クリスチャン・ギャンを偲んで
フェイエノールトの右サイドバックとして活躍したクリスチャン・ギャンが、昨年12月29日、病気のため亡くなった。享年43……。若い。若すぎる。
フェイエノールト・サポーターのハートを鷲掴みにした男−−それが現役時代のギャンだった。
トップチーム昇格時のギャンは路面電車でスタジアムに通っていた。試合後、停留場で路面電車を待つギャンは、気軽にファンとのサッカー談義に応じていたという。
ギャンは、フェイエノールトの準レギュラー選手としてオランダリーグ(1998−99シーズン)、ヨハン・クライフ・スハール(1999年)、UEFAカップ(2001−02シーズン)のタイトル獲得に貢献した。U17ガーナ代表として世界一に輝いたこともある。しかし、『一流中の一流選手』だったかとは言い切れぬ物足りなさもあった。
言い換えると、ギャンは『これぞフェイエノールトの選手』という見本のような選手だった。アヤックスやPSVと比べると、資金力に乏しいフェイエノールトは選手の質で劣っている。しかし、欧州一の商港ロッテルダムを本拠地にし、港湾労働者から支持を受けるフェイエノールトのクラブ是は『ハードワーク』。技術や戦術を超越した魂のサッカーで、彼らはライバルチームと伍して戦っている。175cmの小柄な体を投げ出して、敵チームのFWに食らいつくギャンの全身全霊のプレーに、フェイエノールトのサポーターは大喜びしていた。
そんな『サポーターから愛される選手』は、2002年5月、『カルト・ヒーロー』へと昇華した。UEFAカップ決勝戦に勝ち進んだフェイエノールトだったが、レギュラーのエマートンが出場停止処分を受けたことから、ギャンがドルトムント相手の大舞台で先発した。サイドでエベルトンと激しく競り合い続けたギャンはチームの3−2の勝利に貢献した。さらに、キックオフ寸前、発煙筒の煙が残るピッチの上で、ギャンが両手を大きく広げて祈る姿があまりに神々しく、『カルト・ヒーロー』の異名をいただくことになった。
伝説となったUEFAカップ決勝戦。前列左端がギャン。隣に小野伸二
ギャンの人生を綴った『キング』という本には多くの逸話が紹介されている。敬虔なクリスチャンだったギャンは、インタビューで「それは神の思し召し」といったセリフばかり言う記者泣かせの選手だった。
ーー試合で出られず怒りたいこともあるのでは?
「ベンチに座っているからといって、怒ることはないよ。僕はチームのために祈りを捧げ、フェイエノールトに力を与えてもらうだけだ。聖書には『何事にもときはある』と書いてある」
ーーしかし、監督に対して「なぜ俺を起用しないんだ?」と訊きにいくことはできるだろう?
「なぜ? 監督が選手を決めているのではない。決めるのはイエスだ」
ーー監督が先発メンバーを決めているのでは?
「そうだ。でも、私がプレーするかどうか、決めるのはイエスだ」
逆にファンは、ギャンの言葉にシンパシーを覚えたという。先発から外れても腐らずポジティブに振る舞い、いざピッチに入れば恐れ知らずの全力プレーをするギャンの背景には、こういう信仰心があったのだと。
引退後のギャンは経済面で非常に窮したという。本人の金銭に対する知識不足があったことは否めない。フェイエノールトとの契約も長年に渡って条件がよくなかった。現役時代に子供の医療に費やしたお金も多額にのぼった。なによりも困った人がいたら見過ごせない人柄が災いした。多くの人の面倒を見た結果、自身が貧困にあえぐようになった。
ギャンと妻は、元監督のベーンハッカーを訪ねて「なんでもいいから仕事をください」と直訴し、フェイエノールトのスポンサー企業の港湾荷役業者で肉体労働者として働くことになった。
最初は「UEFAカップの決勝戦とは比べ物にならないほどの筋肉痛に悩まされた」と言うほどキツく感じられたが、徐々に体が慣れていき、「ロッテルダム港で働くフェイエノールダー、ギャン」の記事がまたたく間にオランダ国内に広まった。『キング』の一節でギャンの職場仲間がこう語っている。
「俺たちはお互いに分かりあえている。俺たちは宗教心が篤いんだ。クリス(ギャン)は神を信じ、俺はフェイエノールトを信じている」
しかし、草サッカー中にてんかんの発作で倒れたり、ガンを発症したりして、ギャンの健康は悪化していった。会社は「作業中に発作が起こったら、ほんとうに死んでしまう」とギャンのことを泣く泣く解雇せざるを得なかった。
『キング』は、ギャン一家の経済支援活動を兼ねた本だった。2017年、ファンは3万ユーロ(約400万円)をギャンに募金した。
昨年12月末、ギャンは力尽きた。遺族の今後のためにファンは15万ユーロ(約2000万円)をおくった。
「ぜひ、ファンとお別れの機会を作って、お礼したい」
その遺族の思いから、今年1月21日、スタディオン・ファイエノールトでギャンの棺を乗せた車をファンが見送る機会が設けられた。
「クリスチャン・ギャン、オレ、オレー」の大合唱の中を棺が進んでいく。半旗のスタジアムには『クリスチャン・ギャン。永遠のヒーロー』の文字を添えた大弾幕がたなびいた。
安らかに。