アーモンドアイを唯一破った馬の現在と関係者の想い
ニシノウララと彼女を取り巻く人たち
1月30日、朝一番の美浦トレーニングセンター。
坂路コースに現れたゼッケン1324番の牝馬に注目している人はいない。朝日を背中に浴び、白い息を吐くこの馬の名はニシノウララ。2018年の年度代表馬アーモンドアイに唯一先着した馬である。
2017年8月6日。猛暑の新潟競馬場が舞台だった。
芝1400メートルの新馬戦。1番人気はアーモンドアイ。単勝は1・3倍だった。
「他の出走馬の都合で、札幌競馬場にいたためテレビ観戦していました」
そう語るのはこの新馬戦にニシノウララを送り込んだオーナーの西山茂行だ。余談だが、この日、札幌で走っていたのはニシノウララの姉ニシノヒナマツリだった。
父リーチザクラウン、母パラディナの牝馬ニシノウララはこのレースで単勝14・0倍の4番人気。
「アーモンドアイが評判になっていたのは分かっていました。でも、新馬戦だから何があるか分からないという気持ちは持っていました」
そう言うのはニシノウララを管理する調教師の伊藤大士だ。元々美浦・上原博之調教師の下でスタッフとして働いていた。西山の馬が上原厩舎に入っていたため、繋がりが出来た。
「開業時から預けています。しっかり仕上げてくれる良い調教師です」
西山は伊藤をそう評価していた。
伊藤が開業したのは2009年。2月に調教師試験に受かると、5月には開業した。通常は技術調教師として1年間の準備期間が与えられるが、この時は現役で急逝した調教師や廃業した調教師が相次ぎ、伊藤は急きょ馬房を渡される形になった。
「14馬房を割り当てられたけど、馬は10頭しかいませんでした」
いきなり荒波の中への航海となった。
そんな時、舵取りを助けてくれた1人に西山がいた。
「育成時代は兄姉同様、気の勝った面のある馬でした。決して気が悪いというのではなく、前向きさがあるという意味です」
そう語るのは西山牧場で育成を担当する加藤秀典。更に続けて言った。
「リーチザクラウンの仔がまだどのような特徴が出るか分からない時期でした。何とか結果を出してもらいたいという気持ちでいました」
西山牧場阿見分場で場長をするのは元公営の名騎手で、東京ダービー2勝などビッグタイトルもある本間茂だ。本間はデビュー前のニシノウララについて次のように言う。
「性格的に大人しくて手のかからない子でした。仕上がりも早くて調教の動きも良かったので、期待して送り出せました」
17年7月にバトンを受けた伊藤はその言葉に首肯して口を開く。
「入ってすぐに15-15のつもりで動かしたら楽に14秒で回ってきました。その後、ピッチを上げても飼い葉が上がる事はなかったので早目にデビューさせる事にしました」
リーチザクラウンは日本ダービー2着や菊花賞で1番人気に推されたような馬だったが、ニシノウララに関してはスピードが優っていると感じた伊藤は、短い距離でデビューさせる決断をした。
「8月の頭に新潟で1400メートルの新馬戦がある。入厩して1カ月に満たないが、ここなら好勝負になるのでは……」
そう考え、ジョッキーを誰にするか西山に相談した。
「『任せるよ』と言っていただけました。ならば前へ行けるスピードを生かせそうな減量騎手を、と思いました」
そこで3キロ減の野中悠太郎に白羽の矢が立てられた。
「1週前、当該週の最終追い切りと連続で跨りました」
そう言う野中に、当時の印象を思い出してもらった。
「ゲートも速かったし、内回りの1400メートルならいきなりから好勝負が出来ると思いました」
誰も気付かなかった歴史的勝利の後、現在に至るまで
「暑かったし、初めての競馬という事でうるさくなる心配もしていました。でも落ち着いて、パドックでも終始ドッシリと構えてくれていました」
伊藤はニシノウララの大人びた態度により期待が膨らんだと語る。
「すごい大物が出たわけではないけど、あまりハズれもない血統ですからね。評判馬がいたのは分かっていたけど、どこまでやってくれるかな?という気持ちでした」
西山はそう述懐する。
ゲートが開くと皆の思惑通りポンと好発を切った。ハナへも行ける勢いに見えたが、野中は落ち着いて内から行きたがる馬を先へ行かせ、2番手につけた。
「思った通り出てくれたという感じでした」と伊藤。一方、野中はその鞍上で次のように感じていた。
「序盤は少し掛かり気味になりました。ただ、ここで行かせると距離のもたない馬になってしまうと思ったのでハナへは行かせたくありませんでした。だから抑えると、3コーナーあたりではだいぶ落ち着きました」
直線入り口では早くも先頭に躍り出た。その時、アーモンドアイはまだ馬群の中。ラスト200メートルではニシノウララがひと足早く抜け出す。ゴール直前、アーモンドアイが猛然と伸びてきた時にはすでに勝敗は決していた。ニシノウララは当時、誰も気付かない歴史的勝利のゴールを切ってみせたのだ。
「最後は余裕がありました。ゴールした後にルメールに『何キロ?』と聞かれて『51キロ』って答えたら『あ~、それは届きません』って言っていました」
野中は笑いながらそう語る。
「その時は『あ、やっぱり勝てたか……』くらいに思っていました。その後、アーモンドアイが未勝利戦を勝った(10月8日)のをみて『え?!この馬によく勝てたな……』って思ったのを覚えています」
苦笑混じりにそう語った伊藤だが、驚くのはまだ早かった。
その後のアーモンドアイの活躍は衆知の通り。負け知らずのG1連勝で年度代表馬に選出された。
一方、ニシノウララはというと、新馬勝ちのあとは3連敗して骨折。休養明けの8月5日に新馬戦と同じ新潟芝1400メートルの500万下条件に出走すると、新馬戦同様14番枠に入り2勝目を挙げた。
その後、1000万下条件では4、8着と敗れると放牧に出され、現在に至っている。
「2月23日、小倉競馬場の周防灘特別を目標に仕上げてもらっています。スピードはある馬なので今後は短い距離でもうひと花、咲かせて欲しいです」
西山はそう言い、本間は次のように語る。
「気の良い馬なので平坦コースの短距離は合うと思います」
そして次のように続ける。
「アーモンドアイは次元が違います。もう一緒に走る事はないと思うけど、どうかこのまま負け知らずで走って行って欲しいです」
異口同音に次のような希望を述べるのは伊藤だ。
「あんな凄い馬を1度でも破ったのだからニシノウララは使い方さえ間違わなければもっと出世できるはずです。アーモンドアイにはどうかこのまま勝ち続けていただき、私はニシノウララを少しでも彼女に近づけるように勝たせてあげなくては、と考えています」
2017年8月6日。新潟競馬場で顔を合わせた2頭の牝馬は、現在、まるで違う道を歩み、別のところに目標を置いている。しかし、勝利を目指し走り続けているのはあの夏も現在も同じ。それぞれの向かう道にそれぞれの幸がある事を願いたい。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)