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「違法」な黒塗りをはがすと、赤木俊夫さんの死の理由が「偽装・隠蔽」されていた!

赤澤竜也作家 編集者
2019年11月人事院開示の「公務災害認定に関する協議書類」(赤木雅子さん提供)

11月9日、赤木雅子さん宅に一通の郵便物が届く。差出人は人事院。全70ページの文書の一枚目の表題である「進行管理票」という文字には見覚えがあった。パラパラとめくってみると、今回はしっかりと「日本語の活字」が印刷されている。

2年前にも同じ書類が届いた。2019年11月19日付けの部分開示決定により送られてきた文書は、そのほとんどが真っ黒いインクで塗りつぶされた、いわゆる「のり弁」。なにがなんだかサッパリわからない。

翌2020年2月14日、雅子さんは人事院総裁に対し、部分開示決定を取り消すよう審査請求する。さまざまな難関を乗り越え、今般ようやく、もうひとつの赤木ファイルとも言うべき「夫に対する公務災害の認定に当たり、実施機関が行った人事院への協議に関する文書」が開示された。

ここに至るまで、国と雅子さんおよびその弁護団との間でどのような闘いがあったのか。2年を経て黒塗りの除去された文書にはなにが書かれ、なにが書かれていなかったのか。国はなにを隠したかったのか。振り返りつつ、開示された文書を読み解いてみる。(以下、役職名および所属は当時のものを使用)。

佐川宣寿元国税庁長官に送った手紙。その返事はどんなものだったのか?

公文書改ざんを強要され、それを苦に命を絶った赤木俊夫さん。パソコンに赤裸々な手記を残していたが、残された妻・雅子さんは当初、公開するつもりはなかったという。

「手記の入ったパソコンも手書きの遺書も、見るのも恐ろしいので、当時の弁護士先生にあずかってもらってました」

自宅や実家にマスコミが押し寄せ、恐怖に打ち震える日々を送っていた雅子さん。現在のように、報道陣の前で話をするなど思いもよらないことだったという。

ただし、夫の死について、どうしても会って話をしたい人物がいた。その名は佐川宣寿氏。夫の遺言とも言える手記には佐川元国税庁長官の個人名が数多く残されていたからである。その一部を抜粋してみよう。

「本年3月2日の朝日新聞の報道、その後本日(3月7日現在)国会を空転させている決裁文書の調書の差し替えは事実です。元は、すべて、佐川理財局長の指示です」

「パワハラで有名な佐川局長の指示には誰も背けないのです」

俊夫さんが亡くなってから約3ヵ月後の2018年6月4日、財務省は改ざん事件に関する調査報告書を公表した。しかし、そこには俊夫さんの名前は記載されておらず、改ざん行為の強要を苦に自殺したことにも触れられていない。いったい財務省は夫の死をどのように位置づけているのか。雅子さんは当時お願いしていた弁護士にその点の説明を聞きたい旨、話をしたところ、同年10月28日、本省から伊藤豊大臣官房秘書課長がやってきた。

その際、雅子さんは伊藤氏に対し、次のように話している。

「(佐川氏が)もし、来てくれて、お墓参りにでも来てくれたら、私の念は落ちると思うんです」

「私はもう、怒っていないと言ってください。別に、怒り狂っているおばさんじゃないと。お互いに、新しいスタートを切れたらと思うのですが、そんな話が通用する人なのかどうか、わからないけど、とても苦しい人生になってしまう。夫が死んだことで、あの人も、きっとすごい苦しい思いをされていると思うので、どこか時期をみて、できたらなと思います」

俊夫さんは手記のなかで自らの自死の責任は佐川宣寿元国税庁長官にあると綴っている。しかし、雅子さんはそんな佐川氏の近況を心配すらしていることが切ない。

佐川氏と直接会って話をさせてもらえれば、すべてを忘れ、新たなスタートを切ることできる。だから面談できるようにして欲しいと切望したのである。

伊藤秘書課長はこう言った。

「佐川へのコンタクトということであれば、私が個人としても最適任だと思いますので、承って、さっき申し上げたようなことがありますので、佐川本人がどう思うかという問題も、職務命令ではないという意味においてご意向はきっちりと伝えます」

しかし、その後、待てど暮らせど一切音沙汰はない。翌年の2019年2月7日、伊藤秘書課長は岡本薫明事務次官とともに再度神戸に来訪したが、その際も佐川氏への言付けを伝えたのかどうかさえ、口にしなかった。

長い時間思い悩んだ末、雅子さんは2019年8月9日、当時の弁護士の名前で以下のような書面を佐川氏の自宅へ送った。

「故赤木俊夫氏の自殺については、貴殿による決裁文書改ざんの指示が原因となっているものにほかなりません。しかるに、貴殿からは、故赤木俊夫氏の自殺後、現在に至るまで、故赤木俊夫氏の遺族である通知人に対し、何らの説明も謝罪も行われておりません。かかる貴殿の姿勢は、故赤木俊夫氏の自殺による通知人の無念と悲嘆を増加させるものと言わざるを得ません。貴殿におかれましては、決裁文書の改ざんを指示するに至った経過に関する説明と謝罪を通知人に行われたく、本書をもって申し入れます」

2019年8月と9月に弁護人名義で佐川宣寿元国税庁長官に送られた申入書(赤木雅子さん提供)
2019年8月と9月に弁護人名義で佐川宣寿元国税庁長官に送られた申入書(赤木雅子さん提供)

なんの音信もないため、9月5日に同様のものを再送したところ、10日になってなぜか近畿財務局の職員から連絡が入る。当時の弁護士から届いたメールは以下のようなものだった。

「先ほど、(近畿財務局の)米田前人事課長より、伊藤前秘書課長からの伝言をたまわりました。伊藤前秘書課長からの伝言は、下記のとおりです。

佐川氏は弁護士から頂戴した書面を2通とも拝見している。返事はお出しできないが、しっかりと読ませていただいていることをお伝えいただきたい。

趣旨はよく分かりませんが、言葉通りお伝えしますとのことでした」

雅子さんの前で「ご意向はきっちり伝えます」と言い切った伊藤豊氏(この時点では金融庁監督局審議官)は、その依頼に直接返答することなく、佐川氏 → 伊藤氏 → 近畿財務局職員 → 当時の弁護士と、伝言ゲームで佐川氏の言葉らしきものを申し送りしてきた。

しかもである。

佐川氏に送った書面は「説明と謝罪」を求めるものだった。「しっかりと読ませていただいている」だけでは、話にならない。

雅子さんが当時の弁護士の勧めにより、人事院に対し、俊夫さんの公務災害の認定に際し、どのような書類が作られていたのかの開示請求をしたのはその翌日のことだった。

国は出したくない書類を徹底的に隠蔽する。

ここからは文書開示に関する流れを振り返ってみる。耳慣れない用語もありちょっとややこしいのだが、国がどれほど屁理屈をこねて、書類を出し渋るのかを分かって頂きたい。

冒頭にも書いたように、2019年11月に人事院から開示されたのは「のり弁」だった。翌2020年2月14日、現在の弁護団とともに部分開示決定取り消しの審査請求を申し立てる。

同年3月18日、雅子さんはジャーナリストの相澤冬樹氏と週刊文春誌上において俊夫さんの手記を公表。同じ日に国と佐川宣寿元国税庁長官を被告として大阪地方裁判所に損害賠償請求訴訟を提起した。大々的に報道されたことは記憶に新しい。

その訴状の求釈明においても人事院が開示した書類のマスキング部分を外したものを証拠として提出することを要求している。

4月13日、今度は近畿財務局に対し、「公務災害補償通知に係る一切の資料」についての保有個人情報開示請求を行う。公務災害の認定は実施機関(俊夫さんの場合は財務省)から事務の委任を受けた近畿財務局が人事院と協議することで認められるか否かが決まるため、同様の書類が近畿財務局にもあるはずだからである。

ところが5月13日、近畿財務局長は「新型コロナウイルスによる緊急事態宣言に伴う処理可能作業量の減少、業務多忙、および対象文書が著しく大量で審査等に時間を要する」との理由で6月15日までに可能な部分について開示決定等を行い、残りの部分については翌年の5月14日まで開示決定の期限を延長すると勝手に決めて通知してきた。

6月10日に部分開示されたのは、俊夫さんの自死の原因や経緯を財務省がどのように考えているのかという本質とはまったく関係のない、決裁や支払い手続きに関する書類10枚だけ。

あまりに不誠実な態度に思いあまった雅子さんと弁護団は7月6日、近畿財務局の5月13日の決定について、大阪地方裁判所に、不作為の違法確認・開示義務付け訴訟を提起。「新型コロナウイルスを理由にしたとて、いくらなんでも1年後までの延期は法律の建て付け上、おかしいでしょ」と問いかけた。

もう一方の人事院ルートについては6月24日、人事院から諮問された情報公開・個人情報保護審査会に意見書を提出。国が行政機関個人情報保護法の条文だけを羅列して黒塗りの理由としているところなどについて、個別具体的に反論した。

近畿財務局(被告は国)に対する不作為の違法確認・開示義務付け訴訟は8月18日、11月2日の二度にわたって口頭弁論が行われた。すると12月7日になって、雅子さんにとって本訴ともいうべき損害賠償請求事件のなかで国は近畿財務局の保有する「公務災害補償通知に係る一切の資料」559ページを証拠として開示。そのため不作為の違法確認・開示義務付け訴訟は2021年1月6日、取り下げることとなる。

人事院ルートについては、意見書提出から約1年3ヵ月を経て2021年9月16日、情報公開・個人情報保護審査会が答申を出す。結論は「違法なものであり、取り消すべきである」というものだった。

2021年9月16日に情報公開・個人情報保護審査会から出された答申。人事院が不開示とした理由に重大な不備があることを指摘している(赤木雅子さん提供)
2021年9月16日に情報公開・個人情報保護審査会から出された答申。人事院が不開示とした理由に重大な不備があることを指摘している(赤木雅子さん提供)

赤木弁護団の生越照幸弁護士は次のように語る。

「本来、情報公開法の建て付けでは開示することが原則であり、不開示の場合、行政側はその理由を説明しなくてはなりません。しかし今回の赤木さんの場合、行政機関個人情報保護法の条文を並べただけで、その要件を満たしていないにもかかわらず、真っ黒の書類を出してきた。別の省庁の国家公務員の事件を何件かやらせてもらったことがあるんですけれども、何時間働いたとか、何が原因だとか、公務災害の判断基準がちゃんと出て来ている。縛りのキツいはずの自衛官の案件でさえ、防衛情報にマスキングが入る以外は読めるようになっていた。行政の都合による勝手なさじ加減で『こいつは認めよう』『これは認めない』と判断できるような、恣意的な運用が許されていることは誠に問題だと考えています」

今回の情報公開・個人情報保護審査会の答申は、以下のサイトの「答申番号 令和3年度(行個) 075」の欄にあるPDFをダウンロードすることにより読むことが出来るので、興味のある向きは是非、目を通していただきたい。国がいかにいい加減な理由で黒塗りするのか理解していただけると思う。

https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/singi/jyouhou/toushin_r03k02.html

審査会の答申を受け、10月29日、人事院総裁は「原処分を取り消す」と裁決した。2019年9月11日の最初の開示請求から2年2ヵ月。弁護団の先生方の尽力のもと、気の遠くなるような膨大な書面のやり取りと複数の訴訟を経て、俊夫さんの公務災害認定に関する近畿財務局と人事院の書類が、ようやく雅子さんの手もとにそろうことになったのである。

国はすぐに出せば済んだ書類を違法に隠蔽するため、いったいどれほどの税金を浪費したのだろうか。

財務省=近畿財務局・人事院の内部書類で赤木俊夫さんの死の理由はどう書かれていたのか?

いよいよ本題である。

公務員が仕事中に脳出血や心筋梗塞を起こして死亡したとしても、すぐさま公務災害として認められるわけではない。俊夫さんはウツ病となって自死に至ったわけだが、その発症が明らかに公務に起因すると認定されなくてはならないのだ。近畿財務局、および人事院はどのような公務に基づいてウツが発症し、死に至ったと申し述べているのだろうか。

近畿財務局の書類の冒頭には「災害認定報告書」という文書があり、最初の項目に「災害発生の状況とその原因」とある。今回開示された人事院の方にも同様の記述があるが、まずは詳しく書かれている近財の書類から見てみよう。

「2017年2月9日のマスコミ第一報より、国会対応や行政文書の開示、上級官庁との連絡調整などで連日深夜におよぶ超過勤務が慢性化するようになった」と書かれている。

ここまではその通りだ。問題はその次の一文。少し長くなるが、引用してみる。

「特に、同年2月21日、国会議員団が近畿財務局を訪問した際、国会議員が多数のマスコミ関係者が取材を行っている面前において、上司・同僚を一方的に厳しく詰問・批判し、責め立てていることを本人は目の当たりにし、また、このマスコミによる近畿財務局への批判報道等を見聞きする中で、これまでにない、怒り、不満、そして同事案の担当を続けることへの不安など、精神的なストレスを抱え込むこととなった」

ちなみに、この日の記述は民進党・森友問題プロジェクトチームの逢坂誠二氏、福島伸亨氏、玉木雄一郎氏、辻元清美氏、舟山康江氏が来阪し、近畿財務局・大阪航空局の国有地売却担当者に対し聴き取り調査をしたことを指す。近畿財務局からは楠敏志管財部長や小西眞管財部次長、池田靖統括国有財産管理官などが対応。それに財務省本省からお目付役として田村嘉啓国有財産審理室長も隣席するなど、のちに改ざんの指示役・実行犯となる人物がすでに勢揃いしていた。

この文章からしてツッコミどころ満載だ。

まず1点目。「本人は目の当たりにし」という記述から、俊夫さんはヒアリングの会場にいたことになっている。しかし、雅子さんは、「夫は池田さんから『ボクがやるから君は出なくていいよ』と言われたと話していたのをハッキリと覚えています。とても感謝してましたから」と述懐する。

果たして俊夫さんは会議室内にいたのだろうか。その日の動画を再度チェックしてみた。私の手もとにある映像は、政治家の正面に座る役所側の人たちすべてが映るアングルに設置されたカメラで撮影されたもの。会議が始まる6分前から録画が始まり、国会議員が出て行ったあとのぶら下がり会見終了まで記録されていたが、俊夫さんの姿は発見できなかった。この記述自体が「ねつ造」である可能性は高い。

2点目は「国会議員が多数のマスコミ関係者が取材を行っている面前において、上司・同僚を一方的に厳しく詰問・批判し、責め立てている」という記述。まるで野党議員が近畿財務局の職員をイジメたとしか受け取れない記述である。果たしてそうなのか。

厳しい追及があったのは確かである。ただしそれは8億円値引きの根拠となるゴミがどこからどう出て、どのような写真が残っているのかについて、まったく答えられなかったことによるもの。さらに、ヒアリングのなかではこのようなやり取りがあった。

福島伸亨議員「(国有地売却に)政治家からの働き掛けはあったのか?」

楠敏志管財部長「私の方にはなかった。担当にもなかった」

福島議員「あとであったら大変なことになる。一切なかったのか?」

辻元清美議員「府会議員、知事、そのほかすべてだ」

楠管財部長「働きかけはございませんでした」

福島議員「もしあったら辞職することになる」

玉木雄一郎議員「秘書を含めてないのか? 虚偽があったら困る」

大阪航空局幹部「僕のところにはない。ないと聞いている」

さらに福島議員が「本省もいいですね?」と財務省理財局の田村嘉啓国有財産審理室長に問いかけると、しっかりうなずく様子も映っていた。

俊夫さんの死を経て公開された応接録や決裁文書にはさまざまな働き掛けをする政治家とその秘書の名前がジャンジャン出てくる。この時点で、すでに財務省・近畿財務局幹部は国民の代表たる国会議員に対して大ウソをついていたのである。明らかに虚偽の事実を述べ立てているのだから、野党議員が怒るのも無理はない。しかるに公務災害認定の書類では、野党議員が上司・同僚をイジメたから部下の俊夫さんがウツになるキッカケとなったと言っている。片腹痛いにもほどがある。

さらに3点目は俊夫さんの精神的不調のスタート時点の記述について。雅子さんは次のように振り返る。「事件発覚当初、確かに終電にも乗れず、連日タクシーでの帰宅でしたが、夫は『池田さんのためにも頑張るんだ』と精気がみなぎっていました。この書類では2月21日から『精神的ストレスを抱え込むようになった』と書かれていますが、その日以降も元気でしたよ。おかしくなったのは2月26日から。私の母をともなって3人で梅を見に行っていた日曜日に電話で職場に呼び出された、あの日からなんです」

財務省=近畿財務局は俊夫さんの精神的不調が17年2月26日から始まっては困るようなのである。

2020年12月7日、損害賠償請求訴訟の証拠として国から提出された「公務災害認定に関する協議書類」。近畿財務局の文書だが、欄外の書き込みから財務省の指示のもと作成されたことが伺える(赤木雅子さん提供)
2020年12月7日、損害賠償請求訴訟の証拠として国から提出された「公務災害認定に関する協議書類」。近畿財務局の文書だが、欄外の書き込みから財務省の指示のもと作成されたことが伺える(赤木雅子さん提供)

ちなみに俊夫さんが亡くなった3ヵ月後に行われた雅子さんによる「公務災害認定の申立書」にも似たような記載がある。近畿財務局および人事院は「雅子さんの署名捺印のある申立書にそう書かれていたから、内部文書での公務災害発生にいたるプロセスの記述も同様のものとなった」と抗弁するかもしれない。しかし、申立書は当時の弁護士が作成してくれたもの。雅子さんは内容を確認するようメールを受け取っているものの、夫の死による動揺が続いていた時期であり、覚えてもいない。さらに申立書を作成した当時の弁護士は私に対し「(申立書における)エピソードは近畿財務局から提供を受けたものを使った」と明かしてくれた。すべては財務省=近畿財務局の自作自演だったことを申し添えておく。

今回、開示された書類については、そのほかにも、理財局長だった佐川氏の虚偽答弁の想定問答作成に関わっていたこと、会計検査院検査の対応で田村嘉啓国有財産審理室長の指示のもと、重要な書類を隠蔽するなど検査忌避を強いられていたこと、森友関連の情報開示請求対応業務では、「応接録が不存在である」と虚偽の回答をするよう命じられていたことなど、俊夫さんの自死の遠因となった事実がまったく記載されていない。

書きだしたらキリがないほどおかしな点が散見されるこれらの書類であるが、このへんにしておこう。もっとも問題であるのは、俊夫さんの死の根本原因であるはずの重要な言葉が見当たらないことだ。

その言葉とは「改ざん」。

まさか。そんなわけはないと、近畿財務局の559ページおよび人事院の70ページをくまなく探索したのだがどこにも見当たらない。

俊夫さんの主治医であり、近畿財務局を休職する直前から自死に至るまで21回の診察を担当した岩井圭司・兵庫教育大学大学院学校教育研究科教授は診察室での様子を次のように回想する。

「具体的な内容はおっしゃらなかったんですけどね、あの、ごく控えめな言い方で、法に触れるというかね、まあ公務員としてね、役人としてやってはいけないことを指示されてると。うん、いうふうなことはね、言葉少なに控えめではありましたけど、はっきりおっしゃられました」

公務員としての守秘義務があったため、心から信頼を寄せる主治医にすら本当のことを打ち明けられなかったという事実が辛い。

医師として診断にあたっていた岩井先生は、近畿財務局の職員が改ざん行為を苦に自殺したという報道を聞いた瞬間、俊夫さんの断片的な言葉がつながったという。

俊夫さんが改ざん行為の強要により命を絶ったことは火を見るよりも明らかだ。

では人事院、および近畿財務局の作成した「公務災害認定に関する協議書類」において、その死の理由はどう書かれていたのか。

赤木弁護団の松丸正弁護士は、

「長時間労働が原因で亡くなったということになっていますね。それだけでは人は死なないですよ。改ざんをするために長時間労働させられていたんですけれども、役所にとって都合の悪いことは書かれていません」

と語る。

財務省=近畿財務局、および人事院がこれほどまでに書類を隠し続けていた理由は、俊夫さんの死の理由を「偽装・隠蔽」していたからだったのである。

真相が明らかにならない限り、同じような悲劇が繰り返される。

2017年6月4日、財務省は「森友学園案件に係る決裁文書の改ざん等に関する調査報告書」を出し、それによって必要な調査はすべて終わったとしている。先にも述べたように、この報告書には改ざんを強要されたことを苦に命を絶った俊夫さんの名前すら出て来ない。

さらに今回、開示された人事院、および昨年裁判のなかで提出された近畿財務局の公務災害認定に関する内部書類においては、事実関係を偽装してまで俊夫さんの死と改ざん行為強要との関連を隠蔽していた。

財務省=近畿財務局は俊夫さんの死と改ざんとの因果関係について、公式にも非公式にも一切認めていないことが明らかになったのである。

ひとりの人間が命を賭して国家の歴史そのものである公文書の改ざんの問題性を提起した。しかるに国はその事実に向き合おうともしない。こんなことで再発防止など出来ようはずがない。

第三者機関による公文書の改ざん事件の再調査が必要なのである。

10月6日、雅子さんは岸田首相に対し「夫は改ざんや書き換えをやるべきではないと本省に訴えています。それにどのように返事があったのかまだわかっていません」「第三者による再調査で真相をあきらかにしてください」としたためた手紙を送った。10月8日になって岸田首相は、「読みました。しっかりと受け止めさせていただく」と述べている。

しかし、まだ返事は届いていない。

作家 編集者

大阪府出身。慶應義塾大学文学部卒業後、公益法人勤務、進学塾講師、信用金庫営業マン、飲食店経営、トラック運転手、週刊誌記者などに従事。著書としてノンフィクションに「国策不捜査『森友事件』の全貌」(文藝春秋・籠池泰典氏との共著)「銀行員だった父と偽装請負だった僕」(ダイヤモンド社)、「内川家。」(飛鳥新社)、「サッカー日本代表の少年時代」(PHP研究所・共著)、小説では「吹部!」「白球ガールズ」「まぁちんぐ! 吹部!#2」(KADOKAWA)など。編集者として山岸忍氏の「負けへんで! 東証一部上場企業社長VS地検特捜部」(文藝春秋)の企画・構成を担当。日本文藝家協会会員。

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