Yahoo!ニュース

新型コロナ薬「有用性なし」の衝撃 1600億円以上を売り上げた「新薬」は無駄だったのか

市川衛医療の「翻訳家」
ラゲブリオ(一般名:モルヌピラビル)(提供:Merck & Co Inc/ロイター/アフロ)

3月13日(水)、厚生労働大臣の諮問機関である中央社会保険医療協議会(中医協)で衝撃の発表がありました。

新型コロナによる重症化(入院や死亡)を防ぐ治療薬として、国内で既に1600億円以上を売り上げている「ラゲブリオ」(一般名:モルヌピラビル)に対し、「費用増加」との評価が下されたのです。

要はこの薬を使っても、「新型コロナによる入院や死亡のリスクは一般的な治療と変わらず、余分なお金だけがかかる」ということです。

第585回中央社会保険医療協議会 総会(3月13日(水)開催)資料より引用 黄色線筆者
第585回中央社会保険医療協議会 総会(3月13日(水)開催)資料より引用 黄色線筆者

ラゲブリオは、日本で2021年12月に特例承認され、その後、新型コロナ薬としてトップシェアを獲得し、いまも診療現場で広く用いられています。目的は、新型コロナが重症化する要因(肥満や糖尿病など)を持つ人に投与することで、入院や死亡を防ぐことです。

それが「費用増加」。つまり「解熱剤など一般的な治療に加えて使っても、入院や死亡を減らす有用性はない」とされたのです。一体、どういうことなのでしょうか。

初の「飲める新型コロナ治療薬」ラゲブリオとは

ラゲブリオは、アメリカのエモリ―大学が出資するバイオテクノロジー企業によって開発された抗ウイルス薬で、日本ではMSD社が販売しています。

ウイルスが体内で増えるのを防ぐ働きがあり、日本を含む世界各国の170以上の施設で行われた臨床試験では、新型コロナが重症化しやすい要因を持つ人(肥満や糖尿病など)が感染してすぐに服用すると、入院や死亡を減らせるという結果が出ていました。

その結果を受けて、日本では2021年12月にラゲブリオを特例承認。当時、新型コロナの抗ウイルス薬は点滴で投与する必要がありました。一方でラゲブリオはカプセル化されて「自宅で飲める」薬だったため、広く診療現場で使われるようになりました。

1回の治療の薬価(薬の値段)が合計でおよそ9万4千円という高価な薬剤ですが、新型コロナが5類に移行するまでは自己負担ゼロ、5類に移行した現在でもおよそ1割(9000円)の自己負担で入手することができます(※1)。

もちろん、自己負担以外は国民の税金や健康保険から支払われます。とはいえ新型コロナによる入院や死亡を減らせるのであれば社会として見合うコストであると考えられ、ラゲブリオは爆発的にシェアを拡大。

2023年には、国内で使われる全ての医薬品の中でも第4位に相当する売り上げを記録し、この2年間で少なくとも1600億円以上を売り上げたと推測されます(※2)。

IQVIA医薬品市場統計・上位10製品(2023年)より引用(リンクは※2)。黄色線筆者。2023年のラゲブリオの売り上げは2022年に比べ156.5%増えて1280億円を超え、全医薬品の第4位に。
IQVIA医薬品市場統計・上位10製品(2023年)より引用(リンクは※2)。黄色線筆者。2023年のラゲブリオの売り上げは2022年に比べ156.5%増えて1280億円を超え、全医薬品の第4位に。

オミクロン株・ワクチン接種者にはプラスの効果がなかった?

そのラゲブリオが、なぜ、いまになって「費用増加」とされたのか。

今回の評価結果を報告した、国立保健医療科学院の白岩健・上席主任研究官に話を聞きました。

白岩さん:
ラゲブリオには、もともと、「現在の状況で本当に効果があるのか?」を疑問視する声がありました。
というのも、当初「効果がある」ことを示した試験の際に流行していたのは、デルタ株など毒性の強い変異株が中心だったからです。
また、臨床試験の対象となった患者は、ワクチンを接種しておらず、重症化リスクがそもそも高い人たちでした。

専門的な言葉がたくさん出てきたので、少し解説させてください。

まず重要なのは、臨床試験が行われた「時期」です。

ラゲブリオの承認時の臨床試験が行われたのは2021年5月~11月。当時、流行していたのは主にデルタ株・ガンマ株・ミュー株などの変異株で、毒性が強く、入院や死亡に繋がりやすいものでした。

またこの時期、新型コロナワクチンの接種もそれほど広がっておらず、臨床試験も、ワクチンを接種していない(重症化しやすい)人を対象に行われていました。

一方で2021年末から流行したオミクロン株以降の変異株は弱毒化し、入院や死亡率が低くなりました。また人口の大部分がワクチンを2回以上接種したことで、重症化しにくくなりました。

つまりラゲブリオは「毒性が強いウイルスに感染し、しかもワクチンによる免疫を持っていない人」の重症化は防げるけれど、そもそも重症化しにくい環境では、有効性に違いが出てくるのではないか?という可能性が指摘されていたのです。

ヨーロッパでは販売承認取り下げになっていた

では、実際どうなのか。実はそれを調べる臨床試験が、イギリスを中心に行われていました。

2021年12月~2022年4月ごろに行われた「PANORAMIC試験」と名付けられた臨床試験。その目的は、ワクチン接種が普及したイギリスにおいて、ラゲブリオに効果があるのかを調べることでした。

当時、流行していたのは主にオミクロン株。その状況下で、ワクチン接種歴のある患者で調べたところ、ラゲブリオの利用によって症状改善までの日数が短くなったものの、最も重要な「入院や死亡を防ぐ効果」は見られませんでした(※3)。

2023年6月、欧州医薬品庁(EMA)はこの結果をもとに、ラゲブリオには「治療現場における有用性が証明されていない」として販売承認の取り消しを勧告。その後、販売会社は承認を取り下げました。

これ以降、欧州では「有用性が証明されていない」と販売されなくなり、世界的には売り上げが急減している薬(※4)が、日本ではトップシェアの治療薬として広く診療現場で使われる・・・そんな、ある意味でいびつな状況が続いているのです。

ラゲブリオの「費用対効果分析」とは

白岩さんたちのチーム(※5)は国の制度に基づき、医薬品や医療機器の「費用対効果分析」を行っています。

医薬品などのうち、特に売り上げが大きかったり、高額だったりするものに対して、「それって効果のわりに高すぎないか?」を調べ、必要に応じて価格を調整するのが目的です。

近年、医薬品の中にはラゲブリオのような、高額なものが多く出てきています。ただ値段は高くとも、新型コロナを一発で治せるなどの効果があれば、社会として容認できるコストだとも言えます。

このように医薬品の価値を「費用」と「効果」のバランスで評価するのが「費用対効果分析」です。

先述のように、ラゲブリオは国内のトップ5に入る売り上げを記録する高額な薬剤であり、白岩さんたちは国の制度に基づいて費用と効果のバランスを評価することになりました。

そこで注目したのは、先述のPANORAMIC試験でした。

白岩さん:
PANORAMIC試験は、オミクロン株以降かつワクチン接種が進んだ中で行われた試験としては最も規模が大きく、そして質も高いものです。
とはいえ日本とイギリスでは、重症化リスク因子の定義などが違っており、そのまま当てはめて良いのか?は議論になりました。
そこで私たちはPANORAMIC試験のデータを持つ研究者に連絡して、リスク因子の定義を日本に合わせるなどして再解析を行ってもらいました。
その結果、80歳以上の高齢者などに限定すれば、もしかしたら効いているかも?という傾向も見えたのですが、あまりに数が少なくはっきりしたことは分かりませんでした。
そして投与された患者全体で見た場合、ラゲブリオの投与があってもなくても、入院や死亡の数は変わらないという結果でした。
このほかの研究や調査の結果も含めて総合的に議論した結果、「追加的有用性なし」つまり「費用増加」という評価になりました。

国立保健医療科学院【モルヌピラビル(ラゲブリオカプセル200mg)】 に関する公的分析の結果 報告書より筆者作成 報告書へのリンクは脚注(※5)に提示
国立保健医療科学院【モルヌピラビル(ラゲブリオカプセル200mg)】 に関する公的分析の結果 報告書より筆者作成 報告書へのリンクは脚注(※5)に提示

白岩さん:
なお注意していただきたいのは、今回の検証は全体像を見るために行ったものであり、個別の患者さんに当てはめることはできない、ということです。
医療者は様々な要素を勘案して治療を決めています。いまラゲブリオを服用されている方は、自己判断で服用を止めないでください。治療に不安や疑問がある場合は、医師や薬剤師などにご相談いただくよう強くお願いします。

「費用増加」でも価格の引き下げは9%だけ

白岩さんたちの評価は、国の研究所が、医薬品の価格を決める中医協に出すものなので重い意味があります。そして「費用増加」(この薬を使っても、一般的な治療と効果は変わらず、お金だけがかかる)は、評価として最も低いランクに位置します。

では、どのくらい価格が引き下げられるかというと、およそ9%に留まります。(現状およそ9万4千円が、8万6千円ほどになる計算)

なぜかというと、日本の薬価制度には「費用対効果が悪い場合に薬価を引き下げるが、それは『加算分』など一部に限る」という決まりがあるからです。

イメージ図(筆者作成)
イメージ図(筆者作成)

ラゲブリオは初めての「飲用できる」新型コロナ治療薬ということで「有用性が高い」とされ、もともと薬の価格に10%の加算が付けられています。これが、ほとんどなくなります。逆に言えば、本体の価格はそのまま、ということです。

なお、今回の評価を受けて、日本でもEUのように、ラゲブリオが公的な保険で使えなくなるの?と疑問を抱かれた方もいるかもしれませんが、それはありません。

白岩さんたちの評価は、あくまで「効果に対して価格が高すぎるか」を調べることが目的であって、薬を「使っていいか」を判断するものではないからです。

薬の「評価」をどう位置づけるのか 問われる日本の医療制度

ラゲブリオが「費用増加」と評価された経緯と背景を見てきました。今後に向けて、これをどのように受け止めるべきか、どのような示唆が得られるかについて考えてみます。

現在ラゲブリオを服用している人は、どのように受け止めるべきか

白岩さんが強調していたように、今回の評価を個別のケースに当てはめることはできません。

いま服用されている人が、自己判断で中断するのは絶対に避けるべきです。治療に不安や疑問がある場合は、医療者や薬剤師に相談してください。

現在ラゲブリオを処方している医療者はどのように受け止めるべきか

ラゲブリオはいま、現実として日本の治療現場で広く使われ、1回の治療でおよそ9万4千円というコストがかかっています。

現在、患者側の自己負担はおよそ1割(9000円)ですが、4月からは特例がなくなります。

仮に価格が引き下げられて8万6千円になったとして計算しても、患者自身に2万6千円ほどの負担が発生します(3割負担の場合)。

今後、医療者がラゲブリオの使用を考える場合、患者に対し「現状では入院や死亡を防ぐ効果はないと評価されていますが、2万6千円ほど自己負担がかかります。それでも使いますか?」という風に確かめる必要があるかもしれません。

日本の医療制度への示唆は

個人的には、そもそも薬の「費用対効果」の評価に対し、価格のごく一部分にしか影響しないという現状の制度は本当に良いのか、議論が必要だと感じます。

もちろん薬の価値は様々な要素で考えられるべきですが、「費用と効果のバランス」は中でも大きなポイントです。

ラゲブリオに費やされる多額の費用は、多くが税金や社会保険料といった公的なお金から支払われています。仮に、効果が少ない高額な薬が公的な保険で利用された場合、その最も大きな不利益を被るのはいうまでもなく「国民」です。

そしてもう一点。EUの場合、規制当局がラゲブリオに対し「治療現場での有用性が証明されていない」と販売承認の差し止めを勧告したことは注目すべきことだと感じます。

背景には、規制当局が、国民の健康そして財産を守る立場だということを意識し、責任感とスピード感を持って決断をしていこうとする意識が感じられます。

翻って日本はどうでしょうか。

2021年12月の段階で特例承認した判断は批判できないと感じます。当時は明らかに緊急事態でしたし、その後出てくる変異ウイルスには有効性が変るかもしれない、ということを予測するのは難しいからです。

一方でラゲブリオは、「特例承認制度」という枠組みで承認されました。これは、海外ですでに流通している医薬品等を、迅速に日本でも流通できるようにすることが目的です。

この考え方に基づけば、特例承認した当時と、海外での評価や流通の状況が大幅に変わっている(※4)現在において、改めて検討が必要といえるかもしれません。

今回の白岩さんたちの評価とは別の論点として、コロナ治療薬における「特例承認」や「緊急承認」制度の在り方、そして今後の運営について議論していかなければならないと感じます。

ーー

(取材協力)

白岩健(しろいわ・たける)さん

国立保健医療科学院 保健医療経済評価研究センター(C2H)上席主任研究官

※本文中に使用しているコメント以外は著者の取材・考察に基づくものであり白岩さんや所属する研究所の見解とは関係ありません。

※1…3割負担の場合。2割負担の場合の上限は6000円、1割負担の上限は3000円。なお4月以降は、一般の医薬品と同じ負担割合になる予定

※2…IQVIA医薬品市場統計・上位10製品(2023年)より。2022年売り上げは、2023年売上金額の前年比増から計算

※3…正確には、標準治療のみ(解熱剤の処方を受けるなど)の人と、標準治療に加えてラゲブリオを服用した人を比較。PANORAMIC試験の詳細は英国における多施設共同臨床試験[PANORAMIC試験](海外データ)を参照

※4…メルク社の決算資料によれば、2023年のラゲブリオの全世界での売り上げは2022年から4分の1ほどに減少し、14.28億ドル(2023年平均レートの1ドル140円として1999億円)。一方で日本における売り上げは逆に2.5倍以上に増加し1280億円に上っている。海外での流通量が大幅に減っているのと比較し、日本では非常に多くのラゲブリオが使われていることが推測される

※5…保健医療経済評価研究センター(C2H)。今回、ラゲブリオに関して評価した報告書へのリンクはこちら。

医療の「翻訳家」

(いちかわ・まもる)医療の「翻訳家」/READYFOR(株)基金開発・公共政策責任者/(社)メディカルジャーナリズム勉強会代表/広島大学医学部客員准教授。00年東京大学医学部卒業後、NHK入局。医療・福祉・健康分野をメインに世界各地で取材を行う。16年スタンフォード大学客員研究員。19年Yahoo!ニュース個人オーサーアワード特別賞。21年よりREADYFOR(株)で新型コロナ対策・社会貢献活動の支援などに関わる。主な作品としてNHKスペシャル「睡眠負債が危ない」「医療ビッグデータ」(テレビ番組)、「教養としての健康情報」(書籍)など。

市川衛の最近の記事