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【ドーピング決着までの全容】ワリエワの世界記録272.71点は残り、五輪記録も抹消、日本は銀確定

野口美恵スポーツライター
北京五輪から帰国後、プーチン大統領から勲章を授与された(写真:ロイター/アフロ)

2年近く続いてきた、カミラ・ワリエワ(ロシア)のドーピング違反問題が、1つの決着を迎えた。スポーツ仲裁裁判所(CAS)は29日、ワリエワについて、2021年12月25日から4年間の資格停止処分とする、と裁定。国際オリンピック委員会(IOC)は「2022年北京大会を含む2021年12月25日以降の成績は失格となった。最終結果は、国際スケート連盟(ISU)が決定する」と発表した。

これを受けてISUは30日、オリンピック団体戦の結果を発表。米国が金メダルに、日本が銀メダルに繰り上がるとした。またROC(ロシアオリンピック委員会)は、ワリエワの成績のみが取り消され、銅メダルとした。通例であれば4位のカナダが3位に繰り上がると予想されていたが、1ポイント及ばないという計算式により、4位のままとなった。

日本は、宇野昌磨、鍵山優真、坂本花織、樋口新葉、三浦璃来&木原龍一、小松原美里&ティム・コレトの8人が、いよいよ念願のメダルを手にすることになる。

さまざまな主張を経て、結局は、“4年間の出場資格停止処分”という、一般的かつ当然の判断になった、という印象だろう。なぜここまで事態がややこしく、そして長引いたのか。そして、ワリエワは何を残し、何を残せなかったのか。もう一度振り返ってみたい。

団体戦の女子ショートで圧巻の演技を披露
団体戦の女子ショートで圧巻の演技を披露写真:ロイター/アフロ

4回転2種類とトリプルアクセルで“ロシアのエース”に

この問題が起きる前のワリエワは、観るものを釘付けにする圧倒的な鬼才だった。シニアデビューとなった21−22シーズン、GP初戦のスケートカナダで歴代最高点の265.08点で優勝。続くGPロシア杯では、ショートでトリプルアクセルを、フリーで4回転3本とトリプルアクセルを成功させ、総合272.71点で優勝。この記録はドーピング違反以前の成績なので、ISUの歴代記録として残る。

スピード感溢れるスケーティングや、180度以上開脚する柔軟性を駆使したキャンドルスピン、大人顔負けの演技力。全知全能ともいえる強さだった。21年12月のロシア選手権では、国内戦ながら283.48点で優勝。アンナ・シェルバコワやアレクサンドラ・トルソワらの4回転ジャンパーがいたにもかかわらず、彼女達を押しのけて、“ロシアのエース”となったのである。

実際には、このロシア選手権でワリエワからは禁止薬物トリメタジンが検出されていた。ところが、北京五輪団体戦の女子(2月4-7日)は、ショートもフリーもワリエワが出場。ロシアの金メダルに貢献した。チームロシアにしてみれば、シェルバコワやトルソワでも十分に金メダルを狙えたはずだが、ワリエワを出場させていたということは、ロシア側にとっても検査結果は予想外のことだったのだろう。

いずれにしても、団体戦の演技は圧巻だった。コロナ禍のシーズンということもあり、世界中のファンがまだ生で観戦できていない時期。筆者も、メディアのみ現地入りが可能となった北京の首都体育館で、15歳になった彼女を初めて生でみた。ジュニア時代とは別人のように、ジャンプも滑りも演技もすべての質が上がり、『絶望』の異名に納得がいった。この五輪で優勝するかだけでなく、スケート史に残る選手であることは間違いなかった。

団体戦後、会場ではマスコットのみが授与された
団体戦後、会場ではマスコットのみが授与された写真:長田洋平/アフロスポーツ

心臓への血流を増加させる「トリメタジン」検出

2022年2月7日に、団体戦はロシアの優勝で終了。メダルセレモニーは別会場で、夜に行われることになっていた。日本のメディア数人と共に、日本の銅メダル授与の瞬間を見ようと会場へ。北京の寒空のもと待機していると、「セレモニーは延期になった」といわれ、その日は何が起きたのか分からないままだった。

世間に衝撃が走ったのは、9日になってから。ドーピング検査を行う国際テスト機関(ITA)が、「去年12月のドーピング検査で血流促進作用などのある禁止薬物トリメタジジンの陽性反応が出た」と発表した。

トリメタジンは、心筋梗塞などの治療薬で、心臓への血流を増加させる作用がある。健康な人に使用すれば、持続力を向上させる効果があるとされる。フィギュアスケートであれば、演技後半の疲れてきた時にもジャンプを跳ぶことや、普段から長時間練習できることなどが考えられる。ただし、薬物の力はそれだけのこと。ワリエワが2種類の4回転とトリプルアクセルを跳び、類まれなる表現力や美しいスケーティングを持つことは、薬物だけでは達成できないことも、間違いなかった。

ドーピング違反発覚後も、個人戦に向けて練習を続けた
ドーピング違反発覚後も、個人戦に向けて練習を続けた写真:ロイター/アフロ

ロシア側とIOCらが対立、CASは「出場継続を取り消さない」

ここでワリエワが資格停止になって終われば、15歳の天才少女の悲劇(と疑義)として、むしろ惜しまれて終わっていたかもしれない。少なくとも、過去の違反選手と同様に、処理されるべきだった。ところが、ロシア側は反発した。ロシア反ドーピング機構 (RUSADA)はワリエワを一時的な資格停止処分としたものの、今度はワリエワ選手側が抗議をし、処分を解除。つまり、ドーピング違反が発覚したにもかかわらず、ロシア側はこのまま五輪に出場させるという判断をしたのだ。

事態は、どんどん複雑化していった。

IOCらはこの決定を不服として、CASに申し立てを行った。13日にはCASの聴聞会が行われ、ワリエワの弁護士が「祖父が使用していた薬が混入した」とドーピングについて説明。CASは14日、出場継続について取り消さない判断を示した。理由は「15歳で要保護者にあたる」「12月の結果が五輪期間中に出たことはワリエワの責任ではない」などだった。

これを受けて14日、ワリエワは国内テレビのインタビューに応じ、「うれしいが、精神的にとても疲れた。(個人戦に向けて)できる限り調整し、結果を出したい」と涙ながらに語った。

当然ながら世論の反発を招いた。

IOCは「CASの裁定は絶対であり従う」としながらも「北京大会への暫定的な資格停止処分(解除)についての裁定であり、ドーピング違反かどうかを問うものではない」とした。WADAも、処分の解除はWADAの規程に合致していないことを指摘し「失望した」とコメントした。

団体のメダル授与式は問題が解決するまでは行わないことになり、個人戦でもワリエワが上位3位に入った場合はメダルの授与式は行わないことに。またショートで25位の選手も(通常は24位までだが)フリーに出場させるなど、異例の措置が取られた。

個人戦はショート、フリーともミスを連発した
個人戦はショート、フリーともミスを連発した写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

個人戦では崩れたワリエワ、その後、WADAが提訴

疑念のうずまく中、ワリエワは個人戦に出場。まったく彼女らしくない精細を欠く演技で、224.09点で4位となった。そのため個人戦のメダルセレモニーは行われ、坂本花織は銅メダルを手に帰国することができた。

その後WADAは、ワリエワの4年間の資格停止を求めて、CASに提訴。聴聞会などをへて、やっと今年1月29日に裁定が出た。CASは「検査時に未成年であったという年齢を減刑に用いることはできない」として、4年間の資格停止と、2021年12月25日以降のすべての競技結果の失格を決定した。

ただし、各大会の結果については仲裁手続の範囲外であるため、国際スケート連盟によって検討されることに。国際スケート連盟は30日に、日本の繰り上がりの銀メダルを発表した。カナダが4位になるという不可解な計算のため、カナダは抗議する意向である。いずれにしても、日本の団体戦メンバーがメダルを手にする日まで、あと一歩となった。

ショート演技後、放心状態のワリエワ
ショート演技後、放心状態のワリエワ写真:エンリコ/アフロスポーツ

裁定は決まったものの真相は闇に、消え去った天才少女

このドーピング問題は、立場ごとに違った受け止め方をしてきたことだろう。日本やアメリカの選手側からすれば、自分達が手にするべきメダルを早く受け取りたいし、本来なら華やかに表彰されるべきセレモニーにも出られなかった。完全なる被害者だ。アメリカ側は、あえて空っぽのメダルケースで写真を撮り「早くメダルを!」と訴えた。日本の選手たちは、ただ無言のまま裁定を待った。

ロシア側で何が置きていたのかは、完全に闇の中だ。国の宝ともいえるワリエワを、なぜ潰してしまったのか。組織的や意図的なものではなく、本当に本人によるミスなのか。なぜ国内大会でのドーピング結果が、五輪の団体戦直後に発表されたのか。すべての動きがチグハグで、ロシアにとってもワリエワにとっても、良い結果は招かなかった。

はっきりしているのは、歴史的な天才少女が1人、消えてしまったということだ。

1988年に伊藤みどりが世界女子初のトリプルアクセルを跳び、“100年に一人の天才”と言われた。伊藤はジャンプの質もレベルも、唯一無二だった。それから約30年経って現れたワリエワは、久しぶりに“天才”と呼ぶにふさわしい存在だった。しかし伊藤のように人を感動させることは、出来なかった。

結局、彼女が残したのは、資格停止になる直前のGPロシア杯、272.71点という世界記録。この圧巻の記録は、塗り替えることは不可能に近く、疑念と悲しみと共にいつまでも残っていくだろう。すべてのドーピング違反が廃絶されることを、願ってやまない。

CASの裁定

スポーツライター

元毎日新聞記者。自身のフィギュアスケート経験を生かし、ルールや技術、選手心理に詳しい記事を執筆している。日本オリンピック委員会広報としてバンクーバーオリンピックに帯同。ソチ、平昌オリンピックを取材した。主な著書に『羽生結弦 王者のメソッド』『チームブライアン』シリーズ、『伊藤みどりトリプルアクセルの先へ』など。自身はアダルトスケーターとして樋口豊氏に師事。11年国際アダルト競技会ブロンズⅠ部門優勝、20年冬季マスターゲームズ・シルバー部門11位。

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