【京都市】右京区 斉宮の禊が行われた場所『斉明神社』
『斎明神社
神明神社とも称し、天照大神を祭神とする。附近は天龍寺塔頭慈済院の旧所在地であり、当社はその鎮守であった。また、社伝ではその創祀について、斎宮にゆかりがあることを述べている。
斎宮(斎王)とは、伊勢神宮に奉仕するため皇女の中からト占によって選ばれるもので、通常、天皇一代ごとに一人が選ばれた。選ばれた斎宮は、宮中での潔斎の後、清浄な郊外に野宮と呼ばれる潔斎所を設け、伊勢へ出発するまで一年余の斎戒生活を送るが、この野宮が設けられることの多かったのが嵯峨野であった。社伝では、廉永三年(一三四四)慈済院開山無極志玄が、『日本三代実録』貞観三年(八六一)八月二十四日条に見える斎宮恬子内親王の禊の旧跡に祠を建てたのが当社の始まりであるという。
現在の本殿は、明和八年(一七七一)のもので、拝殿とともに京都市登録有形文化財となっている。境内の末社には、稲荷大神、愛宕大神、八坂大神、天満天神を祀る。 京都市』 (駒札より)
境内までの入り口には石碑があり、立て札が立てられてました。
『京都市登録有形文化財 斎明神社 木殿・拝殿
斎明神社は、文明二年(一四七〇)まで当地に所在した天竜寺塔頭慈済院の旧境内地に位置し、当社はその鎮守社であった。天照皇大神を祭神とし、神明神社とも呼ばれている。
中世以前の社殿の状況についてはわからないが、近世にはいると、慶長十一年(一六〇六)に慈済院第七世菊齢彭によって社殿が造立され、その後朽損してきたために明和八年(一七七一)、下司河村幸右衛門により営替されたことが棟札から判明する。現在の本殿はこの時のものである。また普請願書(慈済院所蔵)によると、本社は簀屋称に覆もれ、さらに正面に一間の入口を開けた玉かきが四周を囲っていた。
本殿は、身舎両妻に棟持柱を建てた神明造で、京都市内では数の少ない神明造の一例であり、しかも建築年代が明らかで造営資料も揃っている点で貴重な建物である。当初から覆屋の中に収められていたために改造等がなく、保存状況も極めて良好である。
拝殿は、建築年代を明らかにする史料を欠くものの、風蝕の程度や舟肘木の形態からみて、江戸時代末期頃には造営されていたものとみられ、本殿と一対のものとして貴重である。
平成二年四月二日 登録
京都市』 (駒札より)
京都市の登録有形文化財に指定されている拝殿や本殿は、さすが、重厚な雰囲気を漂わせていました。
ここが神社となったのは平安時代のずっと後のことであり、天龍寺塔頭寺院の鎮守社として役割を果たしていたとのこと、それ以前は位の高い皇女の中から選ばれた人が1年間、桂川の水に浸かって禊を行う場所であったと言います。禊を終えた後、伊勢神宮に向かう女性のことを「斎宮」と言ったそう。
屋根の上の緑の苔も歴史を感じさせてくれる感じで素敵です。嵐山の渡月橋から少し足を伸ばしてお参りしてみてはいかがでしょう。
斉明神社
住所:京都市右京区嵯峨柳田町