日経平均の過去最高値更新に思うこと
ついに日経平均株価が1989年12月の大納会に付けた過去最高値を抜いてきた。1989年当時のことを知る人間としては考え深い。
1989年の7月から9月にかけて、私はニューヨークで資格試験に挑んでいた。日本の株価上昇を海外から見つめていた。
1985年に銀行の国債のフルディーリングが開始され、同年10月に長期国債先物が東証に上場した。これをきっかけに債券ディーリングが活況となり、私も1986年10月から債券ディーラーとなって債券先物や10年国債の指標銘柄を中心に売買を繰り返していた。
1987年2月にNTT株が上場し、これをきっかけに個人の株取引が活発化するようになる。この月に日銀は当時の政策金利である公定歩合を2.5%とそれまでの過去最低水準に引き下げた。
年ベースでの消費者物価指数(除く生鮮)をみると1986年が前年比0.4%、1987年が同0.4%、1988年が0.6%となっており、物価は低迷していた。
日銀の公定歩合の引き下げなどもあり、債券市場では大手証券を中心に仕掛的な動きをみせて、1987年5月には10年国債の89回債の利回りが2.55%と公定歩合に接近するまで低下したのである。
しかし、ここで債券バブルはいったん弾けることとなり、その影響を受けて9月には事業会社が債券先物で大きな損失を計上したタテホ・ショックも発生した。
10月にはブラックマンデーも起き、日経平均は場開設以来の大暴落を記録した。しかし、日本株はそこから切り返すこととなる。これには強さを感じざるを得なかった。
1988年から1989年にかけて日経平均は上昇基調を強めてきた。1989年に入ると日銀は公定歩合を数度にわたり引き上げ、完全に金融引締策へと転向していた。
すでに債券バブルは崩壊していたことで、私自身はかなり冷めた目で1989年の株式市場の加熱相場を見ていた。政策金利が引き上げられており、それを無視して買いあげられた株式市場が、あのようなかたちでバブル崩壊したのを、ある意味当然かとしてみていた記憶がある。
今回はあのときとは違うとみている人も多い。日銀には利上げを積極的に行った平成の鬼平の影はまったくない。超緩和策すらあらためようとしない。これがむしろ功を奏すとみている人がいるのかもしれない。
金融政策の正常化にすら警戒している向きもいるなど、日銀には利上げは極力控えてほしい人達も多いようである。それは結果として何をもたらすのか。
バブル崩壊の原因は総量規制とともに日銀の金融引き締め策にあったのか。今回もそうだが 日銀の長期にわたる金融緩和策が株価押し上げにも寄与していたこともたしかであろう。