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【連載】暴力の学校 倒錯の街 第2回 1章・事件発生 不穏な電話

藤井誠二ノンフィクションライター

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1章 事件発生

不穏な電話

職場の向いモルタル壁にかけられた時計の針は、あと五分で午後五時を指そうとしていた。定時退社の時刻である。五時になると、終業を知らせるチャイムが工場内に響きわたる。

ICのリードフレームをつくる研削技師として働く陣内元春はその日、残業の段取りにはいっていた。機械と向かい合うかっこうでの、立ちっぱなしの労働は疲れる。夕刻になると、腰に絡みつくような疲れがたまっているのがわかる。残業は一時間ほどで切り上げようと元春は考えていた。

元春はこの工場に就職してからはまだ一年しか経っていなかったが、研削技師としての経験は二○年近くになる。何ミクロン単位の精度を求められる研磨作業は長年の勘が必要だ。精度の確認は顕微鏡を覗く。

すると、研削機械が居並ぶ工場内の内線電話が鳴った。電話に近い持ち場の同僚がとった。

「陣内さん、電話!」

職場への電話は事務所がいったんとりつぎ、工場内の内線にまわる。

受話器を耳にあてると、ザーッという機械音がした。相手は雑音の中で元春に名乗った。元春の長女である知美が通う、飯塚市にある近畿大学附属女子高校(以下、近大付属)の担任教諭・棚町敏雄であった。

「娘さんが学校で倒れて飯塚病院に運ばれていますので、すぐ来てください」

棚町はほかにも何か話していたのだが、雑音がひどく、一言一句をはっきりと聞き取ることができなかった。だが、用件は呑み込めた。

「はい、わかりました。すぐ行きます」

そう元春は返事をした。五時退社だから、もう何分かしたら出られる。きっと、貧血だろう。元春は棚町の「倒れた」という表現からそう思ったのである。じりじりと太陽が照りつけ、日増しに気温が上昇していた一九九五年七月十七日。その日、福岡県筑豊地方は気温が三○度を超えていた。でも、知美は今まで貧血で倒れたことはないはずなんだが……。

元春は飯塚市の自宅から、東へ二○キロほど離れた鞍手郡にある職場まではいつもクルマで通勤している。飯塚病院に向かうときはその通勤路を逆走すればいいのだが、そのときは一分でも早くたどり着くために、バイパスを一○○キロ近いスピードで飛ばした。作業服を着たままなのは、いつも家で着替えをしているからである。職場から飯塚病院までは二二~二三キロ。五時五分ぐらいに職場を出て、五時半には到着した。

病院の壁には夕暮れ時とはいえ、強い日光がまだあたっていた。受付時間を過ぎているせいだろう、人影はまばらだった。

元春は病院の本館正面駐車場にクルマを止め、正面受付に行くと、受付の女性がまだ帰らないでパソコンのキーボードをたたいていた。元春は仕事中かと思い遠慮し、二、三分待ってから用を告げた。

「陣内知美が学校から運ばれているはずですが……」

「おそらく急患の方に入っているんじゃないですか」

そう女性事務員は答えた。

元春は「急患に入るようなあれやったかな」と不可解に思いながらも、正面受付から通路を行き、渡り廊下を小走りに急ぎ、救急救命センターのある南棟へ向かった。ものの三○秒もかからない。救急救命センターの入口へ着くと、元春の義母(知美の祖母)、兄の嫁など親類たちが集まっているのが見えた。

「元春さん!」

義母がとりみだしたように声をかけてきた。

「どうしたの?」

元春が聞き返す。

「知ちゃんね、心臓が止まっとるんよ!」

元春は驚傍のあまり、声にならない叫び声を上げた。横を見ると、樵梓しきった元春の妻(知美の母)明美が呆然と立ち尽くしていた。

心臓が止まるなんて何だろうか。知美は中学のときは陸上部で心臓は強かったはずだし、心臓が止まるような、何かそんな病気があったのか――元春は瞬間的にそう考えた。

すると、そのときだ。左手の廊下から移動ベッドが疾走してきた。知美が横たわっている。知美は裸同然で、口に人工呼吸器のホースが挿入され、胸を押しつぶされんばかりの勢いで男性の医師に心臓マッサージを施されていた。ベッドを取り囲むようにして数人の看護婦が付き添い、救急処置室にすべりこんでいった。

知美の母、陣内明美に学校から連絡があったのは、午後四時をまわったころのことである。やはり知美の担任、棚町敏雄からだった。「暑い日だったから、知美のためにジュースを買いに出かけて」いた明美が玄関に入ると電話が鳴っていた。

棚町は、「知美さんが倒れました」と告げ、「は?」と聞き返す明美に、「先生が押したら、倒れたのです」と付け加えた。「どこに行けばいいんですか」と明美が聞き返すと、「保健室に来てほしい。いなければ病院にいます」と答えた。

明美は自宅から学校へタクシーを飛ばした。途中、踏切で近大附属の生徒たちとすれ違った。生徒たちは何ごとかざわつきながら、後ろを振り返るなど落ちつかない様子だった。明美はいやな予感を抱いたが、「夏休み前だから、そわそわしているのかな」と自分を納得させた。それでも、胸騒ぎを抑えきれない明美は、タクシーを待たせたまま一階の事務室に駆け込んだ。

「すみません!陣内ですけど、保健室はどこでしょうか」

「飯塚病院に行かれました」

タクシーのドライバーはただならぬ雰囲気を察したのか、明美が「飯塚病院」と告げただけで、救急救命センターの入口に直接、クルマを滑り込ませた。そこには救急車が止まっていた。

中に入ると、看護婦たちが右往左往していた。明美はどうしていいかわからず、救急救命センター内に設置してある公衆電話から、母親の家に電話をかけた。次に元春の職場へ電話をかけようと、バッグから手帳を取り出したが、気が動転しているため、うまく探せない。すると、近くにいた棚町が代わりに手帳から元春の職場の電話番号を探し出し、かけてくれた。それが、五時五分前に元春が受けた第一報だったのである。

まもなく明美の母(知美の祖母)が到着。二人で、一階の救急処置室の扉にへばりつくように待った。まだ、元春は来ない。すると、医師が近づいて、「もともと何か持病があるのですか?」と聞いた。

「いえ、陸上部に入っていたから心臓も丈夫です」

「おじいさん、おばあさんに心臓の悪い方はいませんか」

「父方の祖父は心筋梗塞で亡くなりましたが、母方はガン系ですし……」

「娘さんの心臓が止まっているのです」

そこから、夫、元春があらわれるまでの間は記憶が定かでない。

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ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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