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ヘリウム不足にも、コロナ禍にも負けず。宇宙エレベーター開発を続けるエンジニアたち

秋山文野サイエンスライター/翻訳者(宇宙開発)
日本大学チームの高速クライマー。撮影:秋山文野

「宇宙エレベーター研究を停滞させない」。将来活躍する宇宙輸送システムを目指して、宇宙を行き来する乗り物「クライマー」の開発を続ける人々がいる。地上と高度3万5800キロメートルの静止軌道を結ぶ完成形の宇宙エレベーターはまだ遠く、ヘリウム不足やCOVID-19の蔓延で思うように実験ができない日々が続いても彼らはあきらめていない。

2020年11月、山の急斜面を利用して、空中をケーブルを掴んで移動する宇宙エレベーターの昇降機「クライマー」の走行実験が行われた。大学工学部、社会人ら11チームが参加し、ロープ状、リボン状の2種類のテザー(ケーブル)を自力でよじ登る小さなロボットの性能を実証する。

急斜面を利用して準備された宇宙エレベーターのクライマー実証フィールド。撮影:秋山文野
急斜面を利用して準備された宇宙エレベーターのクライマー実証フィールド。撮影:秋山文野

クライマーは、宇宙エレベーターが完成した際には地上と静止軌道を往復して人や物資を運ぶ役割を担う機構だ。空中に垂直に立つテザーを掴み、摩擦力で上昇・下降することになる。垂直のテザー上を移動するような機構は世の中にほとんどなく、お手本にできるものがない中で日本の宇宙エレベーター推進団体、宇宙エレベーター協会を中心に10年以上開発の取り組みが続けられてきた。

2009年に協会が始めたクライマー開発の実証会では、ヘリウムを詰めたバルーンでテザーを釣り上げ、クライマーの試験機が昇降する方式をとってきた。固定するものがない空中で揺れるテザーを掴み、滑らずに昇ること、小さいとはいっても数キログラムになる機械を安全に下降させる性能を実現することは難しい課題だ。これまで、最高高度の1200メートルまで昇りきって降りてきたクライマーを開発できたのは1チームしかいない。

晩秋の日、早朝から斜面を利用して実証フィールドを準備。2本のテザー(画面中央)をクライマーが昇降する。撮影:秋山文野
晩秋の日、早朝から斜面を利用して実証フィールドを準備。2本のテザー(画面中央)をクライマーが昇降する。撮影:秋山文野

高度目標の実現に加えて、スピード、貨物(ペイロード)の搭載性能、昇降中に環境計測を行うセンシング機能などさまざまな課題がある。揺れるケーブルを確実に掴む、風の影響を低減する、屋外で直射日光や雨などに対する耐環境性を持つといった性能の実現でも苦労を強いられてきた。

近年は、資源としてのヘリウム不足からくる価格高騰でバルーンを準備する資金不足にも苦しめられてきた。加えて2020年は新型コロナウイルス感染症の影響で、大学工学部の開発者は集まって思うように開発を進めることができない。前年までに開発されたクライマーの技術を継承するなど工夫して開発を続けてきた。

リボン状のテザーを掴んで昇降する神奈川大学のクライマー。テザーのよじれも悪条件になる。撮影:秋山文野
リボン状のテザーを掴んで昇降する神奈川大学のクライマー。テザーのよじれも悪条件になる。撮影:秋山文野

少しでも実証のチャンスを増やそうと、宇宙エレベーター協会が用意したのが山の斜面を利用する方法だった。丸いロープと平たいリボンの2種類のテザーを斜面の上から吊り降ろし、下端を固定して走路にする。走路長はおよそ470mとバルーン方式より短いが、上から上昇してくるクライマーの走行状態を目視できるというメリットがある。11月の早朝から日暮れまで、ぬかるみに足を取られる過酷な環境の中で11チームは自作のクライマーを走行させる実証に挑んだ。

各チームは2日間の日程を使って繰り返し走行に挑んだが、思うように走行できない。テザーに取り付けても、いざ走行しようとすると滑ってしまう、テザーのテンション(張力)と機体の設定が合わずに走り出せない、ねじれたリボンを噛み込んでテザー上でストップするなどの課題が続出する。試験中に発火して機体が壊れたチームもあり、一からロボットを生み出すものづくりのハードルは決して低くないことを感じさせた。地上は常に風が吹き、寒暖差があり、テザーは緩んだり張り詰めたりコンディションが変わる世界だ。こうした課題を克服できなければ宇宙へ行く前に地上を脱出することはできない。

日本大学のクライマーは機体に取り付けられたカメラから昇降中の映像を地上へ送信できる。撮影:秋山文野
日本大学のクライマーは機体に取り付けられたカメラから昇降中の映像を地上へ送信できる。撮影:秋山文野

そんな中で、カーボンの軽量機体でロープテザー上での高速走行に挑んだ日本大学のチームは、瞬間的にだが時速約160kmのスピード実証に成功した。またリボンテザー上では神奈川大学のチームが、テザーを往復する実証に成功した。

撮影:秋山文野
撮影:秋山文野

ロープ状のテザーを掴んで昇っていくクライマー。テザー表面が荒れているとコンディションが変わる。撮影:秋山文野
ロープ状のテザーを掴んで昇っていくクライマー。テザー表面が荒れているとコンディションが変わる。撮影:秋山文野

数チームが走行に成功する中で、浮き彫りになったのが降りることの難しさだった。上がっても降りることができなければ昇降機とはいえないが、現在のクライマーは重力を利用して、少しテザーを滑り降りてはブレーキ、降りてはブレーキという手法を使っている。コントロールを失って高速で落ちてくるよりははるかに安全だが、何らかの方法でスピードををコントロールして降りることができないと、たった数百メートルのテザーを降りてくるクライマーを何時間も待ち続けることになり、実用性が見込めない。位置情報などをもとに移動距離、速度を把握して自律的に「降りる」制御を行う機体が求められるという課題が浮上してきた。

宇宙エレベーターは、エレベーターそのものを支える高強度素材、カーボンナノチューブの開発を待っている状況で、数年スパンでの実現が求められるものではない。その中でクライマー開発を続ける意味はどこにあるのか。宇宙エレベーター協会の大野修一会長は、地上の他の技術への応用と、今後本格化する月開発や地球低軌道での実用衛星への応用を挙げる。

「自力でケーブルを昇降するロボットがあれば、センシング機能を備えてインフラ点検を行うロボットに応用できます。また、有人宇宙開発は月面の開発を目指していますが、月の低重力とふわふわのレゴリスという環境で、有輪の機構で移動することが果たして最適でしょうか? 最初の探査の段階であればローバーのように移動の自由度が高いことが重要ですが、定常的な移動が必要になった際には、月面にテザーを張り巡らせ、そこを摩擦の力で移動していくケーブルカーのようなものが効率的ではないでしょうか? そうした際には、現在のクライマーの技術が(横向きではあるものの)応用できるはずです。テザーの張力との関係や耐環境性などは、地上でまず実証しなければいきなり宇宙へ持っていけないですから」と語る。

屋外の実証中もマスクを着用し、クライマー実証の安全管理と感染症対策を同時に進める。撮影:秋山文野
屋外の実証中もマスクを着用し、クライマー実証の安全管理と感染症対策を同時に進める。撮影:秋山文野

クライマー実証に参加している静岡大学は、超小型衛星を使って宇宙でテザーを展開する実験も進めている。地上のクライマー、宇宙のテザー展開が合わさったとき、テザー衛星などの技術として実を結ぶ期待もある。ヘリウム不足でも、感染症問題があってもまずはクライマー開発を継続させなければ宇宙での実現はない。動かないクライマーを前に歯噛みしながら、若いエンジニア達がクライマー開発を続けている。

サイエンスライター/翻訳者(宇宙開発)

1990年代からパソコン雑誌の編集・ライターを経てサイエンスライターへ。ロケット/人工衛星プロジェクトから宇宙探査、宇宙政策、宇宙ビジネス、NewSpace事情、宇宙開発史まで。著書に電子書籍『「はやぶさ」7年60億kmのミッション完全解説』、訳書に『ロケットガールの誕生 コンピューターになった女性たち』ほか。2023年4月より文部科学省 宇宙開発利用部会臨時委員。

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