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インドネシア高速鉄道、中国の計算

遠藤誉中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

中国は高速鉄道建設に関してインドネシア政府に財政負担や債務保証を要求しない条件を提案して日本を退けた。日本政府にとっては理解しがたい条件だが、中国には綿密に計算された長期戦略があった。何が起きていたのか?

◆ジョコ大統領に目をつけた習近平国家主席

一般に誰が考えても、相手国の財政負担はゼロで債務保証も要求しませんという慈善事業のような形でプロジェクトを請け負うことは理解しがたいことだ。

しかし、中国はちがう。

インドネシア政府による支出はなく、債務保証もしなくていいという、考えられないような条件を提示したのだ。本当にそんなことが実行されるのなら、飛びつかない国はないだろう。

日本政府は「理解しがたい」と遺憾の意を表したが、中国流外交戦略は「計算」の仕方が違う。

まず2014年10月20日、庶民派のジョコ・ウィドドが大統領に就任すると、習近平国家主席はいち早くジョコ大統領に目をつけた。

ジョコ大統領は就任直後の同年11月4日に、「海洋国家構想」の一環として、「港湾整備や土地整備を優先するためにインフラ整備の優先順位を見直す」と発表。これぞまさに習近平政権が掲げているAIIB(アジアインフラ投資銀行)と一帯一路(陸と海のシルクロード)構想とピッタリ合致する。

そこで2014年11月9日に北京で開催されたAPEC(アジア太平洋経済協力)首脳会談に出席したジョコ大統領を習近平主席は手厚くもてなし、首脳会談を行なった。ジョコ大統領はすぐさまAIIBへの参加を表明した。インドネシアにとって中国は最大の貿易相手国だ。一帯一路構想に関してもジョコ大統領は協力の意を表した。

11月10日、ジョコ大統領は日本の安倍首相とも会談して海洋協力を約束し、2015年3月22日に訪日して経済協力と安全保障面の協力について話し合っているが、それに対して習近平主席は、もっと「具体的な」手段に出ている。

◆インドネシア高速鉄道プロジェクト協力に習主席がサイン

2015年3月末、ジョコ大統を北京に招聘して、中国の国家発展改革委員会とインドネシアの国有企業省に「中国・インドネシア ジャカルタ‐バンドン間高速鉄道合作(協力)備忘録」を交換させた。

続いて2015年4月22日、習近平国家主席自身がインドネシアを訪問し、ジョコ大統領と会談した。この際、習主席は、インドネシアの高速鉄道プロジェクトに関して話しあい、署名までしている。

双方はまず以下の基本原則で合意した。

●中国側は実力の高い、より多くの中国企業がインドネシアのインフラ建設と運営に参加することを望んでいる。

●インドネシア側は、中国と各領域で協力することを希望し、特に中国の「21世紀、海のシルクロード」構想とインドネシアの新しい発展戦略を結合させることをきっかけとして、中国側がインドネシアのインフラ建設に多くの投資をすることを望んでいる。

この双方の意向を受けて、中国はインドネシアに「60億ドル」の投資をすることを約束し、サインした。合意された内容に関してインドネシアの計画発展部副部長は、翌日のメディア報道で、つぎのように語っている。

「インドネシア政府は政府の財政融資を用いて、この高速鉄道プロジェクトを推進しようとは思っていない。日本の国際協力機構の試算では、このプロジェクトへの投資総額は60億ドルとなっている。投資の収益率がマイナスであった場合、民間企業だけで負債を生めることはできない。したがって理想的にはインドネシア国有企業が主導する形で、国有企業が74%出資し、政府が16%、民間企業が10%出資するということが望ましい」

この「60億ドル」に注目していただきたい。

習主席は、まさにこの「60億ドル」の投資をインドネシアの高速鉄道プロジェクトに投資することを、今年の4月に約束し、サインしているのである。

◆中国の提案――「デキ」レース

ここまでの準備をした上で、中国政府は「インドネシア政府の財政負担なし。債務保証をする必要もない」という条件を、日中の高速鉄道競争の「入札」に提出したのだ。

それも「中国の複数の鉄道関係の国有企業と、インドネシアの国有企業が合資で新しい企業を創設する」という条件も付けた。

4月22日の会談における「インドネシアの国有企業が主導する」という形式を、「その国有企業と中国の複数の国営企業が合資により、インドネシアに新しい企業を設立させる」という着地点で実現させたのである。

だから、日中競争の「入札」においては、予め4月22日の段階でインドネシア政府の要求を中国がすでに実現していた形だ。

これを入札という形の競争場面においてでなく、習主席の単独訪問で済ませてあったことになる。

この「順番」と「場」が肝心だ。

9月になってインドネシア政府が白紙撤回を宣言したのは、日本を振り落すためだったのではないかと推測される。

そうしておいて、中国から改めて条件が出されたような形を取った。

これは、いうならば「デキ」レースだ。

日本政府は4月22日の、習主席によるインドネシア訪問と、その時になされた両政府間の約束を、十分には注目していなかったのだろうか?

あるいは、これはあくまでも中国の一帯一路構想の中の一つにすぎないと思ってしまったのだろうか?

中国の精密に計算された戦略は、その後に佳境を迎える。

今年8月10日、中国政府の発展改革委員会の徐紹史主任はインドネシアを訪れ、ジョコ大統領と会談し、高速鉄道プロジェクトに関して話し合いをした。

その2日後の8月12日に、ジョコ大統領が就任後初めての内閣改造に踏み切ったのである。

この内閣改造で解任された閣僚の中に、親日派のラフマット・ゴーベル貿易大臣がいることに注目しなければならない。

その一方で、徐紹史主任とも会談した親中派のリニ・スマルノ(女性)国営企業省大臣は留任した。

ここがポイントだ。

翌8月13日、駐インドネシアの謝鋒中国大使はジャカルタで開催された「急速に発展した中国高速鉄道」展覧会で祝辞を述べたが、同日、リニ・スマルノ国営企業大臣も展覧会に出席し、中国高速鉄道を支持するコメントを出している。

そして国有企業省の記者会見で「G2G(政府対政府)」ではなく、「B2B(企業対企業)」で高速鉄道プロジェクトを推進していきたいと強調した(と中国メディアが報道した)。

中国は8月の入札時に「中国とインドネシアの企業が連合して合資企業を誕生させ、インドネシア企業の持ち株を60%、中国側企業が40%とする」という、インドネシア政府に有利な条件を提示している。

これを「偶然」と解釈するのか、それとも「デキ」レースととらえるのか。

その後の流れから行けば、「偶然」と解釈するには無理があるだろう。

デキ過ぎている!

◆損して得獲れ

中国がこのような条件でプロジェクトを実行することは損失ばかりで、「実行不可能だろう」と日本政府は思って(期待して?)いるかもしれない。

しかし、数千年におよぶ「策略」の歴史を持つ中国。

結果的に損するようなことはしない。

中国の国有企業が儲かるようにきちんと計算してあるのと、何よりも一帯一路の足掛かりをインドネシアにつけておくことは、この後の長期的な海洋戦略で欠かせない。どんなに高額なものになっても、投資は惜しまないだろう。

アメリカのカリフォルニア州の「ロサンゼルス‐ラスベガス」間の鉄道敷設に関しても、中国はすでにカリフォルニア州と意向書を取り交わしている。カリフォルニアは早くから親中的な華人華僑で陣固めをしてあるので、ビジネスは西海岸から始めるのである。

これまでODA予算などで、ひたすらインドネシアを応援してきた日本としては、裏切られたという思いが強いだろうが、国際社会は「友情」や「温情」では動かない。

残念ながら、動くのは「戦略」だ。

日本の劣勢は今後も世界のいたるところで展開される危険性を孕んでいる。それを避けるためには、中国の一部始終を洞察する外交戦略の眼が不可欠だろう。

(寄せ集めだらけの中国の高速鉄道技術だが、それはまた観点が異なるので別途論じることとする。)

追記:4月22日、ジョコ大統領と会った習近平主席は、爆買い観光客をインドネシアに行かせることも約束した。

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『中国「反日の闇」 浮かび上がる日本の闇』(11月1日出版、ビジネス社)、『嗤(わら)う習近平の白い牙』、『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。

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