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ホームレス55万人が抱えるアメリカのトラウマ

木村正人在英国際ジャーナリスト
米ホームレス支援施設「ヘイブン・フォー・ホープ」のコートヤード(H4H提供)

「どこか悪いの」ではなく「何が起きたの」という問いかけ

[ロンドン発]「ホームレスの人たちを外から見ていると、どこか具合が悪いのか、なぜ仕事をしないの、どうして怠けているのかと聞きたくなるかもしれません。しかし彼らは具合が悪いのではなく、身の上に何かが起きて最終的にホームレスに行き着いたのです。幼い頃にトラウマを体験すると本人が全く覚えていないことすらあります」

米南部テキサス州サンアントニオ市でホームレスやその家族の社会復帰を支援するボランティア団体「ヘイブン・フォー・ホープ(H4H)」のCEO(最高経営責任者)を5年間務め、現在は戦略的関係の責任者に退いたケニー・ウィルソン氏はアメリカ全体で55万人以上いるとされるホームレスについてこう話します。

トラウマや幼児期の虐待体験が何かの拍子に蘇り、その後の人生に甚大な悪影響を与えることがあります。ホームレスになった原因は貧困、人種差別、家庭内暴力、幼児虐待、薬物・アルコール中毒、メンタルヘルス、失業が複雑に絡み合っています。H4Hではトラウマの原点に立ち戻った支援が不可欠という「トラウマ・インフォームド・ケア」に取り組んでいます。

H4Hのケニー・ウィルソン氏(H4Hのホームページより)
H4Hのケニー・ウィルソン氏(H4Hのホームページより)

冬の厳しい寒さをしのぐためH4Hの門をくぐったホームレスにウィルソン氏らスタッフは「どこか具合が悪いの(What’s wrong with you?)」と尋ねる代わりに「あなたの身に何が起きたの(What happened to you?)」と耳を傾けています。それぞれ異なるトラウマの原点を知ることが社会復帰のスタート地点になるからです。

ウィルソン氏がH4Hに来て間もない頃、33歳の男性入所者に「どのようにして育ったの」と尋ねたことがあります。男性は「オクラホマ州で育った」と答えたあと「父はいつも母を殴っていた」とポツリと漏らしました。セラピストと一緒にいたウィルソン氏は「どんな様子だったの」と尋ねました。

男性は「扉の向こうから母の悲鳴が聞こえてきた。私は扉を蹴り倒したところまでしか覚えていない。目が覚めた時には病院だった」と答えました。ウィルソン氏が「何歳だったの」と尋ねると、男性は「11歳だった」と振り返りました。男性は誰かに責められるたび、あの夜の出来事がフラッシュバックのように蘇るのだそうです。

甲子園球場の2.3倍、広大なホームレス施設

筆者が最初に興味を覚えたのはH4Hの「キャンパス」と呼ばれる施設全体の大きさです。

約8万9千平方メートルの敷地面積は甲子園球場の2.3倍。本当に雨露がしのげる屋根だけが設けられたホームレスの緊急避難所「コートヤード(中庭)」では安心して眠ることができ、毎日3食、シャワーや医療、メンタルヘルスのサービスが受けられます。毎年ここから500人がそれぞれホームレスになった問題に取り組む「移行キャンパス」に移っていきます。

H4Hのキャンパス全体図(H4Hの資料より)
H4Hのキャンパス全体図(H4Hの資料より)

「コートヤードは路上で暮らしていた人たちのために設計された場所です。“ロー・バリア・シェルター”と呼んでいます。入ってくるのを妨げるバリア(障害物)を下げたという意味です。酔っ払っていても、薬物でハイになっていても、性犯罪者として登録されていたとしても何も質問されません。ここに入れる条件は3つだけです」とウィルソン氏。

「薬物とアルコール、武器の持ち込みは禁止です。この3つさえ守れば、重罪を犯した人であっても、指名手配されている人であっても何も聞かれず、入ることができるのです。なぜバリアを下げたかというと、路上で生活していると攻撃されたり殺害されたりする恐れがあるので非常に危険です。しかしコートヤードは何より彼らに安全を提供します」

「H4Hは人を判断するところではありません。運転免許証も出生証明書もなくしてしまったような人たちばかりです。統合失調症の患者なら“あなたはこの中に入ることを許されていない”とささやく声が聞こえるかもしれません。ここに入ってくるのも出ていくのも彼らの自由なのです」

H4Hのキャンパス。甲子園球場の2.3倍の広さがある(H4H提供)
H4Hのキャンパス。甲子園球場の2.3倍の広さがある(H4H提供)

「中にいなければならない避難所ではなく、路上で生活している人たちのコミュニティーにしようと考えています。ただ、キャンパスの他の場所には子供や家族連れもいるので最初の避難所であるコートヤードから他の場所には自由に出入りできません。しかしH4Hにいさえすれば他の場所に移動しなくてもすべてのサービスを受けられるのです」

サンアントニオ市が年1ドルで敷地を貸与

H4Hの「キャンパス」は2010年に1億100万ドル(約111億円)の建設費をかけてオープンしました。敷地はサンアントニオ市が年1ドル(約110円)で貸してくれました。1カ所でありとあらゆるホームレス支援ができるように184のパートナーが300以上のサービスを提供しており、NECアメリカのような日系企業も加わろうとしています。

「支援を受けるために施設から施設に移動する28ドル(約3070円)の交通費が払えなくてホームレスを続ける人もいるのです」とウィルソン氏は言います。コロナ危機のいま、「キャンパス」だけでなく空室になったホテルも使って83人の子供を含めて801人を支援しています(今年4月末)。

これまでに5820人のホームレスがキャンパスを卒業して普通の住宅に引っ越し、3462人以上が職を得ることができました。昨年5月から1年間でH4Hに滞在した期間は個人で平均143日、家族で同119日。89%の人は1年経ってもホームレスには逆戻りすることはなく、サンアントニオ市のダウンタウンで暮らすホームレスは10年以降、77%も減りました。

以前はトップバンカーとして働いた経験を持つウィルソン氏は「ここでの仕事はホームレス、メンタルヘルス、薬物中毒問題など多岐に渡り、事前に考えていたより大変で複雑です。しかし、それだけにやりがいがあります。キャリアの最後を銀行ではなくここで迎えられることに感謝しています」と話しました。

ウィルソン氏は妻に「私たちはなぜ生まれたのか。どうしてアメリカに生まれたのか。どうして白人に生まれたのか。なぜ恵まれているのか」と何度も尋ね、自責の念に駆られそうになることもあるそうです。「ホームレス経験者は“私がくぐり抜けたことはお前には分かりっこない”と言うかもしれません。実際に私には分からないのです」

H4Hで働くスタッフ300人のうち10%はホームレスを経験した人たちです。「彼らは入所者に”私の経験も聞いて”と語りかけることができます。そこに信頼や絆が構築されます。トラウマを抱えた人たちを支援できるH4Hのような場所を持つことができたことに感謝しています」とウィルソン氏は話しました。

子供の頃から路上で生活し、H4Hに入所し、今ではスタッフとして働くパブロ・コルドバ氏(52)は筆者にこう話しました。「メキシコ系移民だった父はアルコール中毒でした。私自身、幼い頃から大麻を吸っていました。10年前に神の声に従ってここにやって来ました。H4Hは私の人生を変えてくれました」

パブロ・コルドバ氏(筆者がスクリーンショット)
パブロ・コルドバ氏(筆者がスクリーンショット)

「ここで薬物やアルコールを止めることができたのが大きな転機になりました。そして家族も取り戻すことができました。H4Hは一つのチームです。ここでの目標は一つしかありません。ホームレスの人たちが自分の人生を取り戻せるよう手助けすることです」

池野昌宏NECアメリカ社長は「格差を目の当たりにし、資本主義は形を変えていかねば成り立たなくなってきていると個人的に考えています。アメリカでは資本主義の従来のやり方を信じて疑わない人もいますが、生き生きとボランティア活動に取り組む従業員もいます。企業活動を地元に生かすためにH4Hを支援することを決めました」と話しています。

人は誰でも生を授かったからには人間らしく生きる権利があるのです。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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