Yahoo!ニュース

トランプ政権の置き土産か。木星衛星探査機の打ち上げ候補に躍り出たスペースX

秋山文野サイエンスライター/翻訳者(宇宙開発)
エウロパ探査機エウロパ・クリッパー。(C)NASA/JPL-Caltech

NASAが2024年の打ち上げを目指している木星衛星エウロパ探査機、Europa Clipper(エウロパ・クリッパー)の打ち上げ手段が、超大型ロケットSLSから民間ロケット調達へと変更になった。最有力候補はイーロン・マスクCEO率いるスペースXの大型ロケットFalcon Heavy(ファルコンヘビー)と見られている。前政権時代から続いてきたSLSロケットのコストと調達をめぐる議論は、スペースXに初の木星圏への大型探査機打ち上げという大きな成果をもたらすものとなりそうだ。

エウロパ・クリッパーは、NASA ジェット推進研究所(JPL)が開発する探査機。ガリレオ・ガリレイが最初に発見した木星の4衛星のうちエウロパを探査する目的を持っている。内側から2番目の衛星で直径約3640キロメートルのエウロパは、氷で覆われた表層の下に液体の水の海が存在すると考えられており、水の量は地球の水の2倍ほどとされている。液体の水は生命が発生している可能性がある。エウロパ・クリッパーは生命が存在したとしても直接それを捉える能力を持っているわけではないが、エウロパが生命を育む環境であるかどうかを調査することができ、海の存在や有機物の有無、その組成などを探査する目標だ。

左から2番めがウロパ。(C) NASA/Johns Hopkins University Applied Physics Laboratory/Southwest Research Institute
左から2番めがウロパ。(C) NASA/Johns Hopkins University Applied Physics Laboratory/Southwest Research Institute

地球外での生命発見に近づく可能性のあるミッションとして期待されるエウロパ・クリッパーだが、大型の計画だけにコストとスケジュールの問題に直面してきた。計画概要がまとまった2013年ごろは、2021年11月に打ち上げ、惑星の重力を利用して探査機を加速するスイングバイを金星で1回、地球で2回行うプランを検討しており、約6年半かけて2028年4月に木星圏に到達するという構想だった。

木星へ向かう航行期間を短縮し、探査機に大きな負担をかける金星の熱対策を省略できる打ち上げ手段として浮上してきたのが、開発中のNASAの深宇宙探査向け超大型ロケットSLSだ。2022年にSLSで打ち上げた場合、スイングバイを利用せずに木星圏へ直接向かうことができ、航行期間は2年半程度に短縮できる。ミッション成功を第一に考える科学者、エンジニアからは歓迎できる打ち上げ手段だ。

衛星エウロパは放射線の強い厳しい環境であり、探査機はエウロパをかすめるように長楕円軌道を描いて観測期間と地球へのデータ送信期間を別々に設けるという複雑なミッションとなっている。さらに負担となる航行中の金星フライバイはできれば避けたいところだ。SLSロケットの開発を推進する米議会がこれを後押しし、NASAの予算案にエウロパ・クリッパーの打ち上げロケットとしてSLSの名前が記載されることとなった。

だが、この構想はSLSロケットの開発遅延とともに二転三転する。完成すればアポロ計画時代のサターンVを超える世界最大のロケットとなるSLSだが、当初の2017年試験機打ち上げ目標を大幅に越えて2021年後半までずれ込み、今年中の試験機打ち上げも確実とはいえない。また、トランプ前大統領の政権で、2020年代後半を予定していたNASAの有人月探査「アルテミス」計画の月面着陸年を2024年に前倒しすることが決定され、アルテミス計画向けにオライオン宇宙船を打ち上げるSLSとエウロパ・クリッパー向けのSLS製造を同時に進めるスケジュールに無理が生じてきた。

そうした中で、2020年夏にNASAは「SLSによるエウロパ・クリッパーの打ち上げに“互換性の問題”が見つかった」と発表した。エウロパ・クリッパーは、探査機製造のマイルストーンである詳細設計審査を2020年8月から12月に延期し、打ち上げロケットの変更を含めた検討を続けることになった。そして12月には、ホワイトハウスは議会に対し、エウロパ・クリッパーの打ち上げロケットをSLSとする文言をNASAの予算案から削除するように求めた。これはSLSをアルテミス計画に専念させる目的があったものと見られている。2024年の有人月面着陸復帰の目標は、トランプ前大統領が2期続いた場合の任期最終年となる年に有人月探査を再び成し遂げた成果を得たいとのねらいがあったとの見方が強い。

NASAの中には、スケジュール遅延とともに開発費が膨らみ続けるSLSをエウロパ・クリッパー計画から引き上げたいという思惑もあった。総予算42億5000万ドル(約4450億円)の計画予算から、打ち上げロケットを民間機に変更すれば最大15億ドル(約1570億円)を節約できるという。

2021年のNASA予算案から、エウロパ・クリッパーの打ち上げ機としてSLSの指定が削除され、2021年2月2日にNASAの名前でエウロパ・クリッパーの打ち上げロケットを米国内の民間に求めるRFP(提案依頼書)が今年3月に始まると予告された。3月1日から4月14日までの期間に提案を受け付ける。

RFP予告によれば、エウロパ・クリッパーの打ち上げ総重量は6065キログラム。2024年10月10日から10月30日までのウインドウで打ち上げ、6年半ほどかけて2030年4月に木星圏に到着する予定だという。また、火星・地球でのスイングバイを行う計画で、熱環境の厳しい金星スイングバイは見送られている。

2018年2月に初飛行を成功させたスペースXの大型ロケット「ファルコンヘビー」。Credit : SpaceX
2018年2月に初飛行を成功させたスペースXの大型ロケット「ファルコンヘビー」。Credit : SpaceX

NASAはRFPの形式をとって民間から商用ロケット(CLV)を求めているものの、提案の要件を満たす商用ロケットはスペースXのファルコンヘビー以外にないと見られている。重量約6トンの大型探査機を打ち上げることができ、飛行実績のある米国の商用ロケットはほとんどない。冥王星を探査したニュー・ホライズンズを打ち上げたロッキード・マーチン製造のアトラスVは数少ないそのひとつだが、エウロパ・クリッパーの当初計画で想定されていたロケットがこのアトラスVであり、金星スイングバイを含む軌道となるため今回のロケット選定候補からは外れる。ボーイングが製造するデルタIV ヘビーも大型の打ち上げ能力を持つが、こちらも金星スイングバイが必要となると見られている。

2021年2月10日、エウロパ・クリッパーは詳細設計審査を通過したとの報道があり、コスト、スケジュールと打ち上げロケットの問題で揺れた木星衛星探査機は民間ロケットの力で木星へと航行することとなった。イーロン・マスクCEO率いるスペースXは、早期の有人月探査実現を求めたトランプ政権の置き土産ともいえるNASAの民間ロケット調達の流れの中で、木星圏への打ち上げという大きな業績を手にしそうだ。

サイエンスライター/翻訳者(宇宙開発)

1990年代からパソコン雑誌の編集・ライターを経てサイエンスライターへ。ロケット/人工衛星プロジェクトから宇宙探査、宇宙政策、宇宙ビジネス、NewSpace事情、宇宙開発史まで。著書に電子書籍『「はやぶさ」7年60億kmのミッション完全解説』、訳書に『ロケットガールの誕生 コンピューターになった女性たち』ほか。2023年4月より文部科学省 宇宙開発利用部会臨時委員。

秋山文野の最近の記事