているうちに、加害少年は道中の民家でおにぎりをもらって食べていたことが判明したりした。「コンビニつまようじ事件」も、つまようじじゃなくて毒物と疑われるようなものだったら判断が違ってくると思うな。

ところで、当時から生きている新聞の「取り決め」って、記者クラブと警察との、例えば人命を優先するために誘拐事件の報道は控えるという「報道協定」にも少し似てる気がするんだ。人質事件では警察に協力して報道しないけれど、長期化すると協議の上で報道に踏み切ることもある。この踏み切るタイミングを各社が「自主判断」で競うこともあるから、フライングみたいなことが起きたりもして、「報道協定違反」になって記者クラブ出入り禁止になったりする。

平野:

報道協定とはまた違うんじゃないかな。さっきの新聞協会の申し合わせは、時代が古いこともあってか「当局に要望し」などと書いているけど、少年事件、あるいは精神障害等で刑事責任が問えない可能性のある事件についてはいちおう各社の自主的判断になっていると思う。国連・子どもの権利委員会などは、少年司法と子どもの権利に関する見解の中で、「懲戒措置による制裁、および必要な場合には(たとえば常習犯の場合など)刑法上の制裁の対象とされるべきである」と述べているけど、そこまでやるとまた問題が出てくるだろう。メディアがきちんと議論して良識のある実践を積み重ねていってほしい。

藤井:

61条は罰則はもうけられていないから、破れば、当局(法務省法務局)から注意や勧告がくる程度のものしかない。光市母子殺害事件の被害者遺族の本村洋さんから注意勧告書を見せてもらったことがある。それから、死刑判決が確定したら「更生がなくなった」として実名報道に切り換える新聞社もあれば、「恩赦の可能性もあり更生の可能性はある」として実名報道をしない新聞社もあるし。

出版社系週刊誌はこうした「約束事」の蚊帳の外にいるということもあるし、確信犯的に61条を破り、実名や顔写真入りで少年を報道したわけだ。こういうゲリラ的な報道と訴訟の繰り返しって不毛な感じもする。

平野:

一般社団法人「日本雑誌協会」には「雑誌人権ボックス」という申立て受付窓口が設けられているけど、BPO(放送・倫理番組向上機構)のようにニュースになることもほとんどないし、十分に機能していないようだね。

(次回へ続く)

※本記事は公式メールマガジン「The Interviews High (インタビューズハイ)」の3月12日に配信したものです。

ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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