<シリア>化学兵器攻撃の被害住民「悲劇、繰り返さないで」(写真6枚・地図)
◆シリアで繰り返し使われた化学兵器
ロシア軍によるウクライナ侵攻。戦闘が拡大するなか、ロシア軍による化学兵器使用もありうるとも報じられている。内戦が続くシリアでは、化学兵器が繰り返し使われてきた。犠牲のほとんどは市民だ。シリアの地元記者の協力を得て、2017年にイドリブでの化学兵器攻撃で家族を失くした住民を取材した。(玉本英子/アジアプレス、 取材協力:ムハンマド・アル・アスマール)
動画【シリア・ダマスカス近郊 化学兵器攻撃から3年】数百人の犠牲者ほとんどは一般市民
◆犠牲の多くは市民
2022年4月、ウクライナのゼレンスキー大統領は、ロシア軍が化学兵器を使う可能性があると述べた。化学兵器は戦闘員だけでなく、市民にも深刻な被害をもたらす。
シリアでは、何度も化学兵器攻撃が起きている。おもなものでも首都ダマスカス郊外(2013年)、北西部イドリブ近郊のハーンシェイフン(2017年)がある。ハーンシェイフンの攻撃では、化学物質サリンを含んだ爆弾が投下され、100人以上が死亡した。
<シリア・ダマスカス郊外>「政府軍が化学兵器使用」と、地元目撃者は証言
◆妻と幼い双子、親族あわせて25人を失う
「あの日、私のすべてが奪われました」
会計士のアブドルハミド・アル・ユセフさん(33)は、妻と生後9か月の双子の乳児、親族のあわせて25人を失った。
爆弾が炸裂したのは早朝。大きな爆発音が聞こえ、空爆か砲撃と思った一家は、急いで地下避難所へ向かった。
途中、隣人たちも避難させようと彼だけ外に残った。人びとが倒れ、口から泡をふいているのが目に入った。「毒ガスかも」と思った瞬間、呼吸が苦しくなり、気を失った。目覚めると病院にいた。妻や子どもたちは遺体となって収容された。空気より重いガスが地下避難所に流入し死亡したと告げられた。
「亡くなった妻は18歳でした。私は双子の亡骸に、さよならの言葉をかけながら、この手で埋葬しました」
家族を助けることができず、ひとり生き残ったことで自らを責めてしまうこともあるという。
<シリア・イドリブ>米ミサイル攻撃の根拠となった化学兵器被害の町 地元記者証言 現場で何が(図・写真4枚)
◆「目の前で次々と息絶えた」
爆撃があった日、別の病院のオマール・ナセル医師(42)は、救護にあたった。搬送されてきた住民は、いずれも外傷はなかったが、深刻な呼吸困難に陥っていた。化学物質によるものだと直感し、すぐに被害者の体を洗い、酸素を吸入させた。
「苦しみもだえる人たちが、目の前で次々と息絶えていった」と話す。死者の半数以上は女性と子どもだった。
◆後遺症に苦しみ続ける
その後、国連の調査委員会は「シリア空軍機がハーンシェイフンで、サリンを含む爆弾を投下した」とする報告書を発表。町は反体制派武装組織の拠点だったため、政府軍の攻撃対象になったとみられる。一方、シリア政府は化学兵器使用を否定している。
のちにハーンシェイフンは政府軍が制圧。調査委員会で証言したアブドルハミドさんは政府軍の報復を恐れ、北部へ脱出した。他の住民もばらばらになり、後遺症の調査も十分にはなされていない。アブドルハミドさんは、今も足のしびれや嗅覚障害の後遺症に苦しむ。
1988年には、イラク北東部のハラブジャで、フセイン政権(当時)が化学兵器を使用し、5000人の住民が犠牲となった。それから15年以上たって、私は現地をたびたび訪れ、被害実態を取材したが、多くの人が呼吸器疾患などの後遺症を抱えていた。
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◆徹底した責任追及がなされなかったことがウクライナにもつながる
ウクライナでロシア軍による化学兵器使用の可能性が現実味をもって報じられつつあるなか、国際社会はどう向き合うべきか。
「シリアで化学兵器が使われた際、その使用を命じた者、実行した者の責任が徹底して追及されぬままでした。それが今のウクライナにつながっています。あの悲劇が繰り返されてはなりません」
オマール医師は、力を込めて言った。
(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2022年5月17日付記事に加筆したものです)