【京都市】祇園祭後祭宵山鉾町を歩く 北観音山 南観音山 鯉山 黒主山では食べられる粽も!
2023祇園祭も後祭の山鉾が出揃い、7月21日からは24日の山鉾巡行まで宵山に入りました。後祭で巡行するのは、橋弁慶山、南観音山、浄妙山、八幡山、鯉山、北観音山、黒主山、役行者山、鈴鹿山、鷹山、大船鉾の11基。通常開催下では復帰後初めてとなる鷹山や掉尾(ちょうび)を務める大船鉾など話題の山鉾も多く楽しみな巡行となりそうです。
黒主山は、謡曲「志賀」を題材に六歌仙の一人、大伴黒主が桜の花をあおぎながめている姿をあらわしています。御神体(人形)は寛政元年(1789)5月辻又七郎狛元澄作の銘を持つ。山に飾る桜の造花は粽と同様に戸口に挿すと悪事が入ってこないといわれているのだそう。黒主山には、松の山篭と一緒に添山を飾る昔の形態が残っています。
祇園祭の「厄除け粽」は笹がくるんであるだけで食べられませんが、ここには2007年から菓子として亀谷吉長製の食べられる粽を販売されています。桜の花が飾られている厄除け粽やTシャツ、手ぬぐい、竹うちわ、菓子「黒おたべ」(黒い生八つ橋。限定パッケージ)などの授与品も充実しています。
北観音山は、「上り観音山」ともいわれています。文和2年(1353)創建であることが町有古文書に記され、山舞台には楊柳観音像と韋駄天立像を安置する曳山。胴懸類は17~18世紀の花文インド絨毯を用いていましたが、近年、前後懸は19世紀のペルシャ絨毯、胴懸東面はトルキスタン絨毯と、西面はインド絨毯「斜め格子草花文様」の復元品に変更されています。
南観音山は、「下り観音山」ともいわれています。華厳経の説話で、善財童子が順に教えられ南へ南へ53人の聖者を訪ねて菩薩道修業をし、28番目の観音は美しい南海のほとりに住み、あらゆる苦悩から人々を救うことを教えたといわれています。本尊の楊柳観音像は、悠然と瞑想する鎌倉時代の座像ですが、天明の大火で頭胸部だけが残り、他は童子像とともに江戸時代の木彫彩色像。そのほか17世紀製作の逸品で異无須織といわれる華麗なペルシャ金銀絹絨毯の旧前懸や年紀のあるもので日本最古(1684)のインド更紗旧打敷などを保存しています。
鯉山は、中国黄河の故事「登龍門」にちなんで、山の上に大きな鯉が跳躍しており、龍門の滝をのぼる鯉の奔放な勇姿をあらわしています。 昔、黄河の中流地域「函谷関(かんこくかん)」の上流、霊山に龍門という峡谷があり、その激流を登りきった鯉は龍になると伝承されていました。いつしか難関を突破して立身する事を「登龍門」と言うようになったのだそう。
この「鯉の滝登り」伝承は子どもたちに人気の「ポケットモンスター」でもコイキングが進化するとギャラドスに変化するとして採用されていますね。
後祭の宵山では露店は出されませんが、各鉾でちまき授与や記念品の販売、鉾町と周辺にある飲食店などでは出店が出されるようですので、話題性豊かな、前祭とはまた違った雰囲気でお楽しみください!
公益社団法人 黒主山保存会(外部リンク)京都市中京区室町通三条下ル烏帽子屋町497
公益財団法人 鯉山保存会(外部リンク)京都市中京区室町通り六角下る鯉山町522